Part.1
今日は八月二十五日。休みもあと一週間を切ってしまっていた。宿題は全て終わっている。だから後は休みを楽しむだけなのだが、楽しみ方は人それぞれだ。俺は独りでいるのが好きなので、一人でいろいろ出かけることにしていた。
しかしながら、今日は一人ではない。日曜日なのだが、部活ではない別の予定が入ってしまっている。残念極まりないのだが、出かけるのが昼過ぎなのは不幸中の幸いだと言えよう。あと数時間はのんびり出来るだろう。そう思い、俺はアイスコーヒーを片手にテレビの電源を入れた。その瞬間、チャイムが鳴った。来訪者か?誰だか知らないが、なんて空気の読めないやつだ。まあいい。どうせ、郵便か何かだろう。俺はアイスコーヒーをテーブルに置くと、インターフォンに応じた。
「はい」
貴重なのんびりタイムを邪魔されて、若干機嫌の悪い声が出てしまった。
「あ、あの成瀬さんですか?」
声で解った。なぜあいつがこんな時間にここに来るのだろうか。
「当たり前だろう、ここは俺の家だ」
「あ、そうですね。えっと、わたしです。岩崎です」
名乗るとおり、俺ののんびりタイムを邪魔して、こんな朝早くにやって来たのは岩崎だった。
「何か問題でもあったのか?」
でなけりゃ、ここにこんな時間にやってくる理由が俺には見当たらない。さしずめドタキャンといったところか。いや、それじゃあここに来る理由にはならないか。俺が理由を考えていると、
「え?いや、別に何もありませんけど」
などと、頭の上に疑問符を浮かべているような声で返事が返ってきた。こっちが聞きたいところだが、まあいい。せっかく来ているんだ。わざわざインターフォン越しに話す意味もないだろう。俺は玄関に向かい、ドアを開けてやった。すると、
「…………」
間違いなくドタキャンではないな。準備万端といったところか。そこには若干頬を紅潮させた岩崎が立っていた。
「お、おはようございます!」
岩崎は浴衣を着込んでいた。もうお解かりだろう。いつぞやの約束どおり、今日は花火大会の日である。なぜだか俺と岩崎の二人で見に行くことになったのだが、岩崎の強い要望により中止になることなく二人で出かけることになったのだ。
俺はもう一度岩崎を見る。自分で選んだのか友人と買いに行ったのか、どちらか知らないが、あつらえたように似合っていた。黄色は元気すぎる岩崎のイメージにぴったりだ。ひまわりのコサージュも俺のイメージと合致している。普段は、肩くらいまでの髪をそのまま下ろしているだけなのだが、今日は高い位置で結い、アップにしている。あまり見ない岩崎である。
「集合時間は一時だったはずだ。それに場所は駅前だろ」
「細かいことは言いっこなしですよ。それより中に入れて下さい。お邪魔しまーす」
半ば俺を押しのけるようにして中に入る岩崎。俺ののんびりタイムを邪魔するやつは帰ってもらいたいのだが。
俺がため息交じりにリビングに戻ると、ソファーに座り、俺が自分のために入れたアイスコーヒーを飲んでいた。こいつ、何様のつもりだろうか。
「そういえば、成瀬さんは何を着ていくんですか?」
「俺は普段着だ」
残念ながら浴衣なんておしゃれなもの持っていない。当然普通の服で行くしかあるまい。俺の中では、当然だったのだが、
「ダメですよ!成瀬さんも浴衣じゃないとアンバランスになってしまいます。成瀬さんも浴衣を着て下さい!」
こいつの中では当然ではなかったようで、こんなことを要求された。
「だから持っていないんだよ」
「では買いに行きましょう」
何を言いやがるんだ、こいつは。なぜ今日だけのために買わなきゃいけないんだよ。そもそも、年に数回しか着ないものを買うなんて、もったいないことできる訳がない。
「お断りだ」
「ダメです!許しませんよ、浴衣以外」
毎度思うが、面倒なやつだ。結局俺が折れることになり、妥協案として、借りることになった。
それからしばらく家でくつろいで、出発することになったのだが、その間岩崎は妙なテンションの高さでずっと楽しそうにしゃべっていた。かと思うと、突然そわそわし出したり、キョロキョロしたりと、とにかく落ち着きがなかった。落ち着きがないのはいつものことだが、俺の目には空元気のように見えた。無理矢理いつもどおりに振舞っているような感じがした。理由は解っている。解っている分、俺としてもどうする事も出来ず、いつも以上にせわしなく動く岩崎に対して、俺は、岩崎にエネルギーを吸収されているのではないかというくらい、なぜだか疲労を重ねていた。
