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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第一章 黒衣の訪問者
14/87

13 もう一つの攻防

「おーい、お前らぁ!!」

 後ろから追いかけてきた声にジュークは振り返った。

「やったじゃないか、本当に優勝しちまった!!」

 駆け寄ってきたダリは興奮してそう言った。その後ろにシャルルを発見したジュークは両手を大きく広げる。

「やぁ、シャルルちゃん、大丈夫だった?」

 仮面を外してニコニコ笑って待ち構えたジュークの脇をすり抜けて、シャルルはサントに駆け寄った。

「ごめんなさい、サントさん。私が捕まったばっかりに……。怪我とかしてない?」

「……いや、貴女(あなた)こそ怪我は?」

 責めずにこちらを(おもんぱか)るその言葉に、シャルルは感激しながら首を横に振った。

「……」

 それを横目で見ていたジュークは激しく納得いかなかい様子だった。

 口を尖らせていじけモードに入った彼は、シャルルとサントのやり取りに気を取られていたばっかりに、急に前方が暗くなったのに気がつくのが遅れた。

「ん?」

 見上げると、顔をくしゃくしゃに歪めて目を潤ませたボイルが目の前に立ちはだかっている。

「お前ら、よくやった!!」

 感激の涙を流しながらボイルは自分の広く厚く、そして硬い胸板にジュークを力強く押し付けた。ジュークは潰されたヒキガエルのような声を上げる。

「この感じなら、御前試合にもいけるぜ、きっと!!」

 ダリはジュークを助けようともせずひたすら興奮していた。

 サントはシャルルに尋ねた。

「貴女を助けたのは?」

「なんか、知らない男だってさ。勇敢な奴がいたもんだ」

 そう答えたのはダリだった。

「本当は自分でもよく分からないの。いつの間にか腕を縛っていたロープが切れていて……誰が助けてくれたのかは……」

「なんだよ、声を掛けてきた男が助けてくれたんじゃなかったのか?」

「それは……」

 シャルルは顔を赤らめた。

 詳しく言おうとしても、見も知らぬ男が自分の身体的特徴を言い当てただなんて、言える訳がない。しかも、サントの目の前である。

 顔を赤くして黙り込んだシャルルを不審に思いながらも、ダリは尋ねる。

「あの、花火みたいのは誰が打ち上げたんだ?」

 その質問にシャルルは首を振った。分からない、と一言だけ答える。

「もしかしたら……、私を助けてくれた人には仲間がいたのかも……」

 一人が注意を逸らしている隙に、後ろで他の人が男を倒して(いまし)めを切ってくれた。だが、実際にその姿を見た訳ではないので、やはり半信半疑である。

「まぁ、いいじゃねぇか、とりあえずはさっ。シャルルは無事だったし。ジュークとサントも無事に勝てたんだし。結果オーライだよ」

「本当にごめんなさい。こんなことになるなんて思わなかったものだから……」

「それは、後で彼に言ってくれ」

「え?」

 シャルルはサントの視線の先を追った。

 ボイルの巨体に抱きつかれて、ジュークは半死状態だ。白目を剥いて、口から泡を出している。

「少し二人だけにしてもらえないか」

 目をぱちくりさせて一同が注目する中、サントは呼んだ。

「ジューク」

 初めて名前を呼ばれた、とそう感慨にふける余裕はしかし、ボイルに抱き潰されたままの彼にはなかった。

 ボイルはジュークの体を離し、心底嬉しくない抱擁からようやく解放されたジュークは心底から安堵する。

 そそくさと、控え室の中に姿を消したサントに従おうとして、扉の前に立つシャルルと目が合った。

 にへらと愛想笑いを浮かべて見せたら、彼女は分かりやすくそっぽを向いた。

 ジュークはぽりぽりと頭を掻いてシャルルのその横顔を見つめる。

 ゆっくりと彼女のもとに近づいていった。

 目の前で立ち止まりじっと自分を見下ろしてくる男の気配にいらついて、シャルルは顔を背けたまま言った。

「何よ」

「……」

 だが、ジュークは何も答えない。

 無言で注がれ続ける視線に落ち着かなくなり、どうしようもなくいらいらしてきて、真正面から怒鳴ってやろうかと思ったら、スッと彼の左手が動いた。

 シャルルはついビクリと身を固くする。

 ジュークは無言のまま赤茶色の髪に手を伸ばし、一箇所だけ不自然に切り残されているそこに、指を絡ませた。名残惜しそうに、指の腹でなでる。

 その仕草に、たった一夜の情事を思い出してしまい、不覚にもシャルルは自分の頬に熱が上るのを止められなかった。あの夜、彼はこの髪を指に絡ませては、何度も口付けしてくれた。きれいな髪だと、そう言って……

