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BLOODY CHAIN Ⅰ  作者:
第一章 黒衣の訪問者
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09 それぞれの思惑

 夜の闇の中を風が走る。

 漆黒の外套をなびかせてサントは灯明の無い横道を疾走していた。

 その影に気づく者はいない。人通りはなく、たまに通る人間がいたとしても、横をすり抜けていく急な風の勢いに目を丸くするだけだったろう。

 跳ぶように走る、もとい、本当に飛んでいるようだった。

 空中に浮かんでいた足が地を蹴る間隔は間遠(まどお)だ。滞空時間が普通の人間よりもよほど長かった。枯葉が地に落ちるごとく、足音さえしない。そして、おそろしく速かった。動作自体はさほど速くは見えず、むしろゆったりとさえしているというのに、一歩で飛空しながら進む距離が長いせいで、その速度は尋常のものではない。


 月影(つきかげ)から逃れるようにその身を闇色に染めながらサントは考えていた。

 あれが、マダリア国王ユリウス=シーザー。

 希代の名君。王の中の王。英主、英傑、賢王、剣聖……

 ありとあらゆる賛美を(ほしいまま)にし、そうとまで称えられて止まない人物が、この世に本当に存在するものなのか……

 名君と称えられる君主はそれほど稀有(けう)な存在ではない。自国の主をただの凡人だと認めたい国民などいないのだから。その中で内実を伴っている君主は実はわずかなものだろう。そして、名君が暴君に変わったという話もまた珍しくはない。良い君主であり続けることができてこそ、統治者としての器なのだ。権力を持つ者はそれを振り(かざ)したくなる。時がたてば、善人の本質も変質してしまう事だってあるだろう。

 それでも、マダリアを統治する王の名声は遠く他国まで聞こえ、なお変質することがなかった。それだけ民から慕われ尊敬され傑物とされている人物が、果たして、外聞の勢望(せいぼう)に損なわれることなく一個の人間として存在しえるものなのか。

 サントはマダリアに入ってからアレスに来るまでの道中で王の評判を何度も耳にした。誰一人貶す者がなく皆が皆、褒め称える。実際には会ったことのないだろう人物をそこまで信頼できるのは本物の王の威光によるものなのか、サントには判断がつかなかった。ジュークによれば、伝説の勇者と同名だという、その事実もまた王の人気のもとだと言えたのだろう。

 だが……

 サントは国王との対面を思い出していた。

 王気というのはああいうものを言うのだろうか、とサントは思った。自分に向かって押し寄せる覇気をサントは感じていた。

 がっしりとした体躯、

 大きな手、

 大きな背中……

 彫りの深いはっきりした目鼻立ちの精悍(せいかん)な顔つき。高く尖った鷲鼻。顎の周りを覆い隠す髭。癖の強そうな鳶色の髪。経験と知識を積み重ねた者のみが得うる目元に刻まれたしわ。(そこから感じられるのは「老い」ではなく「精熟された力」だ)。力のある響きのよい声。余裕を失わない優雅な物腰。思慮深い瞳のようで、獣のように鋭い眼光。(知性を(たた)えた穏やかな瞳と、人をそのまま射てしまいそうな鷹眼(ようがん)とを併せ持つ人間なんてめったにいない)。闊達(かったつ)で気さくな性質。それでいて慎重に物事を考え見極めようとする眼識……。

 一目で圧倒された。

 王の発する「力」がはっきりと目に見えた。

 自分の心の臓が震えていたことなど王は気づきもしなかっただろう。

 ――まみえたことへの興奮か 自身の起こすかもしれない災咎(さいきゅう)に対する恐れか

 ずっと夢見てきた人物と実際に会って話をして感じたことは――

(自分は何かとりかえしのつかないことをしているのではないか……)

