婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!
ご覧いただきありがとうございます。こちらは短編バージョンとなります。
長編連載も始めましたので、よければそちらもどうぞ!
シャンデリアの光がきらめく夜会のホール。
王太子ルーファスは、平民の娘マリアンヌと楽しそうに談笑していた。
「やはり庶民の娘は気取らないな。未来の王妃には、こういう素朴さが必要だと思わないか?」
取り巻きの貴族たちは、したり顔でうなづく。
マリアンヌが恥ずかしそうに微笑むと、ルーファスは得意げに言葉を続けた。
「クラリッサは完璧だが……まるで氷の女神だ。退屈で仕方がないよ」
その会話を、壁際の陰で聞いていたのは――当の本人、クラリッサ・エインズワースである。
紅茶を手にした彼女は、表情を崩さず小さくため息をついた。
(氷の女神、ですって……。殿下にはそう見えるのですね……)
心配そうな侍女に、クラリッサは穏やかに微笑んだ。
「いいのよ。殿下は昔から、あの様な御方だから」
「お嬢様……」
「そのうち風向きが変わるわ。放っておきなさい」
夜風がカーテンを揺らした。
言葉とは裏腹に、クラリッサの瞳に冷たい決意が宿った。
◇◇◇
翌朝。王城の謁見の間。
国王夫妻と廷臣たちが並び、ルーファスは欠伸をかみ殺していた。
(公爵は何の用だ? どうせ形式的な報告だろう)
そこへ、エインズワース公爵がゆるやかに進み出る。
白金の髪を撫でつけ、よく通る声で言い放った。
「陛下。本日は、王太子殿下と我が娘クラリッサの婚約について――申し上げたいことがございます」
「婚約の件だと?」
国王がわずかに眉を上げた瞬間、公爵の声が響き渡った。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
空気が一瞬で凍りつく。
ルーファスの口から、まぬけな声が漏れた。
「……は?」
公爵は一歩も引かず、静かに言葉を重ねた。
「もはや殿下との縁組は不要。娘を“退屈な遊び”に付き合わせるわけにはまいりません」
「な、何を勝手なことを!」
「殿下が婚約破棄をお考えなのは、社交界の公然の噂。
ゆえに、こちらから先に切らせていただく――外交の初歩でございます」
廷臣たちがざわめき、王妃の笑みが引きつる中、国王は咳払いで場を整えた。
クラリッサが前に進み出て、完璧な微笑を浮かべる。
「殿下。お互いのための最良の選択ですわ。どうぞ次のご令嬢を」
「ま、待て! 俺が破棄されるなんて聞いてない!」
「そうでしょうね。だって、私の話は”退屈”でしょうから」
完全勝利の一言に、廷臣の中から抑えきれない笑いが漏れた。
国王は頷き、「婚約破棄を受理する」とだけ告げた。
退場の際、公爵が小声で言う。
「見事な引き際だったな、娘よ」
「お父様……風向きが変わりましたわね」
◇◇◇
数日後の王都。
噂はすでに街角まで広がっていた。
「王太子殿下、破棄されたらしいわよ!」
「逆じゃなくて? “された”の!?」
「公爵閣下が堂々と宣言なさったんですって!」
王宮を歩くルーファスの背に、ひそひそ声が突き刺さる。
取り巻きは姿を消し、マリアンヌも距離を置いた。
「殿下……やはり平民の私には……」
そう言って、彼女も去っていく。
ルーファスは一人残され、ため息をついた。
手紙を開けば、父王の筆跡。
『あの公爵に”外交”で敵うと思うな。頭を冷やせ。』
「……ぐっ、父上まで!」
そのとき、廊下の奥から妹の王女シャーロットが歩いてくる。
ふわりとした薄桃色のドレスに、柔らかな笑み。
「お兄様。お顔が死んでおりますわ」
「放っておけ……。俺は、すべてを失った男だ」
「ふふ、婚約者を失っただけです。尊厳は……まあ、半分くらいでしょうか」
ルーファスがむっと顔を上げる。
「シャーロット、私を笑いに来たのか?」
「いいえ。お兄様に“現実”をお届けに参りましたの。
クラリッサ様、まもなく療養地へ行かれるそうですわ」
「療養地?」と、思わず聞き返す。
シャーロットはそっと声を落とした。
「ええ。あの方は、お兄様の動きを最初から見抜いておられましたの。
本来なら“王家から婚約を破棄した”と見られるところを――
“こちらが振られる形”に整えられたのですわ」
「どういうことだ?」
「王家が自ら縁を切れば、政治的な侮辱として禍根を残します。
でも、公爵家から破棄すれば、王家は“相手の都合を尊重した”だけ。
――王家の体裁は守られたのです」
「……つまり、俺を庇ってくれた、ということか?」
ルーファスは沈黙した。
思い出すのは、あの冷たくも美しい微笑み。
今になって、それが優しさに見えた。
(……俺のほうが、子供だったんだな)
◇◇◇
春。
湖畔の別邸。クラリッサは穏やかに読書をしていた。
紅茶の香りが漂う。
そこへ、背後から声がした。
「……久しいな、クラリッサ」
振り向くと、ルーファスが立っていた。
少しやつれたが、その瞳は真っ直ぐだった。
「殿下……お忍びで?」
「叱られるのは承知だ。だが、伝えたいことがある」
彼は片膝をつき、深く頭を下げた。
王族が貴族に頭を下げる――異例の光景だった。
「愚かだった。あなたを完璧すぎると評したのは、未熟さを誤魔化すためだった。
今度こそ、ちゃんと向き合いたい。――もう一度、婚約してほしい」
クラリッサは息をのんだのち、穏やかに笑う。
「殿下のお気持ちは理解しました。けれど、そのお言葉は――まず父にお伝えくださいませ」
穏やかに告げた瞬間、扉が開いた。
「やはり来たか、王太子殿下。予想より三日遅かったな」
紅茶の香りとともに、エインズワース公爵が現れる。
「公爵……!」
ルーファスは真剣に頭を下げた。
「もう一度、クラリッサとの縁をお許しください。今度こそ、彼女を幸せにします!」
公爵は腕を組み、にやりと笑った。
「条件を出そう。一年間、国政を怠らず、女遊びも一度もなし。娘を泣かせたら、即刻破談だ」
「……受けます!」
クラリッサが扇子で口元を隠し、くすりと笑う。
「まったく、殿下。婚約破棄してから求婚だなんて、順序が逆ですわ」
「その“逆”を、これからは誇りに変える」
春風が湖面を渡り、光がきらめく。
三人の笑い声が穏やかに重なった。
――こうして、“逆婚約破棄”の騒動は、静かに円満な結末を迎えたのだった。
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(※連載中の長編は、元サヤに納まらない予定です。クラリッサやルーファスの成長、マリアンヌの暗躍、そしてエインズワース公爵の活躍を描いていきます!)




