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月光は歪み咲う  作者: ナナシマイ
第二章 愛には躾を
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2−1 溺れるのは

 人ならざる者と交わった人間の辿る運命は二つに一つ。

 要素をその身に取り込むか、濃度に耐え切れず壊れるか。

 妖精や大した力を持たない竜や魔女などが相手ならば前者を掴み取れることも多いが、シハースィがオーナーを務めるのは、月光の竜の一族の店。月光の本家筋の者たちが生半可な要素を持つはずはなく、考えなしに手を出す人間はことごとく命を落とす。

(そもそも、この店に正常な思考を持った人間は来ないけど)

 さて、月光の要素を求めるあの人間は、どちらの運命をゆくだろう。

 人外の性行為とはすなわち、互いの要素を交えること。

 ゆえに達するときに溢れる要素はもっとも純粋なのだと伝えたとき、彼はどんな表情をしていたか。

(嘘は、言ってない)

 ただ、純粋な月光がどれほどの質量であるかを知っているかどうか、というだけのこと。


       *


 ここは高級娼館だ。

 バタンと激しく開かれた扉の音と、言葉にならない弱々しい叫び声、それから一散走りの足音がだんだんこちらへ向かってくる。もっとも秘された区間の廊下から現れたのは、しとりとした青い髪のなかで月光の目を爛々と輝かせ、素肌にガウンを羽織っただけというあられもない姿の美しい娘――シハースィの従妹だ。

 もう一度繰り返すが、ここは高級娼館だ。そして彼女は、この広間の奥、特別な部屋で商売することを許された、この店でいちばんの売れっ子。

(の、はずなんだけど――)

「え、なんで?」

 シハースィの呟きには答えず、彼女は向かいのソファに沈み込む。そのはずみで大きめのガウンがずれ、火照った肩が胸もとぎりぎりまで露わになった。

 この広間が限られた者しか立ち入れない場所であることがせめてもの救いか。幼いころから知っているシハースィが欲情することはないが、これは他人には見せられない、なかなかの痴態である。

 だいたい、従妹といっしょにいたはずの魔術師はどうしたのか。彼女のこのようすで死んだとは考えにくい。月光の竜と交わった人間の行く末など、よくよく知り尽くしているからだ。今さら取り乱すわけがない。

 なんとなく胸騒ぎがして、シハースィはようすのおかしい従妹を振り返り振り返り、彼らにあてがった部屋へ向かった。


 扉を開ければ、月明かりだけが灯る部屋の中、ベッドに浅く腰掛けたシャツ姿の魔術師が目だけでこちらを見た。

「ね、君、なにしたの」

「なにがだ」

 月の光を手にした男は、しかし上手く扱えておらず、手の中の要素が逆らうように暴れていた。圧縮せんと試行錯誤し、魔術に集中する表情はいたって平静だが、かきあげたように形を崩した髪と、腰もとの乱れたシーツが、先ほどまでここで行われていた事柄を示している。

(本当に、したんだ)

 ちぐはぐで、予想外で、愉快だ。シハースィは心がじわりと膨らむのを感じながら、魔術師に近づきその手を覗き込んだ。

「それ、扱えてないね」

「……月光の直系は、さすがに濃いな」

「でも溺れなかった」

 ここでようやく、魔術師はシハースィに顔ごと視線を向けた。

 そう、これは溺れることを前提に据えられた膳だ。しかしその事実を知った人間の、磨いた黒檀のような瞳に浮かぶのは、恐怖ではなかった。納得だ。思えば夜の魔女のところでも、この人間は同じような納得を見せていた気がする。

(いいね。僕らが、人間とは違う生き物なんだって、ちゃんと理解してる)

 ならば望み通り月光を与えて、それをどう使うのか眺めてみるのも愉快かもしれない。

「シャーラェにまとめさせたらいいよ」


「――で、なんだこれは」

「僕が知りたいんだけど。シャーラェ、なにしてるの」

 部屋を出たふたりを待ち構えていたのは、冷めやらぬ熱といかがわしさを携えた娘の姿。

従兄(にい)さん。私、今夜はもう客をとらないから――……ね、今夜は暇なの」

 自らを抱きしめながら告げられた、明らかな職務放棄と夜のお誘いに、シハースィは従妹の変貌ぶりを驚きながら見つめた。

 縋るような手に引かれ、魔術師は娘の隣に腰を下ろした。ゆったりとした動きはまんざらでもないように見え、とても情事のあとに娼婦を放ったらかしにしていた人間とは思えない。

 これはなかなか自分の魅せかたをわかっている者の動きではないか。

「ほう」魔術師が浮かべたのは、明確に、女へ向けるための笑みだった。「ずいぶん気に入ってくれたようだな」

「とってもね。人間の男にときめいたのは初めてかも」

 もじもじと脚を動かし、魔術師に身体を寄せるシャーラェ。

「情熱的で、かといって力任せでもなくて……でも、でも、繊細というわけでもなくて」

「シャーラェ。そういうこと言わない」

「従兄さんは男だから彼の魅力がわからないんだよ」

「あのね」

「この店は、客の情報をべらべら喋るよう教育するのか?」

 緩やかに温度感を変化させながら、魔術師の笑みはシハースィへと向けられた。

 が、少しでも目を逸らすことは許さないとばかりに、シャーラェの両手が魔術師の頬に添えられ固定される。シハースィに向けた冷酷さを湛えたままであるが、その程度のことで大人しくなる竜ではないのが幸か不幸か。

「あなたが嫌なら、ちゃんと秘密にしておく。ね、だからもう一回」

「……そんなに、なんだ」

「なるほどな」

 ここまで催促させるとは、従妹はこの人間を相当気に入ったらしい。たまには息抜きをさせてやってもいいかと、シハースィが今夜の調整に思考を割こうとしたそのとき。

「竜の本質は獣か。どうりで、調教されたがるわけだ」

「え」

 シャーラェの顎に手をかけた魔術師。その指が、そっと唇をなぞった。

 今、なにを言われたのか、彼女はわかっているのだろうか。口づけを期待するような娼婦の目を、そうと理解しつつも間近で見つめ返し、魔術師はひどく甘やかな声色で告げる。

「自分で溢れさせたものくらい、自分でまとめられるな?」

「はひ……」

(あ、堕ちちゃった)

 ともすれば恋人にも見える距離感。それは本来、シャーラェが客に夢を見させるために取る手段であるはず。

 が今まさに逆の立場を経験中の娼婦は、さらに、情事の最中に自らが溢れさせた月光の要素を目の前に掲げられるという屈辱を味わわされていた。

「あれ、私、こんなに……?」

 さすがにそこで我に返ったのか、シャーラェは魔術師の手ごと月光の要素を包み、人間に扱えるよう落ち着かせてやった。職業病なのか、羞恥はあまり感じていないらしい。

 それから握った魔術師の手を離すか離すまいか悩むようなそぶりを見せ、けっきょく離す。「お預けにしたほうが、次も盛り上がるし」などと呟きながら、彼女はしとやかにしなやかに立ち上がった。

「まだ熱が冷めないから、もうちょっと。向こうで出してくるね。さっきのも返して。まとめてきちゃう」

 魔術師の手から月光の要素を奪い、ずり落ちていたガウンの襟を肩にかけ、くるりと踵を返すシャーラェ。

「え、ひとりで?」

「ひとりで!」

 思わず突っ込んだシハースィに、元気のよい声が返ってくる。

(……うん、あんまり我に返ってなかった)

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