風の精霊に愛されるはずだった姫は王都で慟哭する
草原に一人立つ。風の精霊の声を聞くことがないまま、故郷を離れることになるなんて。
ライハ・ルトヴァルトは代々風の精霊の加護を受けてきたルトヴァルト王家の末裔。そして、加護を受けられなかった初めての王族。
最愛の母を亡くした今となってはこのルトヴァルトに精霊の声を聞ける者は一人もいない。母がよく精霊と戯れたと聞いた草原に来てみたものの、精霊の姿は見えず、声も聞こえない。
側仕えのカークに無理を言って連れてきてもらったが、結局変わらないままだった。
「カーク、ありがとう。城へ戻りましょう」
「もう、よろしいのですか?次にここへ来られるのはいつになりますやら」
「いいの。もう諦めがついたわ。この国を守れなくてごめんなさい。自由の民から自由を奪ってしまってごめんなさい」
ライハは顔を両手で覆って泣いた。
カークは少し離れた所に何か見つけたかのように装ってライハから離れた。側仕えとして姫に仕えて十七年。自身も不甲斐ない思いでいっぱいだった。
ライハの母クリスティナは素晴らしい王だった。強く、魅力的で、国を繁栄に導いた。風の精霊王アルマンドとの縁を得て、彼を師匠とした彼女は強かった。ルトヴァルトの全盛期。最強の国家。
生まれた時から精霊の声が聞こえたことが一度もないライハ。王配の父親は隣国のフォールティル王国の公爵家の次男。彼には聞こえたアルマンドの声も、なぜかライハには聞こえなかった。
見ることも聞くことも叶わず、ライハはどんどん自信を失っていった。ルトヴァルトの王族の一員として鍛錬には努めたが、平均的な王族の能力に達することができなかった。
魔力も平均以下、出力も低くライハだけでは魔物討伐を任すことができない。仕方なくクリスティナはライハ専属の護衛を付けた。その護衛たちも魔物が増える春の時期にはライハを置いて討伐に向かう。
この時期の側仕えはカークのみ。カークは往年の騎士。二人で魔物の群れに遭遇したら助からないだろうと影で言われていた。
クリスティナはライハをフォールティル王国の王太子の側妃に差し出すことにした。過酷な後宮とは言え、辺境で暮らすよりは生存率が上がると思われた。娘には生きていてほしい。長く生きていれば幸せになれるかもしれない。そう願ってのことだった。
その母はライハの輿入れを目前に急死した。父によると一緒にいたアルマンドも姿が見えないらしい。母に何が起こったのかは分からない。魔物討伐の混乱の最中何かが起きたのだそうだ。
風の精霊は縁を結んだ人に、その人が亡くなった後も寄り添うのだそうだ。母の魂と共にアルマンドも死者の国へ行ったのかもしれない。
漏れ聞いた侍女の話を総合すると、今までに見たこともない強さの魔物が現れ、母とアルマンドが魔物と刺し違えたのだそうだ。国を守って英雄になった母。だがこの国はもう終わりだ。
自由の民ルトヴァルトの安寧は失われた。どう生きていくか考えねばならない。一人隣国へ逃れ側妃になるライハが羨ましい。王族のままでいられるなんて幸せなことよ。侍女の声が耳に残る。
ライハはルトヴァルトという故郷から身を引き裂かれるような思いでフォールティルの王都へ向かうというのに。この悲しみ、寂しさ。そんなものは我が儘でしかないのかもしれない。
王宮がどんなに悪環境であろうとも、恐らく衣食住は足りているだろう。この国の民の中には奴隷になる人々もいるのかもしれない。娼館に売られる子どももいるのかもしれない。
戦わずして負けたルトヴァルト。戦闘民族の跡取りが使い物にならない自分だったばかりに。民の未来を閉ざした王族。
母の願い通り生き長らえて、いつか故郷に恩を返せる日を待とう。何としても後宮で生き延びよう。そう心に決めた。