そして、時計が十二時を指したころ、出発した。
ちなみに昼食は食べていない。岩崎曰く、屋台でたらふく食べるためらしい。俺はたらふく食べられなくていいから、今昼食を取らせろ、と言ったのだが、拒否された。理由は、
『私だけ食べまくっていたら、私が大食漢だと思われてしまいます』
だそうだ。そんなことは俺の知ったこっちゃない。
いささか早すぎる出発のように感じていたのだが、それは俺の浴衣を選ぶためだと岩崎は言っていた。しかし、実際は二人きりという空間が息苦しかったのからではないかと俺は思う。それだけ何やら気まずい空気が流れていた。どうしたもんかね、この状況。
岩崎の情報によると、花火大会の会場の近くに貸衣装があるらしいので、早速行ってみる。当日と言うこともあり、中は大変な込みようだった。花火は嫌いじゃないし、きれいだと思うのだが、人ごみは嫌いだ。そんな俺を無視するように、店内に突入する岩崎。仕方ないので、俺も後に続く。
「いらっしゃいませ!」
「あの、男性用の浴衣はどこにありますか?」
岩崎が店員に聞くと、店員は俺の顔をみて、にこりと微笑み、
「こちらですよ」
と案内してくれた。
案の定、男物のスペースはかなりちんまりしていて、他に客はいなかった。
「成瀬さんはどんなものがいいですか?ちなみに予算は?」
「地味なやつ。なるべく安めで」
俺の応えに岩崎はため息。女性店員は楽しそうに笑っている。
「こんなのはいかがですか」
「あー、いいんじゃないか」
「ではこれはどうでしょう」
「おー、それもいいな」
「どれでもいいんですね?」
「よく解ったな」
こんな調子だったため、浴衣のチョイスは岩崎に任せた。決まったのは、濃紺でほぼ無地という実にシンプルなものだった。俺は二つ返事でOKを出す。
「もう着替えちゃいますか?」
「ええ、そうですね。お願いします」
俺は着付けなど出来ないのだが、と思っていると、店員が口頭で説明してくれた。どうやら簡略化されたものであるらしく、素人でも簡単に着付けるようになっているようだ。俺はさっさと着替えて外に出た。
「うん!似合っているんじゃないですかねー」
と実に適当な返しをされた。
「成瀬さんって、案外なんでも似合いますよね。それとも選んだ人のセンスがいいからですかね」
ほのかに自慢。無視してもよかったのだが、あまりにも自慢げだったために、俺としても何か言い返さないと負けた気分になってしまう。だからとりあえず一言。
「他人の見立ても出来たんだな」
「それじゃあまるで私が自分のことしか……」
と若干青筋を立てたところで不自然に止まり、固まってしまった。
「どうした?」
と聞くと、こほんと一つ咳払いをして、
「それは、私の浴衣が似合っているということですか?」
「あー、まあそうだな」
そう言いたかったわけではないのだが、自ら墓穴を掘る必要はないだろうと思い、適当に流しておいた。何か、恥ずかしいから遠まわしに褒めた、みたいになっていないだろうか。皮肉を言ったにもかかわらず、全く逆の意味に捉えられてしまい、若干納得いかない感じではあったが、
「ほ、本当ですか!」
とあまりに嬉しそうにしていたため、
「ああ」
と言って終わらせた。
俺の浴衣を選び終えたので、店から出ようとしたとき、店員に声をかけられた。
「彼女さんも何か見ていかれませんか?」
「え?わ、私は別に……」
「うちでは小物も取り扱っているんですよ」
「え?ですが……」
俺の様子を窺う岩崎。この店員、なかなかのつわものだな。商売上手である。
「見て来いよ」
「え、いいんですか?」
気になっているんだろ。それもかなり。後々後悔されても、後味が悪い。それに、少し考える事もある。岩崎だって、一人になったほうが落ち着けるのではないか。
「俺は外で時間つぶしているから、荷物よこせ」
「はい、すみません」
「いや」
そこは、ありがとうございます、だろう。