縁の下の舞いですわ
「シーラ、紹介するよ。王家の影であり、今後君を守ることになるエヴァだ」
「シーラ様、エヴァと申します。どうぞよろしくお願い致します」
「ランツ家が長女、シーラ・ランツです。エヴァ様ーー」
「シーラ様、どうぞエヴァとお呼び下さい」
「分かりましたわ、エヴァ、どうぞよろしくお願い致しますね」
嬉しさを隠しきれないまま挨拶を返すシーラ。
だが未来の女傑として体がぷるるっと震えてしまうのはどうにか抑えきることが出来た。流石未来の女傑と心の中で自分を褒める。
(ぬほぉおお!エヴァは王家の影ですわ!素晴らしいです!)
そんなシーラの心情とは裏腹に、目の前にいるエヴァにはなんの感情もない。
スンとした顔で護衛対象としてシーラを見ているだけ、だがそれがまたグッとくる。
きっと仕事だから仕方がなくシーラにつくのだろう。
上司の命令は絶対。
歴史を深く嗜むシーラには諜報員の行動はよく分かる。
(フッフッフ……ですがこのシーラ・ランツ、いつか本当の主人としてあなたに認められてみせますわ!エヴァ、笑顔の準備をして待っていなさいっ!)
そんな決意をシーラが勝手に固めていることなど、ウィリアムもエヴァも気づきはしない。
不敵に微笑むシーラは、今はまだただの可愛い少女でしかないのだった。
「シーラ、エヴァはね、変装の名人なんだ、だからシーラの学園にもついて行くし、勿論シーラの学園生活の邪魔にならないようにひっそりと見守るから安心して欲しい」
「へ、変装、ですか?!」
「うん、そう、変装しないと流石にエヴァは学生には見えないからね」
シーラはスンとした表情なままのエヴァに視線を送る。
見た目は二十台半ばと言ったところだろうか?
背はそれ程高くなく、体に余計な肉もついていない。
制服を着れば学生には見えなくもないが、今のままではイタイと思われるのが相場だろう。
「シーラ様、私は絶対に気付かれることはないと言い切れますのでご安心ください」
シーラの心を読んだかのようにそう答えるエヴァ。
心なしかムッとしているように見えるのは、シーラがイタイと思ったからだろうか。申し訳ない。
「ハハハ、シーラ、大丈夫、エヴァは変装のプロだからね。素人な学生たちが見ても誰も気付かないよ。エヴァを知ったシーラだって気付かないと思うよ。どの学生がエヴァなのか分かったらきっとシーラも諜報員になれるだろうね」
ハハハハッと笑うウィリアムの横、シーラはそれもありかもと心が揺れる。
諜報員シーラ・ランツ。
なんだか物語の主人公のようで、辛辣令嬢という二つ名よりもいいのではないだろうかと、婚約者ウィリアムにとっては困る思考に陥る。
「シーラ様、我々は幼いころから教育を受けておりますので、シーラ様が今から諜報員をめざすとしても流石に無理がございますよ」
やっぱり心が読めるのか、エヴァはシーラへとそんな言葉を掛けて来た。
そして諜報員は無理だと言われガックリと肩を落とすシーラ。
自分が思っているよりもシーラは考えていることが顔に出やすいだけなのだが、女傑の卵だと自負しているシーラがそんな事に気づくはずもなく、諜報員は変装だけでなく心も読めないとダメなのかと、自分付きになるエヴァの能力の高さにも感動していた。
「そうなのですか、残念ですが諜報員は諦めます。それに私にはウィリアム様の婚約者という役割もあるので仕方がないですね……なので諜報員は来世の職業にいたします!私シーラ・ランツ、来世は昆虫王になりますわ!」
ふんすと気合いを入れるシーラ。
何故そうなるとウィリアムは苦笑いだ。
ただその後ろ、昆虫王と聞いて無表情だったエヴァの口元が少しだけ緩んだことに気が付かないシーラだった。
「シーラ、忘れ物はないかい?大丈夫かい?」
入学式も無事終わり、今日から通常の学園生活が始まる。