王都からの迎えの馬車が来たのは一週間後だった。父の後妻になったアマーリエは、元々は書類仕事が得意な母の友人だった。フォールティル王国の王妹だと知ったのは先日のこと。
父と話していた所に偶然近付いてしまい、聞こえてしまった。
「こんなに上手くいくとは思っていなかったわ」
「隣国の戦闘民族が脅威だと分析された時はどうなることかと思ったよ」
「あの子には気の毒なことをしてしまったけれど、これで両国の平和が保たれるわ」
「本当にそうかな。これからの魔物討伐はどうする?」
「この国の軍を指揮して、と思ったけれどクリスティナが失われた今、傭兵として契約するのが妥当だと思うわ」
「自由の民が金銭で縛れるんだろうか。本当にこれが一番良い選択だったんだろうか」
「もう今更遅いわ。私たちの進む未来はもう十七年も前に決められたのよ」
「あの瓶に入っていた薬にあんなに効果があるなんて思いもしなかった。あの子は本来得られる力の半分にも満たない能力で生きていかなくてはならない。それに後宮に行って幸せなんかあるのか?後ろ盾もないのに」
「あなたの公爵家と王妹の私。足りないの?」
「公爵家は兄の娘が正妃候補として名乗りを挙げているんだ」
「あぁ、あのお義姉様そっくりな意地の悪いどうしようもない子ね」
「調べによると、すでに何人もの候補者を蹴落としているらしい」
「そんな子とあの子は戦えないわよ。能力が覚醒しきれていないんだもの」
「幸せになれないと知っているのに送り出す罪悪感で胸がいっぱいだ。精霊との縁を結べなかったルトヴァルトの王族は片翼をもがれたようなものだと聞く。あの子はこれからどうなるんだ」
「もう戻れないところまで来ているわ。そうね。あなたの血を分けた娘ですものね。こうなってみるとあなたも被害者なのかもしれないわね」
「実の娘にこんな過酷な人生を歩ませる私は、父親失格だ……」
「私も同罪よ。敬愛するクリスティナの一族を葬り去るんですもの」
ライハは手で口を押さえて叫んでしまわないように努めた。目からは涙が止めどなく溢れてくる。あの二人の話は自分のことだ。精霊を見る目も、精霊の声を聞く耳も、何らかの方法であの二人に奪われた。
この国の未来も、ルトヴァルトの王族の未来も、フォールティルのために動いたあの二人によって、ライハが生まれてすぐ、終焉へと向かっていた。
何という裏切り、何という非道。ライハが生まれてこの方悩み続けた問題の答えをあの二人は持っていたのだ。優しかった二人。罪悪感を誤魔化すためにライハを可愛がってくれたに違いない。
ライハはあの二人から贈られた物は全て置いていくことにした。母、クリスティナから贈られた物も、豪胆な母のことだ、あの二人に任せていたかもしれない。全て置いていく。生活に必要な物を自身の小さな空間収納庫に詰める。
きっと社交の場には出ないだろうから、ドレスなどはあまり必要ないだろう。髪飾りも、首飾りも、他の装飾品も、ほとんど自分で購入したものなど無い。自室での最後の夜だというのに風が吹き荒れていた。
翌朝はライハの旅立ちを祝うかのように晴天だった。王都からの迎えの馬車は小ぶりなもので、アマーリエの同情的な視線がライハの心をかき乱した。ルトヴァルトの騎士が国境まで送ってくれる。カークから贈られた箱を馬車に積んで、ライハは故郷を後にした。
ガタガタと揺れる馬車で酔ってしまったライハは眠るしかなく、侍女の一人もいない旅路でヘトヘトになっていた。周囲は男性ばかり。ライハは辛さを分け合うこともできず、愚痴を言って気を紛らわせることもできず、この過酷な旅を一人で耐えていた。
数日馬車で過ごしていると、揺れにも慣れてきたのか少し余裕ができた。ライハはカークから貰った餞別の品を見てみようと思った。
箱には薬の瓶と手紙が入っていた。
