14 御前試合
王都アレスの北方には広大な敷地面積を有する、高い城郭で張り巡らされた領域がある。散在する建物群を取りかこむ、その城壁に囲まれた一帯を指して王城といった。
その王城の中ほど、アトスという名の丘陵にひときわ高く聳え立つ城が、平生王が行き来する宮城、アトス城だった。
王が政務を行う宮廷と王が起居する宮殿とが回廊を介して繋がっており、宮殿は禁裏とも呼ばれ、その出入りの門を禁門と言った。親衛隊員は主にこの禁門を守っている。
全くの余談ではあるが、王城の場合は入城と退城、宮城の場合は登城と下城というふうに出入りの際言い方が区別された。これはアトス城が王城内の高台に作られた城であることを考慮すればさほど不思議なことではない。
また、一般市民でも日常的に入城することはさほど難しいことではない。
王城の城郭にはいくつかの城門があり、その内一つだけ一般開放されている区画には、公営図書館や民のための役所があるからだ。
だが、もちろん王城内を自由に散策することなどできない。王城にはアトス城の他に、サンカレラ騎士団の兵舎や訓練場、官僚達の官邸など各種施設があり、侵入禁止とされる領域の方がはるかに多かった。宮城に登城するなど、民にとってはもってのほかのことで、すなわち、入城、登城の別は畢竟それができる人間とできない人間、ステータスの有無を示唆している。
そして今日、城門の一つをくぐって入城したジュークとサントは、御前試合の召喚を受けて王城に来ていた。
「ここが会場、ね」
広大な敷地の中を紆余曲折しながら、ようやくたどり着いた場所。
黒衣を身に纏った二人が軍服に身を包んだ騎士に案内されてきたそこは、サンソビーノと同じくらいの広さを持つ鍛練場だった。
大きな石造りの円柱が規則正しく周囲を取り囲み、天井は穹窿の形を成して広く高かった。まるで天体の運営を思わせるような曲線だ。
サントは顔を巡らせた。
ジュークは黒衣の裾から手を伸ばす。
「ひゃー、たっかいなぁ。叫んだら、反響してすごい響くんじゃないか」
そう言ったジュークを側の騎士が諌めた。
「私語を慎め。直に陛下がお出でになる」
無言で会釈を返すと、鐘の音が広場に響く。
「国王陛下のおなりだ」
隣りの騎士の指示に従い、上座の前で二つの黒衣が蹲って跪いた。
広場に入ってくるいくつもの足音が聞こえてくる。
その中で一つ、際立つ足の運びをサントの耳は聞き取っていた。
頭を垂れながらも、颯爽とした動きに空気が揺れるのを感じ、その存在を近くに感じて、サントはゆっくりと息を吐き出した。
「上げよ」
重みのある低い声がそう告げた。
ジュークとサントは、ゆっくりと頭を上げる。
威風堂々と単座する男の姿を視界に捉え、さすがのジュークも言葉がなかったのか、深い息を吐いた。
王は重厚長大の風情でその顔に太い笑みを浮かべていた。
帯剣していただろう剣を足の間に突き立て、柄頭の上に両の掌を重ね置き、背筋を伸ばして座っている。まるで、古代に謳われる伝説の軍神のようだった。
「貴君は武闘大会に見事に優勝し、その実力、国の鎮守の徒にも優るとも劣らなぬと、我らに認めさせた。もって、ここに国王陛下の御前で我らの騎士と戦う権利を得たことを、誇りに思うがいい。見事、貴君が、我らが騎士に勝利した暁には、陛下直々の御言葉を賜ることになるだろう。我らとしても、善戦してくれるよう望んでいる……」
元老らしき、白い口髭を蓄えた老人の口から意外にしっかりとした口調の、長々しい口上が続いた。
鍛練場の周囲は校尉士達がぐるりと囲み、准騎士、正騎士達が、二人の背後に連なっていた。
王の横には官服を着た文官然とした者と、数人の騎士が控えている。
例え、よからぬことを考えていたとしても、この場ではきっとどうすることもできないだろう。
「それでは、早速仕合いを始めよう」
そう老人が言った時、王の耳に一人がそっと耳打ちした。
王は頷いてから何事かをささやき返す。
その者は少し驚いたように訊き返したようだが、すぐに頷き返した。
「お前達の相手をするはずになっていた者達が、今現在ここにいない。こちらの不手際を詫びよう。陛下はぜひその者達と貴君らの対戦を見たいとお思いだ。今しばらく待ってもうらうことになる」
王に耳打ちした者がそう言った時、ジュークがそっと右手を上げた。
「何だ?」
「相手がどのような猛者かお聞きしてもよろしいでしょうか」
ジュークの声はいつもより甲高かった。