学園の制服をきっちり着こなすシーラはどこからみても優等生。生徒の見本そのものと言える。
なのに父アティカスは昨夜から大丈夫か大丈夫かとうるさくて仕方がない。まるでシーラが何か問題でも起こすと思っているようだ。失敬である。
まあ父アティカスの心配症はいつものこと。
シーラは「大丈夫ですわ」と答えながらも、父の小言など全く気にしてなどいなかった。
「お父様、大丈夫ですわ。この私の辞書に ”忘れ物” などという文字はございません。どうぞ安心して屋敷内で気楽に過ごしていてくださいませ。果報は寝て待てと言いますでしょう?」
「シーラ……頼むよー、そう言うことを言うから父は心配になるんだよ。いいかい、君は第二王子ウィリアム様の婚約者なのだよ。ちょっとしたことでも醜聞になる。頼むからウィリアム様の迷惑になるようなことはしないでくれよ。平穏無事、それを心掛けて生きるんだよ、いいね、分かったね」
シーラが父アティカスやウィリアムに迷惑や心配をかけたことなど一度もないはずなのに、父は胃を押さえげっそりとした様子でそんな事を言う。
(お父様は勝手に私の心配ばかりをしているから、後頭部が気になるような状態になるのですわ)
「はいはい」と素直に頷きながらも内心そんなことを考えるシーラ。
何せシーラは読書好きな大人しい女の子。ウィリアムに迷惑をかけるような事をするはずかないと自負している。
もし何かあるとしたら図書室で事件が起きた時ぐらいだろう。
父アティカスが心配性すぎるのだ。全く困った父である。
シーラは笑顔を浮かべながらも心の中でため息をついていた。
「おねーさま、マティはごぶーんをおいのりしております、がくえんではてんかをとってくださいませね」
可愛い声が聞こえシーラの気分は上昇する。
目に入れても痛くもない、ランツ家の小さな英雄、マティアス・ランツの登場だ。
「まあ、マティアス、ありがとう。お姉様は必ずあの学園を支配して見せましょう。貴方の自慢の姉として悪女になるのもよんどころなしですわ」
「ふぉおお、おねーさま、あくじょですか!かっこいいです!」
「ふっ、ふっ、ふっ、普段は首席の優等生、だがその正体は学園を支配する悪女シーラ・ランツ! マティアス、どうです、お姉様はカッコいいでしょう?」
「おねーさま、かっこいいです、さいこーです!」
シーラの影響を受け育った弟のマティアスが目を輝かせてシーラを見る。
王子の婚約者であり、辛辣令嬢であり、学園首席で、その上悪女でもある姉のシーラは、マティアスの憧れそのもの。自慢の姉上なのだ。
下手な英雄伝を読むよりも姉を見ている方がよっぽどいいと思う三歳児マティアス。
そんな子供たちを見て父アティカスは尚更胃が痛み出した。
「シーラ、もういいから行きなさい、学校に遅れてしまうよ」
始業時間まではまだ充分に時間があるが、父の小言を聞くのも面倒なのでシーラは行って参りますと挨拶をすると馬車に乗り込んだ。
車窓から見た父アティカスは、何故だか朝よりも十歳ほど老けた気がした。
(きっとお父様はまた薄くなりますわね……お気の毒に……)
笑顔で手を振るシーラを見送りながら、父アティカスは胃がキリキリと痛くなる。
「おねーさま、てきにようしゃはいりませんよー」と叫ぶ息子がまたその後押しをしている気がして胸まで痛みだした。
(はぁ、この場に妻がいてくれたなら……)
妻セレナはただ今3人目を妊娠中。
そのため実家へと戻っているのだが、学園生活が始まるシーラを思うと、妻が側にいてくれたらどんなに自分が心強かっただろうかと、父アティカスはそう思っていた。
そんな中、シーラを乗せた馬車は屋敷をでると、順調に学園へと向かっていた。
(さあ、今日から女傑シーラ・ランツの新章の始まりですわよ!)
新しい生活を前に希望溢れるシーラには、心配や不安など何もないのだった。