 シャルルは口をへの字に曲げて不機嫌そうに視線を逸らしていたが、文句は言わなかった。

 ただ(かたくな)に、ジュークを見ようとしない。

 その強情さに心の中で苦笑しながら、ジュークは長さの揃わないその髪を耳の後ろにかけてやった。そのまま唇を寄せてささやく。

 すれ違いざまにぽんぽんと頭を優しく叩くと、ジュークはシャルルを残して背後の控え室へと消えていった。


 ――『わるかった』


「……何よ」

 怒ったように口を尖らせながらも頬を赤く染めているシャルルを見て、ボイルとダリは顔を見合わせやれやれと肩を竦ませた。




 控え室に入ると、ジュークはどっかとベンチに腰を下ろした。

「あー、疲れたぁ」

 両腕を大きく開いて後ろにまわすと、頭を背もたれの上に乗せて天井を見上げた。その体勢のままサントに話しかける。

「やあ、本当に優勝しちまったなあ。どうだあ? 国王の眼鏡にかなった自信はあるか?」

 サントは何も答えない。無言の相手に、ジュークは顔を正面に戻した。

「どったの?」

 黙って立ったまま自分を見下ろしているサントをジュークは見上げた。常にないサントの雰囲気に眉をひそめる。

「腕を出せ」

 サントは身じろぎ一つせず言った。

 ジュークの目が大きくなり、フードの下にあるであろう顔を窺った。

「……何故?」

「臭う」

 簡潔に即答した相手にジュークは片眉を上げてから、苦笑した。

「目といい、耳といい、鼻まで利くんだな、お前は」

 新しい煙草を口にくわえてから、黒衣の裾をめくって右腕を出して見せた。

「刃の先に痺れ薬が塗ってあったみたいでな。全身に回って動けなくなっちまう前に毒血を抜いたんだよ」

 右腕に巻きつけてある、本来真っ白であっただろう布地が、真っ赤な血色に染まりかけていた。

 吸い取りきれなくなった布からぽたりと落ちた血の玉が、白い床に赤い模様を描く。

 それを見てサントはフードの下で嫌そうに顔を歪めたが、ジュークには分かりようがなかった。

 止血のためにきつく巻いた布ではないのだろう。出血はまだ完全には止まってはいないようだった。ジュークは痺れ薬の効力を無効化するために、自ら、自身の腕を傷つけたのだ。

「痛みで感覚が戻ってきたと思ったが、今度は出血過多で分かんなくなってきたな。さっさと止血しちまおう。もう、毒血は抜けただろうから」

 救急箱を取ってくれないか、とサントに言って、血をすって重くなった布を取ろうとする。それをサントが止めた。

「?」

「目をつぶって息を止めろ」

「何だ?」

「早く」

 ジュークは怪訝そうにしたが、何をするのか興味をそそられたので、黙って従うことにした。

 目をつぶると、目の前が暗闇に閉ざされ、頭がぐらりと揺れるのを感じた。

(少し血を抜きすぎたか……)

 (まぶた)を閉じると、どっと疲れが出てきたようだった。自分の体温が通常より低くなっていることにも気が付く。

 悪寒を感じ身を震わせると、耳元から不思議な音色が聞こえてきた。

(幻聴まで聴こえてきたか……?)

 高低強弱のある音が、まるで歌声のように途切れることなく連なる。

 水のように滔々(とうとう)と流れるそれは、言葉なのかそれとも意味のないただの音なのかは判然としなかったが、なぜか耳に心地よかった。

 ジュークは不思議な気分に襲われた。

 音が心奥(しんおう)にまで染み渡るように響く。意識がゆっくりと遠のいていくようだ。朦朧とするその不確かな意識の漂流が気持ちいい。目を閉じたまま、いつまでもその音色にまどろんでいたい。

 催眠術にかかるとこんな感じなのかもしれないなと、働かない頭で考えた。

 右腕の傷口が熱を帯びた。

 血を失って体温の下がった体の毛細血管を伝って、全身に(ほとばし)るような熱が伝わっていく。とくんとくんと血液が体全体を巡っているのを霞のかかった頭でぼんやりと感じていた。


