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【小説】牛丼屋(福祉に接続できます)

掲載日:2025/12/16

 カウンター席に座るなり、ウエシマはポケットからスマートフォンを取り出して溜まっているメッセージに目を通した。

 おれもそれに倣おうかと思ったが、今朝の不機嫌だった女を思い出してやめた。

 無造作に置かれたコップはぬるい水を抱いていた。

「なんか面白い話ある?」

 スマホ画面に目を置くウエシマに訊いてみた。何かを期待している訳じゃない。

 暇と言う呪いがゆっくりと全身を侵食していくのが分かっているから、せめてもの抵抗を試みているに過ぎない。

「なんもねぇわ」

 ウエシマは欠伸をしながらスマートフォンをポケットに戻した。

 間髪を入れずにおれたちの目の前に牛丼が置かれる。この店唯一のメニューだ。座ればこれが出される。

 おれたちはそれを食い店を出る。

 その繰り返し。まるで労働だ。

「労働はクソだ。しかし牛丼分の価値はある」

 いただきます、と小声で言ったおれをウエシマは意外そうな目で見た。

「お前も仕事嫌いなんだな。真面目だから働くの好きなのかと思ったよ」

 そう言って味噌汁を啜ったウエシマは「うっす……」と呟いて卓上の七味をかけた。

 労働は少なくとも牛丼分のクソと等価だ。

 しかしそれ以上に暇と言う呪いを回避するのに役立つ。暇に任せて一日中インターネットに接続した脳みそがチンパンジー並みのハッピーセットになるのを見てきた。

「暇を回避した上で牛丼分の賃金が貰えるなら、労働にはそれだけの価値があるだろ」

 ぐずぐずに柔らかい牛丼を飲みながら言ったが、ウエシマはうむと唸ったきり牛丼をかきこみ続けていた。


 今朝方の喧嘩はささいな事がきっかけだった。白米原理主義者の女は卵かけご飯を厭がった。

 それだけならまだしも、おれが食っているそれを下劣だの冒涜だのと言い始めた。

 冗談じゃあない、言いたくは無いがひとの金でメシを食ってるのならせめておれの食うものには文句を言うべきじゃない。

「働いて自分の金で食えよ」

 そう言うと女は急に真顔になり

「働くのには向いてないの」

 と言って朝定食の載せられたお盆を押しやった。


 労働に向き不向きもない。

 それにどれだけ厭だと言っても、向き不向きを問わず大多数の人間は労働に勤しまなければならない。

 だったら諦めてやるしかない。 

 おれやウエシマの労働は絶え間なく発生し続ける訳じゃない。

 それは恵まれた労働環境である事を意味するようになって久しい。単純に運が良かった。

 少なくない企業、そこに勤める人間たちが休みの無い労働を課したりしている。

 目の前の安い牛丼が福祉たる所以はそれが叶えられた祈りだからだ。

 つまり誰かの涙なしには成立しない味と言う事だ。

 人間の労働で味付けされた牛丼に、鶏の労働である卵を落とす。

 生卵ですら労働を介してどうにか成立しているとすれば、この牛丼だけでも塩分過多だなと思う。



「笑えない冗談だな」

 ウエシマは爪楊枝で歯間を突きながら店を出ようとおれを促した。

 白湯のように薄い味噌汁を飲み干してカウンターに置いた。

 暖簾で指を拭きながら「次の追加撮影っていつだっけ」とウエシマに訊いてみたが、肩をすくめて誤魔化された。

「暇になるな」

 ウエシマは答える代わりに煙草を差し出した。

 別に仕事の内容に文句は無い。

 延期された分も日当が払われるならそれで良い。

 おれたちに必要なのは労働と賃金だ。

 崇高な理念とかじゃあない。そんなものはインテリの勃起薬でしかない。

「まぁ俺たちは労働をして賃金を得る、それだけだからな」

 ウエシマが欠伸をしながら言う。

 咥えなおした煙草が赤く光る。

「おれたちに必要なのは賃金だ。安い牛丼やハンバーガーだとかの福祉じゃない」

 その中から価値を感じたものにそれ相応の対価を払いたい。

「煙草とかな」

 ウエシマはおれを見て笑う。

 短くなった煙草を指で弾くと、赤い光がくるくると回って転がっていった。

「賎民だな」

「嘱託だから仕方ない」

 違いねぇと笑ったウエシマも煙草を指で弾いた。

「あの人たちはさ、自覚が無いからな」

 だから平気で納期を先延ばしにするし、その間の日当だって払う。

「バラモン左翼の典型だよ。反権力の学生たちが学園祭を終われずにいる」

 美しい夢なんかじゃない、これは生活なのになとウエシマが寂しそうに笑った。


 ウエシマの古びた着衣は生活の優先順位を物語っていた。

「ブランド物とは言わないまでも、吊るしのスーツくらい買いたいよな」

 いつまでも量販店のそれっぽい服を着ていたくないし、擦り切れから露出した白い糸をマジックペンで塗り潰すなんて惨めだ。


 それを見て楽しそうに笑う「あの人たち」はどう育って何を食べたんだろうか。ダークツーリズム感覚で牛丼を食べたりするんだろうか。終われない学園祭は楽園なのだろうか。

「辞めるか、仕事」

 ウエシマが退屈そうに言った。

 何の感情も込められていない疲れていた声だった。

「なにも期待できないからな」

 何度も辞めようと思った。

 その辞めようと思った未来に立ち続けている。