 そんな危惧感だった。

 だから、きっとあそこで譲歩した。当初は本当に御前試合の勝敗で賭けるつもりだったのに……


†††


 どうやら、追っ手はかかっていないらしい。今のところ、王は考え中なのだろう。

 サントは足を止めた。暗がりの路地を振り返る。

「……何をしている」

「――何だ、脅かそうと思ったのに。お前、恐ろしく夜目が利くな」

 そう言って物陰から現れたのは黒衣の相棒だ。闘技場近くの、選手専用宿舎がある、灯りも乏しい裏通りだった。

「……何の用だ」

 サントの周囲の気が微かに揺らいだようだった。黒衣の裾が揺らめいている。

「お前がいなくなったのに気が付いたから、どこへ行ったかと心配して来ただけさ」

 剣呑(けんのん)な空気を発するサントに両手を挙げてジュークは言った。

「心配?」

「ああ、ここらじゃ俺らももう有名人だからな。軽はずみな行動は避けたほうがいいぜ。誰が見てるかも分かんねぇだろ。お前はまだここら辺の地理に明るくはないだろうし。それに、」

 一呼吸おいてから、ジュークは声を落として言った。

「――俺達を嗅ぎ回っている奴がいるって話だ。役人気質(かたぎ)の人間らしい」

 ジュークはじっとサントの反応を(うかが)うように見つめ、サントもじっとジュークを見た。そして、静かに口を開く。

「どこで聞いた」

「えっ、ええと……馴染みの女郎衆(じょろうしゅう)から……」

 全く気にした素振りを見せずに、サントはジュークに背を向けた。

「言ったはずだ。俺の邪魔をするな、と。詮索は無用だ」

 〝余計なお世話だ、口出しするな〟

 そういうことだろう。

 ジュークは溜息をついた。

「じゃあ、どこに行ってたかを訊いちゃ駄目か?」

「国王に挨拶してきた」

 ジュークはぎょっとする。

「まさか。冗談だろ?」

 それにさえ答えてくれることなくスタスタと一人で行ってしまう黒い影に、取り残されたジュークはなかなか強敵だと苦笑した。






 暗がりの中で声がする。

 ひそひそとささやき合うような微かな声だ。その声は、風に叩かれ窓硝子ガラスが音を立てる度ピタリと止み、少しするとまた始まる。

 一本の蝋燭(ろうそく)に額を寄せ合って、男達が密談をしていた。

「おい、話が違うぞ。本当に勝てるんだろうな」

 抑えきれなくなりつい声量を上げたのは、顔に脂ののった、頭の禿げ上がった男だ。

 小腹の目立つ贅肉は贅沢な布の中にしまわれ、体の細部には色とりどりの宝石をちりばめている。紅玉ルビーの指輪。青玉サファイアの耳飾り。真珠パールの首飾り。派手なそのなりはどっからどう見ても悪趣味だった。まるで一貫性が無い。その男は少しでも値の張る装飾品ならなりふり構わず買い漁り、そしてなりふり構わず身に付けるのだろう。彼の出で立ちはそんな感じだった。てらてらと光る分厚い唇からひっきりなしに吐き出される荒い息は、貪婪どんらんな豚を髣髴(ほうふつ)させ、豚に真珠とはよく言ったものだ、と周囲の男達は不快げに顔をしかめた。

「私が一体いくら出資したと思ってるんだ? ファナンの推挙だと言うから投資したのに! 本戦出場者がたったの三組、そしてもう一組しか残っていないではないか!! あんたらは一体何人で大会に臨んだ? もう二人しか残っていないのか!? とんだ期待外れだっ!!」

 憤然としてその重そうな体を揺すりながら、男は唾を飛ばす。ドン、と拳をテーブルに打ちつけた。

 だが、その瞬間、不穏な色の瞳が彼を見上げたかと思うと、鈍色(にびいろ)の光が(きら)めいた。

「静かにしろ。大怪我したいのか?」

 押し殺すようなドスの()いた声がそう言った。男の肉のついた首筋に据えられた刃物が、蝋燭の炎の影に揺られて、鈍い光を放っている。

「このブタ野郎が。お前を三枚に(さば)いてやったっていいんだぜ?」

「ひ、ひいいいぃぃぃっ――」

 いくつもの穏やかならざる目が自分一人を見つめているという状況にようやく気づかされた男は震え上がって身を縮めた。小刻みに震わせた脂肪は燃焼され、大量の冷や汗へと変換されていく。

