bittersweet love
一ノ瀬陽鞠は香川県に帰ってきた。懐かしさを感じる匂いに、ここ丸亀市が自分が生まれ育った町なんだと実感していた。
電車のドアが開きホームに降り立ったところで大きく深呼吸。そして改札を抜けて、ポケットからスマホを取り出し時間を確認して、待ち合わせの時間まで時間があることに小さくため息をついた。
実家に帰るだけなので、このまま駅を出ても別に構わないのだが、妹が迎えに来てくれることになっている。その妹は、友達の家からこちらに向かうと言っていた。さらに妹はスマホを持っていない。すれ違いになるのを避ける為、仕方なく近くのベンチに座り待つことにした。
幸いにもこの駅は小さい。じっと待っていれば絶対に見つけてくれる。ベンチに座るまえに買った水を飲みながら、いままでのことを考えていた。
「はぁ……、福岡の大学に行って、あっという間に卒業して地元にまた帰って来るなんてね」
香川県にある丸亀という小さな町で高校を卒業するまで陽鞠は育った。そして、県外の大学に行くことを目標にして、勉強を頑張り推薦で福岡の大学に受かった。そこで大学生活を送り香川の小さな企業に、就職する為に帰ってきたのだ。
一瞬、強い風が吹き膝元に数枚の花びらが、ひらひらと舞い落ちてきた。陽鞠は、それを見て感慨にふけった。
「桜かぁ」
「そう言えば、高校の桜並木が奇麗だったなぁ、ちょっと見に行ってみようかな」
妹が駅に来るまで、まだ時間がある。そして、ここから学校までは近い。そう思ったと同時に足を進めていた。
駅の北口の出入り口を抜けて、真っすぐ進んだところにある川のところで一度、信号機に引っかかった。
「懐かしいなぁ、あんまり変わってないわね」
陽鞠が通っていた高校はもう見えていた。信号が変わり、川を渡ったところで足を止めた。
目の前に、過去に通っていた学校が変わりなくそこにあった。
「学校も変わってない……」
陽鞠は学校の正門前で、懐かしさを噛みしめていた。この学校を囲むように桜の花が咲いている。懐かしんでいると、小さな風が吹いて桜の花が舞った。陽鞠の短い髪が風に揺れて目を細めた。そして、やわらかい風の中、あの頃のことを思い出していた。陽鞠の初恋はこの学校にいるときに始まり、ここで終わりをむかえた。
「……短い初恋だったなぁ」
目を細めて高校時代を思い出していた……。
駅の南口を出てすぐに、寂れたアーケード街が広がっていてテナント募集の紙が、あちこちに張られている。そのアーケード街を抜けて、信号を渡ったところに大きな複合施設がある。この町に住む、ほとんどの人がここで買い物をする。
高校に入学してから初めての冬休みに、陽鞠は4歳年の離れた妹とその大型施設に来ていた。
「ねえ、まだなん?」
小物売り場で、ため息交じりに陽鞠は呟いた。
「うん、もうちょっと……」
と、答えるわが妹、一ノ瀬小鞠を見た、というか見上げた。陽鞠の身長は150センチくらいで、小鞠の身長が165センチ程。さらに小鞠は腰まで髪を伸ばし薄く化粧をして、色っぽさを醸し出していた。小学6年生だとは、とても思えない。陽鞠はまるで化粧っけがなく、髪もおかっぱで色っぽさのかけらもない。さらに小鞠の持つポーチは、中学生の間で人気のおしゃれなものだった。逆に陽鞠は、小学生のころから使っている少し大きめのバッグを肩にかけていた。(私のほうが4歳も上なのに……)と、心の中で悪態をついた。しかも、この妹は私をお財布代わりにこの場に連れてきたのだ。
「はぁ……、もう早くしてや!」
「わかっとるきん、でもお姉ちゃんヒマやろ? もう少しくらいええやん、お金もだしてもらわんといかんし……」
そう言うと奥の棚へと走って行った。
陽鞠は心底あきれたような声で返した。
「やっぱり私がお金をだすんか。ま、ええけど……」
そう言って一歩後ずさりした時に、誰かにぶつかって肩にかけていたバッグを床に落としてしまう。そして、陽鞠自身も倒れそうになる。
「きゃっ!」
陽鞠は大きく目を閉じ、小さく悲鳴を上げた。が、倒れることはなかった。誰かの手が脇の下から伸びていて背中に人の気配を感じた。そして、後頭部の上から声が聞こえた。
「大丈夫?」
その声に自分がぶつかった相手に、支えられていることに気づき慌てて体勢を立て直した。
「ご、ごめんなさい」
恥ずかしさから顔を下にそらして、相手に聞こえるかどうか、わからないくらいの声量で答えた。
「そう、よかった。あと、これバッグ、じゃあね」
それだけ言うと、男の人はその場から去っていった。
陽鞠は呆然と立ち尽くしていた。一瞬ではあったが相手の顔を見た。その一瞬でときめきが走った。
同じ年くらいだろうか? 若しくは上かな?