騎士は少し顔をしかめたが、時間を稼がなくてはいけないということもあって、その問いに答えた。
「陛下の守護を務める、親衛隊の隊長と副隊長がお相手する。隊長、ジュリア=シナモン。副隊長、ドリス=サラミアの両名だ。剣の腕は陛下も認めていらっしゃる」
ジュークはおし黙った。
しばし沈黙が続いたが、その沈黙を破って王が口を開いた。
「ドリスがぜひそなたと戦りたいと申していたのでな。もうしばらく待ってくれ」
側に控えていた家臣達は、ぎょっと目を見開く。
言った言葉の内容もそうではあるが、普通こういう場では国王は直接話しかけたりするものではない。声を聞くことが許されるのは彼らが王の御前で勝利してからの褒美としての筈だった。
ジュークはそっと唇を湿らせた。
「……いえ、私は辞退させていただきたく……」
いつもより微妙に高い声音がそう言った。サントは隣で少しばかり瞠目する。
ざわめきが上がった。
「陛下がわざわざお出でだというのに、無礼であろう!」
背後からささめきが聞こえ、目の前にいる老人はそう叱責したが、王は手を上げてそれらを制した。
「理由を聞かせてもらえようか」
「……一介の士にすぎぬ私が、このような席で諸兄を前に口上しますのは甚だ僭越なことなのですが、私は優勝できただけで満足なのです。まさか、本当にこの場で陛下にお目にかかることになろうとは、正直想像も致しておりませんでした。今日この場に来たのも、希代の英主と讃えられる、陛下の御尊顔を一目拝見してみたいと思って参った次第。私の愚かな好奇心をお許しください。陛下のお姿を見て実感いたしました。私のようなやくざ者には剣聖との呼び名の高い国王陛下の前で自身の不肖な剣を見せることは恥ずかしく、またもったいないことだと……。――どうか平にご容赦を」
そう言って、ジュークはゆっくりと低頭した。
淀みなくすらすらと出てくる弁舌に、王の臣達は沈黙した。
情けない心根のようではあるが、露骨にへりくだったような嫌みは感じられない。責める意欲を萎えさせる婉曲な断りように思えた。
だが、王は言った。
「……つまらんな。昨日の決勝を見させてもらったが、少しも我が騎士に劣るようには見えなかったが? ぜひ、軍部に迎えたいと思っていたのだがな」
その言葉に周囲は息を呑み込んだ。
王の発言は騎士を目指す若者にとっては〝身に余る光栄〟以外の何ものでもなかっただろう。
ジュークはしばらく沈黙した後、思案してからゆっくりと言葉を吐き出した。
「……そこまでおっしゃられるのなら分かりました。ここで断ってはかえって無礼になりましょう。ですが、できればお相手の変更をお願いできませんか?」
その理由をジュークは言わず、王も問うことはしなかった。
「……そうだな。このままいつ来るかわからぬ相手を待っているのは苦痛だろう」
苦笑しながらジュークの代わりにそう言うと、王は側に控えていた騎士を見上げた。
「ダヤン、相手をしてみるか?」
ダヤンは一瞬驚いたように目を見開いたが、
「主の御指名とあらば」
承服の言葉と一緒に恭しく一礼を返した。
ジュークはほっと胸をなでおろした。
――気がついているのか、鎌をかけただけなのか
そう思ってみたが、考えるまでもない。絶対に前者だ。分かった上で訊いてきた。
性質が悪いことこの上なかったが、どうやら表立って指摘する様子はないようだと息をつく。前もって顔を出しておいてよかった、とジュークは思った。
シャルル誘拐事件はジュークにとっては実は都合がよかった。後で姿を現す時、当面は潜入捜査の結果、不審者を摘発したという証拠になるし、敵の攪乱としても有効だ。今頃親衛隊隊長は訳の分からぬ状況の中で、少しでも事態を把握しようと奮闘しているところだろう。
(さっさと、終わらせちまおう)
「それでは、二人とも前へ」
進行役の声でジュークとダヤンは向き合った。
ダヤンは両手で剣を青眼に構えた。
ジュークは右手に剣を持つ。
朝起きて包帯を解いてみた時、右腕の傷口は塞がり傷痕も薄くなっていた。
明らかに治りが早すぎるように思えたが、ジュークは深く考えるのはやめた。どうせ聞いたところで教えてくれないのは分かっている。頭を悩ますだけ無駄だ。
結局、この一ヶ月たらず張り付いていた結果、分かったことなど数えるほどもなかった。最早謎だらけである。それでも――
(悪人には見えないんだよなぁ…)
キザッたらしい仮面の下で口元が綻んだのを見て、ダヤンは眉をひそめた。
その時だった。
バンッ!!