「お、お前、わ、私にこんな事をして、い、いいと、おも、思っているのかぁ――!? か、金が手に入らんぞぞぞ」

「黙れ。俺達は、今お前をここで殺して身ぐるみ剥いでやることだってできる。今はそれをしないだけだ。分かったらあまりでかい口を利くな」

 あんまり舐めると、と言って男は続けた。

「殺すぞ」

 顔を真っ青にして、ぶんぶんと猛烈な勢いで首を縦に振る男を嘲笑して、刃を引いた。

「確かに、今はもう二人しかいない。だが、まだ二人いるとも考えられる。そうじゃないか? シャハトさんよ」

「そ、そそ、その通りだ。き、君の言う通りだよ」

 必死に相槌を打つシャハトにフン、と男は鼻で笑った。

「だ、だが、本当に大丈夫なのか? あの黒衣の二人組みは相当の手練(てだれ)だそうじゃないか。お前たちの仲間もやられている」

「明日が準決勝。明後日が決勝だ。まだ一日ある。心配すんな。今まであんたが他の奴に賭けて、駄目になった負債も帳消しにしてやるよ」

「か、勝てる見込みがあるのか?」

「どんな奴にも弱点はある。そこをつけばいいだけのこと」

「ほんとのほんとに、大丈夫なんだろうな」

「なに、勝てるさ。明後日の決勝戦では俺たちの不戦勝だ」

 そう言って、仲間に目配せしながら男は不敵に笑った。






 軍の訓練棟に通じる間道(かんどう)で、ダヤンは上官に呼び止められた。

「ダヤン、ドリスが来ていたというのは本当か?」

 青い双眸に開口一番そう尋ねられ、青年は硬直した。

「あの、どうして…?」

「陛下から(うかが)った。その日の守衛に当たっていたのはお前だろう。奴に会わなかったか?」

 ダヤンはものすごい勢いで額に汗を溜め始める。

 どうする。

 ダヤンは困った。ドリスからは、ジュリアに黙っておいてくれと言われたので、今まで彼が来た事を隊長であるジュリアにも伏せていたのである。だが、まさか、上の方からばれるとは。

(陛下に会いに行っていたのかあの人は。ばれちゃったじゃないか……)

 王が情報源ではごまかすことなどできない。今までは〝秘匿(ひとく)〟であったが、ここで知らないと言えば、〝虚偽〟になる。知っていて黙っていたことも十分罪深かっただろうが、黙秘と偽証とでは良心の呵責度が違う。

 彼は尊敬するジュリアに嘘をつく事はしたくなかった。だが、ここでジュリアに話してしまうことはドリスの頼みを、ややともすれべばその命令を、無視したことになる。格から言えば、副隊長であるドリスより隊長であるジュリアの方が上だ。ここはジュリアに従うべきなのかもしれない。だが、二人とも自分の上官であることには変わりない。

 ああ、どうしよう。

 ジュリアにばれるといろいろと差し支えることがありそうだ、とドリスは言った。やはり、言ってしまうのは気が引ける。お人好しで正直者の彼は、ドリスを取るかジュリアを取るか、という選択に本気で苦しんだ挙句、最終手段に出た。

「はい、確かに副隊長は先日こちらにお見えになりました」

「本当か? 何故黙っていた」

 真面目な顔でそう尋ねてくる上官に、ダヤンはごくりと息を呑む。

「……副隊長に、隊長殿には黙っていろと言われましたので……」

 ジュリアは眉をひそめた。

「……ドリスの奴、一体何を企んでいる。何かお前に言っていなかったか?」

 この時、ダヤン青年は白を切り通すことも可能だった。幸い、ジュリアはダヤンの秘匿に関して咎め立てようとする様子はない。利口な人間なら、とぼける事をしただろう。だが遺憾なことに、お人好しで正直者のダヤン青年は不器用なタイプだった。