初めての感覚に固まってしまった。そこに戻ってきた小鞠が話しかけてきた。
「お姉ちゃん……、どしたん?」
陽鞠には何も聞こえていないようだ。
冬休みが終わり陽鞠は学校に来ていた。普通科が1年から3年を含めて全12クラス、情報処理科が3クラス、校舎はH型をしている。また、一本道を挟んで東側に女生徒しかいない商業科があり、そちらには全部で800人程の女生徒がいる。陽鞠がいるのは普通科だ。H型の南側の1階の西の角にある1年1組の教室。その教室の窓際の一番後ろの席に陽鞠はいた。
一人の生徒が話しかけてきた。
「そろそろ移動せんと遅れるよ」
しかし、陽鞠は上の空だ。にへらとだらしない表情をしている。
「なぁ、陽鞠! 聞いてる!」
「あ、さっちん、なんか用?」
だらしない表情のまま答える。
「なんか用じゃないよ。3月期初日からなにしとん。移動だよ、体育館でもうすぐ朝礼始まるきん」
そう答えたのは、小学生時代からの腐れ縁 中谷幸だ。
陽鞠と幸は、高校入試に失敗をして予備で受けた藤吉高等学校に入学した。幸は地元で有名な商業高校を受けたが落ちてしまい、陽鞠はデザイン科のある高校を受けたが、定員が20人に対して、推薦ですでに半分が決まってしまっていて、さらには一般入試人数が例年の6倍いた為に、陽鞠の入る隙はなっかた。おかげかどうかは何とも言えないが、幸は藤吉高等学校の商業科に入り、陽鞠は普通科へと入学した。
普通科と商業科の校舎は、道を挟んで分かれていて体育館は普通科の校舎側にある。商業科の生徒は全員道を渡るか、道の下にある食堂に行き、そこから地下通路を渡って、普通科側に行くことになる。つまり、幸は体育館に行くついでに陽鞠のいる教室に立ち寄ったのだ。
「ほら、行くよ」
幸は陽鞠の手を取って、いつまでも椅子に座ったままの彼女を立たせた。
「あん、ちょっとぉ! 乱暴にせんとって!」
ボケっとしてる所を急に立たされて文句を言った。それに対して冷たい態度で幸は返した。
「もう、先行くきんな」
一言だけ言うと幸は歩き始めた。
「ちょ、ちょっとぉ、待ってよぉ」
慌てて後を追いかける陽鞠だった。
「それで、何をボーっとしとったん?」
教室を出て、校舎の西に出ると裏門側に出る。そこは教師用の駐車場があり、その右手側に体育館がある。幸は、その駐車場のあたりで聞いた。
「何かええことでもあったん?」
半分、どうでもいいみたな感じで幸は聞いた。それに対して陽鞠は満面の笑みを返した。
「聞きたい? 聞きたいよねぇ」
「実は運命の出会いをしちゃってさぁ」
陽鞠はノリノリで答えてた。
「はぁ……、運命ですか……」
その後は普段大人しく無口な陽鞠が、饒舌に昨日のことを語りだした。要約するとカッコいい男の人に出会って、ひとめぼれをしたという話だ。
「話は後でまた聞くきん、もう朝礼始まるって」
幸は強引に話を終わらせて、体育館に陽鞠を引っ張った。
そして、校長先生の挨拶から始まった、この朝礼は30分ほどで終わった。その間も陽鞠はずっとニヤけていた。朝礼が終わり生徒たちが体育館から出てきた。ここから教室へ戻るには、駐車場側から戻るか、北側にある運動場へ出るかになる。商業科の生徒は運動場へと出て、北側の普通科校舎を通り地下にある食堂へと向かうか、地上の道を渡るために普通科側の正門を抜け、商業科側の正門へと入り、自分たちの教室へと向かう。情報処理科は北側の普通科と同じところにあるため、彼らも運動場へと流れて行くことになる。さらには、普通科の3年生もそちら側を使う。なぜなら彼らの教室もH型の校舎の北側にあるからだ。つまり、駐車場方面へと帰ってゆくのは普通科の1年か2年がほとんどなのだ。
そんな中、幸は陽鞠の話につきあうために、駐車場側を歩いていた。
「ふ~ん、そんなにイケメンだったん?」
「うん、もうどストライク中のどストライクや!」
「さいですか……」
陽鞠はニコニコしていた。そんな彼女に冷たく言い放った。
「でもさ、名前もわかんないし一瞬顔を見ただけやろ」
「う、うん……」
「もう、会うこともないんじゃない?」
陽鞠の表情がだんだんと曇ってゆく。
「わ、わかんないじゃん、そんなの……」
そう言って運動場のほうを見た。そこに体育館から運動場方面に行こうとする男の子がいた。
「あ……」
見間違いかもと思い目を凝らして、もう一度よく見る陽鞠。たくさんの商業科の女生徒と情報処理科や普通科の3年生に交じって、やはり昨日の男の子がいた。
「……いた」
友達らしき人物何人かと話している中に、昨日の男の子が交じっている。
「いたよ、幸!! いたんよ!」
