3−0 ルファイのレストランにて
「この前、僕あてに女の子用のドレスが届いてさ」
そこであえて言葉を区切ると、テーブルの向かいで夜の魔術師はひどく嫌そうな顔をした。
思い通りの表情を引き出せたことにシハースィが満足していると、魔術師はさらに嫌がる気配を深め、さっさと続きを話せと顎をしゃくる。
「ん、さすがに間違いかなって、思ったんだけど。サイズがさ、ぴったりだったんだよね」
「着たのかよ」
思わずというふうに突っ込んでから、彼は念を押すように付け加えた。
「……エスコート相手ならほかを当たれ」
「君の心底嫌がる顔、間近で見られる機会なんてなかなかないのに」
「やめろ」
「残念――……ん、なら、現の線路あたりで遊ぶのに使おうかな。最近、面倒なのがいる気配がしてるって聞いたし」
揺らしたグラスに視線を固定したまま、魔術師は、なにかを考えるように目を細めていた。
「夢側だが、冬のあいだは湖上の橋に列車を走らせる予定がある」
「もう手を打ってたんだ。なら、いいのかな」
「いや。暇なら遊んどけ。あくまで人間の都合ぶんしか動かさないからな」
「ふうん」
この人間の魔術師があえて自分を「人間」と強調するとき、そこには不思議な響きが宿る。
人間らしい繊細な感覚で、どれほどに些細な選択を重ねているのだろう。数で勝負をするのは弱い生き物の常套手段だが、面倒ごとを嫌うシハースィにはとうてい考えつかない、気の遠くなる作業に違いない。
次に運ばれてきたのは肉料理。ステーキだ。
あれ、とシハースィは内心で首を傾げる。
このレストランの調理法を気に入っている夜の魔術師が肉料理に煮込みを選ばないのは珍しい。であれば、この肉そのものが相当な代物なのだ。
給仕は簡単に「ステーキでございます」とだけ言い、あとは各々で確認しろとばかりに仰々しくカードを添えた。
「……長すぎ」
早々に読むのをやめたくなったが、そうもいくまい。シハースィは若干遠い目をしながら手もとのカードに視線を滑らせていく。
(まさかとは思った、けど)
この肉の出自を示したカードには、定番の牛・豚・鶏から羊・馬・猪はもちろん、鼬やら蛇やらといった変わり種、はてには明らかに肉には分類されない生き物の名まである。
そのどれもが夜に連なる要素だ。希少性はともかく一般の食材として流通のあるもの、というのが唯一常識的な部分だろうか。
つまりこの肉は、かつて生き物であったとき、カードに記された生き物の飼育場でそれぞれ一定期間飼育され、その名を持つにふさわしい質を与えられたということである。
「そういうもんだろ」
当然だというふうに魔術師は口もとに笑みを乗せた。
肉は複雑に霜と筋を走らせているが、ナイフはすっと入る。口へ運べば、まずはその舌触りのよさに驚いた。
「ん、名の定着もちゃんとしてる」
このように奇異な過程をたどった食材には専用の名称を、と考える者もいるらしいが、それでは意味がない。
名というのは、その対象を運命に紐づける。
ものを示すという実用の前に、時の奔流にさらわれないための枷でもあるのだ。
そのいくつもの枷を完璧な調和で得たこの肉は、贅沢な名にふさわしい贅沢な味がした。
それぞれの飼育場でどのくらいの期間育てられたかの計算でもしているのだろうか。じっくりと味わう魔術師の邪魔はせず、ただ、長きを生きる竜から見ても理解しがたい彼の静かなる狂気を思う。
――この男が名を失った、あの出来事とともに。