◇◇◇◇◇
ライハ様
あなた様をお守りできなかったこの爺をお許しください。あなた様の下であなた様の成長を見守り、あなた様のお子様をお守りするのが小さな夢でした。不甲斐ない私どもの為に、あなた様の未来を他国の王族に売り渡すような結果となり、誠に申し訳ございません。この手紙と同梱しました瓶は、あなた様がお生まれになった直後、あなた様の傍らに落ちていた瓶です。綺麗な瓶だったのでとっておいたのですが、あなた様が精霊を見ることも聞くこともできないと知り、もしかしたらそれに関わる重大な品なのでは無いかと思ったものの、誰を信じて良いか見極めきれず隠し持っていました。爺がこのまま持っているよりはと思いお渡しします。ライハ様のご多幸をお祈りいたします。
カーク
◇◇◇◇◇
父親が何かしたと言っていた物はこれだ、とライハは直感した。この薬の謎を解けば本来の自分に戻れるかもしれない。従順に振る舞って王太子の信頼を得よう。そして王宮内を何とかして捜索したい。
ライハは一縷の希望を得て、生きる希望が湧いてきたように感じた。馬車の中なのにふわっと風が吹いた。昔からこういう事が何度かあった。もしかしたら自分の傍らにも風の精霊がいるのかもしれない。
そう考えて、ライハは自嘲気味に微笑んだ。
「まさかね」
都合の良い夢物語だ。現実は厳しい。
王城に着いたライハは、旅装のままフォールティル国王の前に連れて行かれた。王妃の冷たい視線を浴びた。優越感を感じているような眼差し。
「王国の太陽、王国の月、国王陛下と妃殿下にお会いできて光栄です。ライハ・ルトヴァルトがご挨拶申し上げます」
「うむ。其方にはこのまま後宮に入ってもらう。敗戦国の王女など王太子の後宮に置いてやるだけでもありがたいと思え。アマーリエに頼まれているから最低限の衣食住は保証する。王太子の言うことをよく守り、仇なすことのないよう努めよ。お前の言動一つで国がどうなるかよく分かっておるな?」
「はい」
声が震えた。生贄。奴隷。人質。ライハが自由に暮らしたら民が傷つく。父は、義母は、こうなることを分かっていても幼い自分に薬を飲ませたのか。
空間収納庫にしまったあの薬の瓶を思い出した。とにかく生き抜いて、あの瓶の謎を解きたい。何としてでも。
しかし、ライハの決意を打ち砕くような出来事が待っていた。コリンナと名乗った侍女に案内された部屋。後宮の一室。何が目的の部屋かは分かっていた。でももう少し人として尊重されるとどこかで思っていた。
部屋で出されたお菓子を食べた後、発熱した。意識が朦朧とする中で、男が部屋を訪ねてきた。突き動かされるような熱と興奮。訳もわからないまま男のいいように弄ばれた。ライハもそれを求めた。誰でもいい。愛などなく本能に突き動かされるだけの虚しい行為。満足した様子の男はライハをそのままにして部屋から出ていった。
ライハが目覚めると、布団の中だった。見たことのない寝着を着ている。ぐちゃぐちゃになっていたはずなのに誰かが整えてくれたようだ。あのコリンナという侍女かもしれない。恥ずかしい。あんな状態の体を清められたなんて。
清浄魔法を使って隅から隅まで体を清めた。ライハが使える数少ない魔法の一つだ。外を見ると大嵐だった。雨が窓に吹きつけ、強い風がガタガタと窓を揺らす。空が嘆いているようだ。
それは、まるで自分の心の中のようだと思った。婚姻も結ばず、政略として役立つわけでもなく、王女であった自分を安売りしたかのよう。記憶が曖昧なのが救いだった。お菓子に薬が盛られていたのだろう。このまま子どもを授かるのだろうか。その子を愛せるだろうか。顔も知らない男に似た子を育てられるだろうか。
絶望の淵で揺れ動く。このまま楽になってしまいたい。生き延びてあの草原で風の精霊に会いたい。でも精霊に会う資格はないのかもしれない。