 音が止んだ。

「終わった」

 その声にゆっくりとジュークは瞼を上げた。

 数回瞬きををした後、おもむろに右腕に目をやれば、いつの間にかきれいに包帯が巻きつけられて、手当てが終了している。

「……」

 ジュークは自分の右腕をじっと見つめた。

 もう出血は止まっているようだ。傷口が熱く熱を持っているのは感じたが、痛みは特に感じなかった。

「……なんかよく分からんが、すごいな、お前」

「俺は血が嫌いだ……」

 そう言う声は少し掠れている。

「……」

 ジュークはサントを見上げた。だが、やはりその顔色を窺うことはできなかった。

「……お前、いい奴だなぁ」

 感心するような声にサントは驚いたように軽く身じろぎしたが、すぐに背を向ける。

「……愚かな。正体の分からない人間を信用すべきではない」

 黒衣を(ひるがえ)すと、さっさと出て行ってしまった。

「固いねぇ、どうも」

 そう独り零しながら、両手を頭の後ろで組み、ベンチの上に横になる。煙草をくわえた唇の端は綻んでいた。

 サントは自分の怪我に気づいていながら、皆の前で指摘するようなことはしなかった。それに気がつき、ジュークは苦笑した。

 シャルルの怒ったような泣き出しそうな、赤くなった目の色を思い出して、サントの配慮に素直に感謝する。己の油断が生んだ失態に罪悪感など持たれてしまってはいたたまれないことこの上ない。恥の上塗りだ。

 と同時に、シャルル救出に関して、何にも訊いてこなかったことにも思いあたり、溜息をつく。

「まったく、何考えてんのか全然分かんねぇ」


 御前試合召喚の一報が二人の元に届いたのは、その翌朝のことだった。






「じゃあ、ドリスが来たんだな」

「はい」

 ジュリアは思案げに眉をひそめた。

 ダンカンが言うにはこういうことらしい。彼は大会受付の最終確認者だった。その彼のもとに、受付期間より一日遅れてドリスが来たというのだ。ドリスの第一声はこう始まった。


†††


『よぉ、ダンカン。サリナは元気か?』

『副隊長!? どうしたんですか、隊長が探してますよ』

『うん、まぁ、ちょっと頼みがあってな……。何してるんだ?』

 忙しそうに書類整理をしている部下にドリスは尋ねた。

『今、参加希望者の総数を割り出しているところなんですよ。今年はまた仰山な人数で……。おかげで俺達てんてこ舞いだ。――ところで、ドリスさんは今までどこで何を?』

 敬称を変え、上目遣いで尋ねると、ドリスは苦笑して手を振った。

『安心してくれ。法に触れるような真似はしていない』

『サボってたんでしょうが』

 ドリスは少しも悪びれずに、にやりと笑った。ダンカンは溜息をついて尋ねる。

『それで、頼みってなんでしょう? 言っておきますけど、アリバイ工作とかはお断りですよ。俺、隊長に睨まれるの嫌ですから』

『そんなつれないこと言わないでくれよ。俺とお前の仲だろう? そこにもう一組足してくれるだけでいいんだ』

『参加希望者ですか? 残念ながら締め切りは昨日までです』

『悪い、忘れてたんだよ』

『それに志願者当人の直接申し込みですから、足を運んでもらわないと……』

『まぁまぁ、固いこと言わないでくれ。人となりは俺が保証するから、なっ、頼む』

 片手を立てて、目配せする相手にダンカンは軽く溜息をついた。

『……分かりました。じゃあ、隊長に掛け合ってから……』

『なんだよ、ジュリアならいいのか?』

『俺、やですもん。勝手なことして後で怒られるの。総責任者に許可を仰ぐのは当然でしょう?』

『……お前がこの前侍女の一人に告白されてたって、サリナにばらすぞ』

『!!』

 ダンカンは一瞬で青ざめると、呼吸困難に陥った金魚のように口をパクパクさせた。

『……ちょ、ちょっと、ドリスさん?』

『いやぁ、あの時のお前はまんざらでもなさそうだった。〝君みたいな可愛い子に告白されるなんて嬉しいよ〟だったか?』

(どこで見てたっていうんだ、いったい!!!)