 ええい、ままよ。

 心の中でそう唱えると、彼はそこに低頭した。

「ダヤン?」

「すいません! 自分は今まで副隊長の来訪を黙っていました。自分は副隊長から少しですがお話を伺い、隊長にお話しすることも可能なんですが……、それはできません!!」

 ジュリアはダヤンに合わせて腰を下ろす。顔を上げた部下と視線を合わせた。

「ドリスに言うなと言われたからか?」

 静かな口調で問う。

「……はい」

「…そうか。では仕方ない」

 あっさりそう言って立ち上がったジュリアに、え、とダヤンは上司を振り仰いだ。

 ジュリアに嘘をつく訳にもいかず、かと言ってドリスの頼みをご破算にする訳にもいかなかった彼は、どっちかではなく、両方をとった。どっちも取らなかったとも言える。下手すれば双方から責められる選択だったが、どうやらジュリアに責める気はないらしい。深く追及しようともしない。ダヤンはおおいに拍子抜けした。

「実は、陛下にはドリスのことは放っておけと言われたんだ。何か考えがあって動いているようだから、と。私はまたいつものことで、あいつが遊興三昧に(ふけ)っているのではないかと思っていたのだが……。どうやら違うようだな。立っていいぞ。お前が謝る必要はない」

 穏やかな声でそう言われて不覚にもダヤンは泣きそうになった。本当に普段の隊長はいい人だ。

「しかし、人のことは言えないが、お前も融通が利かないやつだな。正直は美徳ではあるが、正直なだけでは生きていけないぞ」

「隊長でも嘘をつくことがあるんですか?」

 意外な気持ちでダヤンが尋ねると、ジュリアは笑った。

「必要な嘘というのもきっとあるだろう。私は聖人君子ではない。自らの優先するもののためになら、嘘だってつく。陛下に嘘をつくことはないがな」

 なるほど、とダヤンは呟いた。

「ドリスのようにいたずらに人を惑わす嘘は許せないが……、中には苦し紛れにつくものもあるだろう。そういう嘘をあげつらって咎めだてたいとは思わないよ」

 ああ、隊長は本当にいい人だ。

 素直に感動したダヤンだが、ジュリアをただの〝いい人〟で終わらせてしまうと、後々大きなしっぺ返しを食らうことを彼はちゃんと理解していた。

「しかし、本当にあいつは何をしているんだ」

 ぽつりと零すジュリアにダヤンは何か言ってやりたくなった。

「あの、何やら『気になる男がいる』とか言ってました。深刻そうな顔で……」

「気になる男?」

「ええ。詳しいことは自分も分かりませんが、副隊長も軽くほのめかした程度なので……。本当は言えることなんてあんまりないんです」

 その言葉にジュリアは眉をひそめるとそっと唇に人差し指を押し当ててうつむいた。

 その様子に何だか落ち着かなくなったダヤンは、無理矢理口を開く。

「……そ、そういえば、今日の準決勝で決勝戦の組が決まりますね。優勝はやっぱりあの二人でしょうか」

「ん? ああ、そうだな……」

 そう言ったきりやはり自分の足元を見ながら黙りこんでしまう上官に、ダヤンは気が気でなくなってきた。そして次にジュリアが顔を上げた時、反射的に彼は体を固くした。

「……ダヤン、今大会で、受付が終了しているのに、無理矢理出場許可をとって参加した選手がいたという話を知っているか?」

 いきなりの質問にダヤンは目を丸くする。

「それ、何かの間違いじゃありませんか? 自分達は規則には厳格な筈です」

「私もそうは思ったが、陛下から伺ったのだ。ドリスがそんな事を漏らしていた、と」 

「……大会運営には厳正な行動が求められる。まず、ありえませんよ。よっぽどのことじゃないと。でも、それなら隊長の耳に入っていてもおかしくはないですよね……。副隊長の嘘だということは……?」

「それなのだが、そんな嘘をつく理由が分からない。あいつの言っていた〝気になる男〟と関係あるのではないか?」

「ああ、そうかもしれない……」

「ダヤン、頼まれてくれるか?」

「事の正否を、ですか?」

「事実だというのなら、許可した者を割り出して教えてくれ。話は直接私が聞こう」

 有無を言わせないそれに慌てたようにダヤンは承服の返事を返した。

勢望【せいぼく】…勢力と人望。

鷹眼【ようがん】…鷹の目。転じて鋭い目つきのこと。

災咎【さいきゅう】…天がとがめとして下す災い。

貪婪【どんらん/たんらん】…きわめて欲が深いこと。

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