涙が止めどなく流れ落ちる。嵐の音に紛れてライハは泣き叫んだ。薬を盛った父、味方だと信じていた義母、娘をこんな国に送った実母。自由を奪われ、尊厳を踏み躙られ、物のように打ち捨てられた自分。悔しい。
こんな想いをするために生まれてきたのか。いや、生まれた直後に奪われたのだ。保護する側の人に薬を盛られて。世界にたった一人で立っているかのような恐怖、不安。ライハは慟哭した。
その日から怖くてこの国で提供されるものは全て飲めなくなった。食べ物も受け付けなくなった。すぐに立っていられなくなり、ライハは一日のほとんどを寝て過ごすようになった。
ある日、見慣れぬ女性が許しも得ずズカズカと部屋に入ってきた。コリンナが止めきれずに困っている。チラチラとライハを見るコリンナ。助け舟が欲しいようだ。とは言え、ライハにはこの女性が誰なのか分からないし、どう助ければ良いのかも分からない。
よく見ると誰かに似ている気がする。父だ。ライハは体が冷えていくのを感じた。本能的な嫌悪感。
「あなたのせいで王太子殿下は伏せっておられますのよ。王国の未来をただお一人で背負っていらっしゃるの。殿下に万が一のことがあったら、あなたに責任が取れますの?」
高圧的な態度のこの女性は誰なのか。
「王太子殿下にはまだお会いしたことがございません」
「まあ!薄情な!殿下のご寵愛を頂戴しておきながら何と図々しい!」
「私はどなたからもご寵愛を頂戴した覚えはございません」
「あなたが到着した日のことですわ。淫らに殿下をお誘いになったそうじゃありませんの!」
「ああ、その日でしたら薬を盛られて誰とも分からぬ男に襲われたのです。愛などございませんでした」
「襲われた?誰とも分からないって、そのような嘘をついている場合ではございませんわ。殿下は寝たきりになってしまわれたのですよ」
「そう言われましても、殿下にお会いしたことはありません。私はあの日以来この城で出される物が全て恐ろしくて飲食ができない状態です。王太子殿下が私を襲った男だったとしても、それを知りませんでしたし、この体では殿下に復讐をしに行くことも叶いませんわ。そもそもあなた様は王太子殿下とどういったご関係なのですか?」
「この王国の公爵家の娘ですわ。王太子妃候補筆頭です」
エムリーヌはライハの腕の細さに目が行った。首元も胸元も骨っぽい。直感的にライハは本当のことを言っているのだと理解した。
「そんな……殿下ともあろうお方がそのような無体なことを……ちょっと待って、あなたあの日から飲食をしていないと言ったわね?やっぱり嘘つきじゃないの。あれから一ヶ月は経っているわ」
「ええ。私もなぜ生き続けているのか疑問だったのです。ご存知ですか?ルトヴァルトの王族は精霊と共に生きるという話を」
「聞いたことはあるけれど、信じてはいないわ。とても強い方が女王だったとは存じ上げているけれど」
「私は実の父に薬を盛られて精霊が見えなくなってしまったのです。それでもずっと精霊は側にいてくれたのだと思います。きっとその精霊が私を生かし続けているに違いありません。お願いです。私は精霊に謝らなければいけません。もしかしたら王太子殿下のご回復に一役買えるかもしれません」
ライハは空間収納庫からあの瓶を取り出した。
「お願いです。この瓶に何の薬が入っていたのか、解毒薬はあるのか、調べてきてほしいのです。私に精霊が見え、声が聞こえるようになったら、王太子殿下を助けていただくようお願いすることができると思います」
「王太子殿下の症状は精霊の仕業ということね?腑に落ちるわ。医者が原因が分からないと言っているの。あなたを何とかすれば殿下は助かるかもしれないのね?」