 ダンカンは迂闊(うかつ)だったと奥歯をかみ締めた。

 確かに、告白してきてくれた女の子は可愛かった。特に、恥じらいながらも必死に想いを伝えようとして赤らめた頬と潤んだ瞳なんか、思わず食べてしまいたいぐらいに可愛かった。

 そんな娘に告白されて、嫌な顔のできる男がどこにいるというのだ。

 自分は至って健全な成年男子だ。恋人がいたって、可愛い娘から告白されれば嬉しいもんは嬉しいし、モラルよりも先に男としての本能がうずく。心惹かれなかったかと言われればそれは真っ赤な嘘だ。それでも自分は、その誘惑に打ち勝った、勇気ある男のはず。何を恐れ憚ることがある。

 だが、彼の恋人は遺憾なことに、そんな男の生理的葛藤に対して理解のある、心の広い女ではなかった。

『お、俺はちゃんと断ったんだから、やましいことなんてありませんよっ!!!』

『甘いなぁ、ダンカン。女ってのは妄想の生き物だぞ。恋人が若くて可愛い女の子から告白されたと聞いたら、そりゃもうあることないこと勘ぐる勘ぐる。サリナなら確実に怒鳴り込んでくるな』

『……勘弁してください』

 顔面蒼白のダンカンに、ドリスはにやりと笑った。

『ジュリアには俺が直接言っとく。お前に責任は取らせない』

『……ほんとでしょうね』

『ほんとほんと。だから、あいつには通さずに、頼むよ』

 その極上の笑顔の前に、ダンカンは最早頷くことしかできなかった。


†††


 途中省略されたその説明を聞いてジュリアはこめかみを押さえた。

 怪しすぎる。

 長年の勘が彼に告げていた。

 王は構うなと言っていたが、こんな話を聞いてしまえば放っておくこともできかねる。もちろん、ジュリアはそんな話をドリスから聞いていない。というか、ここ一ヶ月近く顔さえ見ていないのだ。

 王に報告してから、ドリスの動向を探るべきだとジュリアは判断した。

 ダンカンはジュリアのその様子を恐る恐るというように(うかが)いながら言った。

「陛下も今日は何やら思案なさっていたようでしたが……」

「何?」

「今日、陛下は決勝戦を見に行かれまして、隊長と副隊長の所在をお尋ねになりました」

「……それで何か言っていらしたか」

「いえ、特には。面白いことになりそうだ、と笑っておいででした」

「……」

(もしかして、陛下は何か知っておいでなのだろうか)

「その、ドリスが言ってきた参加希望者は誰なんだ? 特定できるか?」

「ええ。それは。明日にでも会えますよ」

「?」

「今大会の優勝者ですよ。御前試合の召喚を受けている……」

「!?」

 その時だった。

「隊長!!」

 ダヤンが息せき切って、駆け込んできた。

「どうした」

「今、副隊長から伝言があって……」

「何?」

「今大会で不正をした者を捕らえてあるから取調べを行って背後関係を洗ってくれ、って……」

「!?」

「大至急、隊長に伝えてくれと……」

「……それで、ドリスは?」

「もういません」

「……」

 ジュリアはそれを聞いてきつく顔をしかめた。うまいこと踊らされている気がする。

 部下二名はそのきつい眼差しを心底見たくなかったというように、そっとお互いの顔を見合わせた。同僚の自分と同じような顔を見れば、一人ではないという仲間意識に少しは気が紛れるというものだ。

「……わかった。話を聞こう。どこに行けばいい?」

「あっ、ええっと、じゃあ、案内します」

 そう言って出て行った二人を見送りながら、ダンカンはそっと安堵の溜息を吐くのだった。


†††


『今年は黒尽くめの二人で決まりかな』

『そうだなぁ』

 制服に身を包んだ若い男達が肩を並べて立っていた。腰には剣を帯びている。右の腕には大会役員の腕章を身に付けていた。サンカレラ騎士団の団員達である。

『よぉ、サジャン』

 突然後ろから声を掛けられ、現れた上官の姿に彼らは慌てた。

『ド、ドリス=サラミア親衛隊副隊長殿!?』

 警備を任されている校尉士、準騎士達は右手を眉毛の横に持ってきて敬礼をする。

 正騎士の徽章(きしょう)を付けた一人が驚いてドリスの元に駆け寄った。

『副隊長、今までどこにいらしたんですか!?』

 と、そこで周囲の存在に気がついて彼は声量を落とした。

 国王の親衛隊とは五士最上の正騎士だけで構成されている。校尉士、准騎士達にとって、正騎士のみで編成されている親衛隊はしばしば憧れの的になった。とくに、副隊長であるドリスは王の信任篤い聖騎士(サンバリアン)である。その尊敬の念は、ドリスの本性を知らない者達にとっては、本人が思っている以上に強い。声を落としてドリスの耳元でささやいている彼も親衛隊員だ。つまり、ドリスの直接の部下である。ドリスの、ひいては親衛隊の対面を慮っての配慮だった。

