10 奸計
「きゃあ、ジュークさんってば、ほんとステキー」
「アリス、君こそ素敵だよ。君の前じゃ、宮殿の花園に咲き誇る花々でさえかすんで見える」
「あら、それじゃあ私は?」
「シラー、貴女の髪は、夜露に濡れる漆黒の闇のようにミステリアスで、美しい」
「まあ、お上手ね」
「ずるいわ、ジューク様、あたしは、あたしは!?」
「君の頬は赤く色づくリンゴのように愛らしいよ、サンドラ。食べてしまいたいくらいだ」
そう言うと、男はサンドラの頬に音を立てて口付けした。女達の間で嬌声と嫉妬の声が飛び交う。
一人の男を何人もの女達が囲んでいた。男は闇色のマントに身を包み、シンプルな白い仮面を身に付けて、すっかりその役にはまっているようだった。女達は男を囲んでしきりにもてはやし、男は女の肩に馴れ馴れしく手を回す。
それを、白い目で見ている人間がいた。
「……騙されてる」
「よくあんな恥ずかしい台詞臆面もなく言えるな。ある意味尊敬する……」
「……」
ボイルの店、〝大男におまかせ〟一階のバーだった。店の中は既に一人の男を巡ってのハーレム状態だ。
サントとジュークは準決勝を終え、決勝戦を明日に控えていた。今日の準決勝でも、二人は難なく圧勝した。多分、明日の優勝は決まったも同然だろう。
一気に知名度を上げた二人は、巷の噂でもてはやされるほどの人気者に成り上がっていた。特に、ジュークの周りには女が絶えない。彼は常に黒い外套と仮面を身に付け、その奇抜な服装と巧みな話術で女性陣を虜にしていた。素顔を見せないところがまた、謎めいて魅力的らしい。
確かに仮面をしたジュークは色気が落ちるどころか、どことなく品格まで加わって、いっそう男を上げているように見える。仮面の下から覗く漆瞳とその声が、ことさら女達を夢中にさせていた。『その眼に殺されてしまうわ』とは仕立て屋を営むシラー婦人の、『耳元でささやかれるだけで失神しちゃう』とは、パン屋の娘アリス嬢の言葉である。
「なぁ、聞いたか?」
「何をだ?」
ダリの質問にボイルも質問で返した。二人とも少々羨ましげに、離れた場所からジューク達の一団を見ている。
「どうやら、明日の決勝は国王が見に来るって、話だ」
「何? 本当か?」
「あくまで噂だけどな。でも、ほんとに御前試合に召喚されちまうかもな。ジュークの一人勝ちってのは面白くねぇけど、ここまでくればやっぱ御前試合まで行って欲しいぜ。……ああ、やっぱ、俺もジューク達に賭けときゃよかった」
悔しげに、ダリはぐいっとジョッキの中の麦酒をあおった。
「あんなに、強かったなんて。わざと実力を隠しておくなんて反則だ」
「まあな、今回はあいつにしてやられたってことだ。でもいいじゃねぇか。知り合いが御前試合に召喚されたっていうなら、俺達だって鼻が高……」
その時、ガンッと勢いよく何かを打ち付けるような音が響いた。
ダリとボイルはびっくりして振り返る。
麦酒の入っていた筈の大ジョッキが、カウンターの上で震えていた。その、取っ手を握っているのはシャルルである。ジョッキの中は既に空で、どうやらカウンターの上に叩きつけたものらしい。うつむく横顔の、長い前髪の下からじろりと据わった目が睨みつけていた。
「……」
――怖い
「あんな軟派男褒めるんじゃないわよっ!!」
別に褒めていたつもりはないと二人は思ったが、今は逆らわない方が賢明だ。早々に謝って口を閉ざした。
シャルルの機嫌は最悪である。彼女の不機嫌の理由は尋ねるまでもなかった。
「シャルルちゃんもこっち来て一緒に飲まなーい?」
打って変わって上機嫌な声が上がると、彼女のこめかみがピクリと痙攣した。
ダリとボイルは青ざめる。
カウンターの上で大ジョッキを握り締めながら、無言のままうつむくシャルルに、無謀にもジュークは近寄った。
「何か、機嫌悪そうね? あ、分かった。もしかして……」
はらはらしながら、ダリとボイルは見守った。
「あの日?」
――バカッ
それはダリとボイルの無言の制止だ。言葉にして諫めるような親切心は彼らにはない。下手に介入してとばっちりを受けるのはごめんだ。我が身は誰だってかわいい。
「ジューク様、そんな女ほっときましょうよ」
女達の声がシャルルの神経を更に逆なでする。