外からの入り口の大扉が勢いよく開いた。
コツコツと硬質な足音が静まり返った鍛錬場にやけに響いて聞こえる。
驚いたような衆人の注目の中、しっかりした足取りで、一人の騎士が歩いてくる。
国王の座る首座の前で止まると、片膝をついて頭を下げた。
「遅れましたこと、お詫び申し上げます」
「構わん」
王は笑った。
その顔を見て頷き、瞑目すると、容姿の美しいその騎士はゆっくりと立ち上がって振り返った。
中央で剣を構えている部下に告げた。
「……ダヤン、彼は私が相手をしよう」
突然現れた隊長の姿にダヤンは驚いた。
昨夜自分がサジャンの所まで案内してきた。取調べはもう終わったのだろうか。
戸惑いながらも、ダヤンは口を開いた。
「はっ。ですが、隊長、」
「サラミア副隊長の潜入捜査の結果、その男は危険人物だと判明した。罪状は明白。証拠も挙がっている。親衛隊副隊長が言うには、かなりの手練だそうだ。お前では荷が重い」
有無を言わさず疑問の声を遮って一気呵成にそう言うと、すらりと腰元の剣を引き抜く。
ダヤンは上官のその顔を見てから、ばっと顔色を変えて青ざめた。
無表情の冷たい瞳が黒衣の男を見据えている。
(本気だ)
しかも激怒しているらしい。
親衛隊隊長の部下達は皆、彼のこの表情に気づくと震え上がって、決して目を合せようとはしない。
「陛下、よろしいでしょうか」
ジュリアは、彼にしては珍しく王に背を向けたままでそう訊いた。いつもの彼ならそんな無作法を決して己に許しはしない。
突然の親衛隊隊長の到着に、場が凍りついたかのように静まり返っていた。
緊迫した空気の冷たさに、他の騎士団員達も異変に気がつき不安そうに顔を見合す。事情が分からず、場の雰囲気に声を漏らすこともできない。状況が分からないだけに余計に恐ろしかった。
そんな中で突然王の笑い声が炸裂したから堪らない。
皆一様にびくりと体を震わせると、ぎょっとしたように王を振り仰いだ。
こらえるようにくつくつと笑いながらユリウスは言った。
「存分にやるがよい」
では、とジュリアが構えるのを見てジュークはたじろぐ。
「……ちょ、ちょっと、待ってください。お…私が何をしたって言うんです……?」
「構えろ」
それだけ言って待ったなしで踏み込んでくる。
「!」
鋭い剣撃がジュークに襲いかかったが、彼はかろうじてそれに耐えた。
剣と剣を挟んで、互いの顔が向かい合う。
「……っつ」
その冷たく光る青い眼。
それが仮面の下のジュークの瞳をしっかりと捉えていた。
(――やばい)
冷たい汗が背中を流れた。
「遠慮せずに利き手に変えたらどうだ」
「!?」
交差してせめぎ合う自分と相手の剣の向こうで、感情の窺えない声がそう言った。
フードを被った仮面の下でジュークの目が大きく見開かれる。
「っ、おまっ……」
「貴様の罪状を教えてやろう」
ジュリアはそう言いながらも、相手に剣を持ち替える隙を与えはしなかった。
虚を衝かれた様子のその隙を逃さず、剣の根元で相手の剣身を押し込み強勢を取ると、よろけて後退ったジュークに対して容赦のない打ち込みを開始する。
「――ちょっ、ちょっと……たんま……!!」
「自身の全うすべき職務を放棄し、己の立場も忘れ金儲けのために主の剣を使った罪」
「…ちょっ!」
「潜入捜査と言いながら自分の都合で部下を振り回し、名を偽って御前を汚した」
「……待てってば!!」
「職務怠慢も甚だしく、陛下の名を貶めるにも等しいその所業……、貴様とは幼少よりの旧知の仲だ」
次第に激しくなっていく剣に防戦一方のジュークに対して、ジュリアは大きく踏み込んだ。
(!!!)
「せめて、私の剣で命を絶ってやろう!!」
そう叫んだかと思うと、親衛隊隊長の剣はジュークの剣を跳ね上げた。
あまりの電激に被っていたフードは頭から脱げ落ち、ピシッ、と小さい音がしたかと思うと、白い仮面に亀裂が入る。
カランと乾いた音を立てて顔を隠していた仮面の残骸が地に落ちた時、その下に現れた容貌は……
中途半端に長い、ウェーブした黒髪。
浅黒い肌。
漆瞳を持った切れ長の目が妖艶な色男の顔を見て、驚愕に目を見開いたのは一人二人ではなかった。
「……久しぶりだな」
喉仏に剣先を据えて彼の幼馴染はその名を呼んだ。
「ドリス」
「さ、サラミア親衛隊副隊長……!?」
平生【へいぜい】…ふだん。いつも。ひごろ。
畢竟【ひっきょう】…つまるところ。つまり。所詮。結局。
ステータス…身分。社会的な地位・階級。
穹窿【きゅうりゅう】…弓形のように中央が高く周囲が下がっているさま。アーチ型の屋根。
重厚長大【じゅうこうちょうだい】…どっしりして大きいようす。また、落ち着いて重々しいようす。
婉曲【えんきょく】…表現が遠まわしなさま。露骨にならないようにいうさま。
青眼【せいがん】…剣の切っ先を相手の目に向ける構え方。中断の構え。
一気呵成【いっきかせい】…物事を一気に成し遂げること。
電激【でんげき】…物事が、稲妻のようにすばやく激しく起こること。