『隊長がかんかんになって探しておいででしたよ』

 声を潜めて咎めるように言うとドリスは苦笑した。

『皆必ずそう言うな』

『笑い事じゃありません』

『分かってる、分かってる』

 全然分かっているようには見えなかったが、あえて彼は追及しなかった。言うだけ無駄だと分かっていたからだ。かわりに尋ねた。

『……それで今日はどうされたんですか?』

『実は頼みがあるんだ』

 保険なんだけどな、と呟きながらも、にっこり笑ったその顔を見て逆らえないことを悟ると、サジャンはそっと溜息をついて苦笑したのだった。


†††


「どういうことだ?」

「ですから、突然副隊長が不逞(ふてい)(やから)を捕まえてくれ、と」

「……」

 訳が分からぬという顔をしている上官を見て、サジャンも訳が分からなくなって、戸惑いを隠せずに言った。

「……女性を人質に取っている者達から、その人を助け出してほしいということでしたが?」

「女性?」

「……はい」

 何故かためらうような相手の空気を察して、ジュリアは尋ねた。

「……その女性とドリスの関係は?」

 目に見えてうろたえたその顔を見て、ジュリアは彼が口を開く前に手を出して制した。

「いや、いい。もう分かった」

 頭が痛いと言わんばかりに、こめかみを押さえて沈黙する上司に気を使いながらも、サジャンは続けた。

「……多分観客席の中にいるはずだから探し出してくれって言われたんです。わざわざ民間人の格好で。後は、捕まっている女性の特徴を教えられて……」

 ジュリアは怪訝そうに眉をひそめてから訊いた。

「髪の長い、気の強い感じの女性?」

「……そうです」

 目じりの下がった善良な顔を幾分赤く染めながら、まだ十代の少年は溜息をついた。

 ドリスの好みを熟知している部下にとって、その女性を特定するのは実際そんなに難しいことではなかった。そうでなくとも、ドリスは事細かにその特徴を挙げた。

 赤茶色の長い髮、額で五分分けの髪型、卵形の輪郭、赤く引き締まった厚い唇、意志の強そうな濃い眉、情の厚い眼差し、右目の泣きぼくろ、細い首、細い腰、ちょうどいい肩幅、頬にかかる赤みがかった後れ毛、柔らかい肌、赤く色づく耳朶、高く甘く変わる声、やさしい息遣い……

『ああ、そうだ。右胸の膨らみの裏っかわに並んだほくろが三つ……』

『そんなの分かりませんよっ!!』

 つらつらと並べ立てながら、だんだんエスカレートしていくその内容に、我慢できなくなったサジャンは大声でツッコンだ。

 突然現れた上司は、いきなり大会参加者の不正を告白して、人質に取られている女を見つけ出して逃がせと言った。大会管理の責任を負っている俺達の仕事だ、と言われれば彼らに(いな)やはなかった。そんな事実があるのなら、黙ってはいられない。

 ジュリアがずっとドリスを探していたことは知っていたので、そのことについて尋ねればジュリアも承知のことだと言われた。ずっと、潜入捜査をしていたと言われてしまえばサジャンにドリスを疑う余地はない。

 そして、事実女を手篭(てご)めにしている悪漢はいたのだ。

 だから、ジュリアに詰め寄られてサジャンは少々面食らっていた。てっきり既知(きち)のことだと思っていたのだ。

「女性を人質にとっている男達を捕らえたら、合図に花火を打ち上げろと……。女は保護する必要はないと言われました。隊長が来たら、男達を取り調べさせろ、と。自分達が(うかが)っているのはこれだけです。てっきり隊長もご存知のことかと……」

「女は保護する必要がないと言ったのか?」

「はい、そうです」

 ジュリアはまた眉をひそめた。

「その女性の居場所は分かるか?」

「さぁ、それは……。名前も知らないんです、実は。副隊長は名前を忘れてしまったらしくて……。たぶん、捕らえた男達なら何かしら知っていると思いますけど」

「……分かった。直接私が聞き出そう」

 そう言って部下の後ろに従いながら、ジュリアはドリスに対する疑念を強めた。その予感は確信になりつつある。


 そしてその日、いきなり訪ねてきた美男子の前で、シャルルは顔を真っ赤に染めながら驚きのあまり昏倒することになるのだった。

不逞【ふてい】…勝手な振る舞いをしてけしからぬこと。ずうずうしいこと。

既知【きち】…すでに知っていること。

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