シャルルは無言で立ち上がると、ジュークに満面の笑みを向けた。か、と思うと、彼女の脚が彼の股間めがけて跳ね上がる。
「………!!!!」
その凄惨な一撃にダリとボイルは盛大に顔を歪めた。声にならなかった悲鳴が耳に痛い。胸に突き刺さるようだ。
――あ コレは死んだな
つい自分の大切な箇所に手がいってしまうのは、どうしようもない男の性である。その衝撃を想像しただけで、脂汗が出てきそうだ。
「御機嫌よう」
にっこり笑って、シャルルは足音荒く店を後にした。
「……かっこわるすぎるぜ、ジューク」
ダリの呟きが、股間を押えながら膝を落として悶絶しているジュークの頭に虚しく響いた。
シャルルは憤然と夜道を突き進んでいた。自然、悪態が口を衝いて出る。
「まったく、あの最低最悪の女ったらし! 私をあんな女たちと一緒にすんじゃないってのよっ!!」
武闘大会で一勝をあげたときは確かに見直した。だが、その後がいけなかった。
ジュークは女に対して果てしなく軽い男だった。両手に女をはべらかせながらふんぞり返って、少しも悪びれる様子がない。考えるだけでムカムカしてくるのは、シャルルにも止めようがなかった。
「あの、フニャチン野郎!!」
そう、叫んだ時だ。
後ろから突如、にゅっと伸びてきた手がシャルルの口を塞いだ。
「!?」
訳が分からずシャルルは両手を振り回す。
「んむむっ――な、に……よっ……!!?」
「大人しくしてれば、悪いようにしねぇよ」
男の声がそう言ったかと思うと、腹部に入った一撃でシャルルは気を失った。
その晩、シャルルがボイルの店に戻ってくることはなかった。
決勝戦はあと一時間に迫っていた。
「てて、昨日はひどい目に合ったぜ」
会場のトイレから戻ってきたジュークは言った。
昨夜、うんうん唸りながら意識を失い、気が付いた時にはベッドの上で寝かされていた。
――使い物にならなくなったらどうしよう
そんな下世話な心配はどうやら無用だったようだ。よかった、と安堵した表情に懲りた様子は見られない。
サントは控え室にある椅子に座ることもなく立ったまま、沈黙を守っていた。
「……今日は、国王が見に来るってな」
「……」
ジュークの言葉にも返事ひとつ返さない。
緊張してるのかとも思ったが、目の前の人物はそんな感情とは無縁のように思える。もともと無口で、必要以上の事を喋ろうとはしないのだ。
もしかしてこの前の一件で警戒されてしまったのかもしれない、とそう思案していた時、サントが急に振り返ったのでジュークはギクリと身を竦めた。
「……なんだ?」
「誰か来る」
「え?」
眉をひそめ訊き返そうとした時、ようやくジュークの耳にもそれらしい物音が聞こえてきた。
かなり慌てているのか、そのリズムは荒く騒々しい。それは確実に、ジューク達のいる部屋へ近づいてきている。バンッと扉が開いた時、果たして現れたのは、〝大男におまかせ〟店主、ボイルのおやっさんだった。後ろにはダリの姿も見える。
「おっ、おい、お前ら大変だ! シャルルがっ……!!」
「シャルルちゃんがどうしたって?」
「いいから、コレ見てくれよっ!!」
ダリはボイルが手に握っていた紙切れをひったくると、ジュークとサントの二人に見せるためにバンッと机上に叩きつけた。そこにはこう書かれている。
『女は預かった。無事に帰して欲しければ、決勝戦には出場するな』
「……分かりやすくて結構なこった。脅迫状ってやつか?」
「暢気なこと言ってる場合か! お前が昨日シャルルを怒らせたりするから!! 店を出てった後でさらわれたんだ、きっと」
「落ち着けよ。どこでこれを?」
「今朝、気が付いたらうちの店の前に……」
「……ふぅん。ここに書いてある「女」がシャルルだっていう確証は?」
これを見てくれ、と言ってボイルが慌てて取り出したのは白い紙の包みだった。
「?」
中を開けてみると、見覚えのある長い赤茶の髪が一房でてくる。
ジュークはすっと目の色を変えた。
「昨夜出て行ったきり、ずっと見かけていないし、シャルルはうちで住み込みで働いてるんだ。何も言わずに姿をくらますとは思えない。店の前にあったコレが何よりの証拠だ」
「……なるほど。ただのイタズラじゃあ、なさそうだ。他に心当たりは?」