「馬鹿にされたり舐められたりするのに疲れたんじゃないけど、そうやって愛想笑いしながら互いをクソだと思いつつ笑顔で仕事をこなしていくのに疲れたよ」

 それが労働と云うやつだし、その対価が賃金だとしても。

 おれを見ずに呟くウエシマが、何を見ているのかは分からなかった。

 たぶん何も見ちゃいないだろう。


「こんなはずじゃあ無かったのにな」

 ウエシマの問いかけに返事できているのか分からなかったが、ウエシマはようやくおれを見て

「そう思えたなら、その頃のお前はいい仕事できてたんだろ」

 そう言って笑った。

 おれたちはさっきの牛丼みたいなもんだ。替えが効く。でも牛丼の方がマシかも知れない。誰かに喰われるだけ存在意義がある。

「番組がバラしになった俺たちは牛丼屋の米櫃に残された廃棄寸前の黄色く変色しかけた物体だ」

 街灯を受けてドロリと光るウエシマの目は暇に蝕まれていた。

「それにお前には帰るところあるんだろ」

 ウエシマはおれの右手薬指を顎で差した。

「お前は家で嫁が作ったメシを喰うべきじゃないのか」

 俺なんかと一緒に小汚ねえ牛丼なんか飲んでる場合じゃねぇだろ。

 おれは鼻を鳴らして笑った。

「舐めた口をきいたら殴り、繁殖していくべきだと思うか?」

 牛丼はおろか卵かけご飯も食えない女と?


 だがウエシマの言うことも分かる。

 食事も晩酌も牛丼屋で済ませて、あとは帰って眠るだけだと言うのか。

 部屋は犬小屋より狭いアパート。いや、犬小屋ですらなく、トランクルームかも知れない。

 閉店間際の割引はとっくに終わっていて、もうコンビニですら紀ノ国屋スーパーみたいに感じる。

 だからおれたちは牛丼と言う名前をした誰かの涙を貪るしかない。




 それは誰の涙だろう。

 牛丼屋は福祉だ。

 死にゆく存在のためにある福祉だ。

 おれたちは硬いスツールに座って牛丼と言う管に繋がれている。牛丼はブドウ糖を流し込む点滴の様なものだ。店員たちのエプロンは白衣だ。

 疲弊と倦怠、諦観の影をぶら下げたおれたちに給仕する奴らは介護士だ。奴らも別の店では福祉に接続される病人だし、そいつらに給仕する介護士もいる。

 そして口々に言う。

「あいつらは何もわかっていない」と。

 その労働に見合う対価であれば続くし、見合わなければ辞めるだけだろう。ウエシマみたいに。

 辞める人間が多ければ福祉は消滅して、おれたちはまた別の福祉に接続される。

 そうやって生きたまま接続される。

 何も牛丼だけが福祉じゃない。

 インターネットもテレビも福祉だ。24時間365日コンビニで買える粗悪なアルコールも福祉だ。

 生活そのものが福祉だ。

 おれたちは何かを耐える必要が無く、それら福祉に繋がれている。

 おれたちはその福祉によって生かされている。

 カプセルの中で眠る必要が無い。

 赤いピルも青いピルも選ぶ必要が無い。

 選択と言うコストを払わずに済む、それが福祉だ。

 おれはぬるく薄い白湯のようなみそ汁に七味を入れる。

 目の前に置かれた牛丼を食む。

 塩分と脂質。

 粗悪な炭水化物とタンパク質。

 それらを一気に飲み込んで、薄い味噌汁で胃に流し込む。

 そこで改めて福祉に接続された事を実感する。




 おれは福祉の対価を払う。

 介護士が嗤う。

 さっきのは店員じゃない。

「何の話をしてるんだ?」

 ウエシマは不思議そうな顔をした。

「おれたちの人生だよ」

 振り向いた街道沿いの牛丼屋はどれも同じ形をしている。

 同じ設計図を使いまわしているからだろう。時計は頂点で重なろうとしている。

 誰かの願いが終わり誰かの願いが始まる。

 誰かの誕生日が終わり誰かの命日が始まる。

 おれたちは福祉に接続されたまま曖昧に日付を越える。

 おれたちは福祉に接続されたまま次の福祉を探す。

 都会のターザン。

 全身に繋がれた管から管へと飛び回る。

「おれたちはブロイラーなんかじゃなかった」

「じゃあ腐った死体だな。福祉に接続されたままこうして腐っていく。俺たちは長く生き過ぎた。だが死ぬには遅過ぎた」

「そうだよウエシマ、おれたちはゆっくりと福祉になる」

 おれたちが福祉になるんだ、その言葉は自分に向けた言葉でもあった。



「おれたちはやがて牛丼になり介護士に給仕される。

 何故ならおれたちは福祉から抜け出せないからだ。

 見ろよ、影は福祉色をしているだろ」

 空の色と同じだ。

 なのにおれたちはそこから断絶されている。

 ウエシマが笑う。曖昧な笑いだ。それは憐れむ笑いでもある。

 仕方ない。おれだって笑うしかない。

 見上げた空で月が嗤っている。

 月は介護士か福祉かわからない。だがおれはあそこに接続できるだろうか。

 大きな飛行機が空を横切る。

 飛行機曇が空を切り分ける。

 

 

 生活には叶えられた祈りが多過ぎる。

 福祉だけで生きているとしたら、おれたちはすでに生きたまま全身が管に繋がれている死に体と大差ない。

「お前、本当に福祉が必要そうだな」

 ウエシマが笑う。

 いや、最強から笑っていなかったのかも知れない。

「誰だよ、お前」

 おれは上手く笑えているだろうか。

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