「宝物庫の夢をよく見るのです。そこに何かあるのかもしれません」
「分かったわ。宝物庫ね?父に頼んでみるわ。気をたしかに持って待っていてね」
ライハはエムリーヌを見て頷いた。
コリンナは温かいお湯で濡らしたタオルで顔を拭ってくれた。
「私がご用意したお茶とお菓子が原因ですよね?申し訳ございませんでした」
ライハは返事をしなかった。
コリンナはライハを拭き終わると悲しそうに部屋を出ていった。ライハはコリンナを見ると恐怖心が蘇って声を出すことができなくなる。あの日のことを思い出してしまう。侍女を変えてほしかったが、訴える相手もおらず、本人に伝えることもできず、そのままになっていた。
エムリーヌが部屋に入ってきたあの日から数日が過ぎた。寝たきりのライハは相変わらず飲食をしないまま生き長らえている。
「見つけましたわ!ご覧になって!」
喜びを隠しきれない様子のエムリーヌが再びノックもなく入室してきた。
「これですわ。あなたが飲まされたというこの瓶が解毒薬。この解毒薬を必要とする薬がこちらの瓶に入った薬ですわ。これは劇薬で、あなたは本当は視力と聴力を失ったのではないかと医者に言われました。でもあなたは見えているし聞こえているのですよね?」
「……はい。ちゃんと見えていますし、聞こえています。まさか視力と聴力が……ではなぜ見えるし、聞こえるんでしょう?精霊の力なんでしょうか?」
「いえ、あなたはすぐに解毒薬も飲まされたのではないか、とのことでしたわ。視力と聴力を失う薬を飲まされた後、解毒薬も飲んだ。なんらかの作用が起きて精霊を見る力と聞く力が失われたのではないか、と医者が言っていましたわ。通常この劇薬を飲んだら視力も聴力もそこまで戻らないのだそうですわ」
「すでに解毒薬を飲んだ……」
「ええ。ですからここにもう一本新鮮な解毒薬を用意しましたわ。あなたのそばにいると言う精霊に力を込めてもらったら治るのではないかしら」
その時解毒薬が金緑色に光った。
「まあ!本当に精霊がいらっしゃるのではないの?すごいわ!ねえ、飲んでごらんなさいよ」
ライハは迷った。まだ怖い。でもずっと見たかった精霊の姿を見ることができるかもしれない。声を聞くことができるかもしれない。
もし仮にこの薬が偽物で命を落とすことになったとしても、このまま飲まないで過ごすよりもずっと希望がある。瓶を手に持つ。手が震える。覚悟を決めてライハは一息に飲み干した。
目と耳が燃えるように熱い。ライハは苦しそうな声を漏らしながら、手で目や耳を押さえた。エムリーヌはライハの目や耳から漏れ出る金緑色の光を見て、王太子は本当に精霊の不興を買ったのだと理解した。この王国はもうダメなのかもしれない。
「ライハ!」
男性の声が聞こえた。ライハとエムリーヌは声がした方を見た。金色の髪にエメラルドの瞳の美丈夫が立っている。エムリーヌは咄嗟にカーテシーをした。恐怖で冷や汗が止まらない。
今回ライハの依頼で瓶の調査をした時に出てきたルトヴァルトに関する資料に、ルトヴァルトには手を出すな、不興を買ってはいけないという文面を見つけて震え上がったことを思い出した。
オズオズと男性の方に手を伸ばしたライハ。男性はその手を握りしめた。
「あなたが精霊ですか?もしかしてずっと傍らにいてくださった方?醜態をお見せしてばかりで申し訳ございません」
精霊はライハを抱きしめた。
「良いんだ。どんなライハでも愛している。やっと直接守ることができる。すまなかった。君が大変な時にいつも守れなくて。オレはいつも間に合わなかった」
「私がこうして生きてこられたのはあなたのおかげです。あなたに一目会いたくて、声を聞きたくて。やっと願いが叶いました。ああ、私にも精霊がいてくださった。お名前をお聞きしてもよろしいですか?」