「……昨日の夜、闇討ちにあった」
その言葉に、えっ、とダリとボイルはサントを見る。
「『明日の決勝戦には出るな』とか『明日は負けろ』と、言っていた。どうやら怪我をさせて今日の決勝を辞退させたかったみたいだが」
「怪我はしてないのか?」
ボイルは心配して尋ねたが、サントは頷いてそれに答えた。何て汚ねぇ奴らだ!! とそう吐き捨てたのはダリだ。
「捕まえなかったのか?」
ジュークは一人冷静にそう尋ねた。
「面倒だったからまいた」
「何人だ?」
「十はいたな」
「他に何か言ってなかったか?」
「……『悪く思うな、コレも金儲けのためだ』」
サントは昨夜言われた台詞をそのまま繰返す。
ジュークは面倒くさそうに頭を掻いた。
「やっぱ、賭け試合の参加者か」
「八百長で賭け事するなんて許せねぇ」
ダリは吐き捨てる。
「どうするんだ?」
「……まぁ、なんとかするさ」
「なんとかって……」
「相手の出方を待つしかない」
「出方を待つ?」
「このまま俺達が試合に出なかったところで、シャルルが帰ってくるという保証もなし。金儲けのために不正を行ったとばれれば、この国の騎士さんたちは黙っちゃいない。となれば、最悪、口封じに殺される可能性だってある。相手が紳士ならいいが、丁寧に髪の毛まで送りつけてくるような奴らだ。とにかく、このまま出場辞退をする訳にはいかない。それこそ相手の思う壺だろう」
「大丈夫なのか?」
「あっちも金が欲しいんであって、個人的な恨みはないはずだ。俺達が出たところで、すぐにシャルルに危害を加えるような真似はしないだろう。要は俺達が試合に負ければいいんだからな。忠告を無視したなら、もう一度何らかの動きを見せる。奴らの目的は大会に優勝して、掛け金を手に入れることだ」
「……俺達にできることは?」
ジュークは首を振った。
「下手な詮索はやめといたほうがいい。相手が接触してくる可能性もある。怪我したくなけりゃじっとしてることだな。それと、このことは誰にも言うな」
え、と目を見開いたのはダリとボイルだ。
「大会管理をしてる騎士様に言った方が……」
「大事にはしないほうがいいだろう。奴らの裏をかかなきゃ意味がない。試合進行が遅れたりしたら敵も感づく。シャルルの身の安全が第一だ。居場所も分かっていない内から騒ぐべきじゃない」
俺に考えがあるからお前達はおとなしく客席で観戦してろ、そう説得されてしぶしぶ二人は戻って行った。
「で?」
沈黙を守っていたサントが口を開いた。
「ん?」
「どうするつもりだ」
「直接訊くしかないだろ?」
「対戦相手にか?」
「そゆこと。お前はどっちか一人をひきつけといてくれればいい。ここまで来て負ける訳にもいかねぇだろ? お前の会いたがってた国王も見に来るってのに」
「……」
「力でものを言わせればいいだけのことだ。俺達二人で十分事足りる」
「……関与しないところだったら?」
「訊けば分かる。それにまず間違いないだろう。この紙切れ一枚と髪の毛だけじゃ、押しが弱い。試合中に、吹っかけてくる可能性が高いと考えていい。こういう場合、賭けた人間と賭けられた人間は結託していることが多いしな」
サントは黙ってジュークを見る。ジュークは首を竦めると目線で、何だ?と尋ねた。
「なんでも」
サントは声に出してそう言うと目を逸らした。
――力でものを言わせればいいだけのこと
サントは黒衣の中で、そっと自身の両手を握り締めた。
†††
「あいつら、出てくるみたいだな」
「忠告を無視しやがって。どうします?」
「……俺達は何が何でも勝たなくてはならない。今日は国王陛下もお出ましだというしな。アピールするかつてないチャンスだ。それに、こっちには人質がいるだろ。壇上で脅してやればいいだけのこと。相手も強気には出られないはずだ。どうしたって、躊躇する」
「でも舐めてかからない方がいいですね。もう一人の方の闇討ちも失敗したし……」
「何だって? 本当か?」
「はい、傷ひとつ負わせる事できなかったって……」
フンと、男は鼻を鳴らした。
「まったく、情けない奴らだ。まぁいいさ。これから存分に相手をしてやろう」
そう言うと男は丈の長いコートを羽織ってにやりと笑った。
奸計【かんけい】…わるだくみ。