「オレの名はヴェイン。ヴェインでもヴィーでも好きに呼んでくれたら嬉しい。さあ、ルトヴァルトへ帰ろう」
「帰れるのですか?」
「ああ。瞳の色が生まれた時の色に戻ったね。綺麗な青だ。魔力が体中を駆け巡っているのが分かる?空間収納庫を開いてみると分かりやすいと思うよ」
「広い!すごく広いです!こんなに……」
ライハの目が涙で潤んだ。
「空から行こうか。見える?風の精霊たちが君に挨拶に来たよ」
ライハはベランダに向かって走り出そうとしてふらついた。
スッとヴェインがライハを支える。ずっと傍らにいてくれたという言葉通り彼の存在がしっくりくる。『精霊がいないルトヴァルトの王族は片翼をもがれたようなもの』という言葉が思い出された。
今ライハは翼を得た。何でもできる気がする。ライハがベランダに辿り着くと、数多の精霊が空にいた。
「見えるわ!みんな!見えるわ!」
こんなに喜んだライハの声を聞いたのは初めてだとヴェインは嬉しくなった。
「さあ、行こう!」
ヴェインに支えられてライハは空を飛んだ。
エムリーヌは慌ててライハを追った。話が違う。王太子を救ってくれる筈だったのではないか。
「あ、」
エムリーヌが空を見た時にはもうライハはどこにもいなかった。
「そんな……」
エムリーヌはベランダに座り込んだ。
ルトヴァルトへ数多の精霊を連れて戻ってきたライハをルトヴァルトの民たちは両手を振って迎えた。ライハが城へ向かっていると知った皆は仕事を放り出して城へ向かった。姫の帰還だ。こんなに嬉しいことはない。
「姫様!」
涙交じりのカークの叫び声が聞こえた。父とアマーリエも泣いていた。罪悪感から解放されたのだろうか。
ヴェインはライハを送り届けると国境へ向かい、巨大な壁を作った。ルトヴァルトの民だけが通り抜けられる壁だとヴェインは説明した。つまり、ルトヴァルト生まれではない父とアマーリエは国境を越えたら二度とこちらへは戻れないのだと言う。
そんな二人にヴェインは告げた。
「自分がどちらの国のために生きるのかしっかりと考えてから行動に移すが良い。多分フォールティルはもう長くない。風の精霊の愛する者への仕打ちを他の精霊も許さない」
アマーリエは自分の愚かな行いが母国を破滅へと誘ったことに気づき愕然とした。父が彼女を支えたのを見て、ライハは少しだけ残っていた父への想いを諦めた。やはり彼はあちら側なのだ。
ライハとヴェインはその後、片時も離れることはなかった。ヴェインは精霊王になり、精霊の国にライハを連れて行った。そこでの修練の日々は厳しくも温かいもので、ライハは自身が成長していくあまりの速さに躊躇うほどだった。
精霊の国にいた時に男女の双子を授かったライハは、子どもたちが五歳になる年にルトヴァルトへ帰ってきた。精霊の国とルトヴァルトでは時の進み方が異なり、ライハが不在だった期間は二年だったという。
子どもたちは自身の精霊と鍛錬を欠かさず、あっという間に国で一、二を争う戦力となった。子どもたちにクリスティナの面影を見た面々は、本来はライハもこうであったのだと、哀しい酒を呷る日が続いた。
アマーリエと彼女の夫は段々と国に居づらくなり、ついにはフォールティル王国へ帰国した。帰国した二人は、どうしようもないと思っていたエムリーヌが女王として立派に国を治めているのを知り驚愕した。
王太子は寝たきりのまま北の塔に幽閉され、アマーリエの兄の王と王妃が世話をしているという。世話を手伝える二人が戻ってきたと、喜んでくれたのはその二人だけだった。
年齢を重ねても三十歳くらいの頃の見た目のままのライハは、子どもたちが成長して孫が大きくなるのを見届けた後、数多の精霊に見守られながらヴェインと精霊の国へと旅立った。二人は今も精霊の国で幸せに暮らしている。
完