「同じ学校だったんや、こんな偶然てあるんや!」
陽鞠のテンションは上がっていた。
「え~、どれよ、どれ?」
幸は適当に探していた。本気で見つける気はないらしい。
「とりあえずさ、いたんなら声でもかけてみたら」
探すフリをしながら幸は陽鞠に聞いた。
「え、はずかしいからええよぉ、それに同じ学校ならいつでも会えるし……」
「あ、さいですか」
陽鞠は、男の子が校舎内に消えるまでその場に立ち尽くしていた……。
あれから数日がたち、陽鞠はストーカーと化していた。男の子は3年3組の津崎修平。帰宅部らしく部活をしている様子はない。今、陽鞠が手にしている情報はこれだけだ。それでも陽鞠は幸せだった。放課後、帰り支度をしながら幸が飽きるほどに彼のことを話していた。幸は陽鞠と一緒に帰るため、普通科の校舎に来ていた。なぜなら家が近所で幼馴染みだからだ。さらに駐車場側にある裏門からの方が帰り道として近いのだ。二人とも部活動はしていないし、普通科も商業科も授業が終わるのは、ほぼ一緒だ。二人は今日もいつものように、駐車場から裏門を出て西へと歩き出した。
彼女らは徒歩通学だ、家までは10分もかからない程近い。その短い距離の帰宅途中でも陽鞠の津崎話は続く。
「ほんとにイケメンなんだから、同じ学校なんて奇跡だよ、ねぇそう思わん?」
「はいはい、イケメンイケメン……、ていうかあれからもう一週間やん? 聞き飽きたんやけど……」
「なんで? あ、これは今日知ったんやけど彼、結構真面目みたいで掃除なんかも率先してやるんだよ」
「さいですか、んなことよりええの?」
幸はこの一週間の陽鞠の行動に疑問を投げかけた。
「あ、なに……?」
「だってさ、な~んも進展してないじゃん」
「……ぐっ」
陽鞠は言葉を詰まらせた。
「ウチは今のままで十分満足してるんやから、それでええやろ」
「あ、そう」
幸は大きくため息をついた。
「で、明日も朝からストーカーすんの?」
「何言ってんの? 見守ってるだけや!」
陽鞠は心外だと言葉を荒げた。
そんなことをしている間に、家に着いた。
「じゃあ、また明日な~」
「うん、幸も気~つけて帰ってね」
二人は陽鞠の家の前で別れて、幸は隣の家へと入っていった。
「ただいま」
陽鞠は玄関先で母親と出くわした。
「あ、おかえり~」
「あれ、おかあさん、どっか行くん?」
「今から買い物行ってくるきん」
「えっ! 今からっ!!」
大げさに驚く陽鞠。
「あんたについてき~とか言わんから、それより小鞠の面倒みとってや」
その言葉に肩をおろす陽鞠だった。
「じゃあ行ってくるきん、あとよろしくね」
「あ、うん、いってらっしゃ~い」
母親と別れた陽鞠は、自分の部屋に行き荷物を置き、制服を脱いでTシャツと短パンに着替えてから、廊下を挟んで向かいにある小鞠の部屋を、ノックもせずドアを開ける……が、そこに妹はいなかった。ドアを閉めずそのまま階下のリビングに向かう。自分よりも身長の高い妹は、ソファーに座りテーブルにノートを広げて勉強をしていた。
「もう! またここで勉強? あんたがここで勉強すると、ウチにも飛び火するからヤメてって言ってるじゃん!」
悪態をつく陽鞠に、小鞠は冷静に返した。
「誰もいないリビングでするのが一番はかどるんや……、ていうかもう帰ってきたん」
広げていたノートを閉じて、リビングを出ようとする小鞠に陽鞠が慌てて声をかけた。
「ちょ、ちょっとぉ! どこに行こうとしてんの?」
「うるさいなぁ、お姉ちゃんがいたら静かに勉強できないんや」
「いいから、話聞きなさいよぉ!」
小鞠の右腕に絡みついて離すまいとする陽鞠。
「どうせ、いつものセンパイの話やろ」
「え? そうやけど……」
キョトンとする陽鞠に、あきれ顔で対応する小鞠。
「ここ一週間、同じことばっか言ってんじゃん、話が進展するわけでもないし……」
「べ、別にいいじゃん……」
「お姉ちゃんはよくても、私はよくない! いいかげんにしてや!」
陽鞠の絡みつく腕をひっぺはがして、自分の部屋へ行ってしまった、妹の背中を見ながら陽鞠は呟いた。
「……ちょっとくらい聞いてくれてもいいじゃん」
陽鞠は、一人になったリビングのソファーに座った。
「……わかってる……わかってるけど……そういうことじゃ……ないんや……」
暗くなりかけたリビングで独り言を言っていた……。
ある日の朝、陽鞠は正門前の一本の木の影に隠れて、先輩が登校してくるのを待ち伏せていた。
「あ、来た……!」
修平は陽鞠には気づく様子もなく、自分の教室へと歩いてゆく。その後を気づかれないように歩き出す陽鞠。3年3組の教室は、陽鞠の教室がある校舎の反対側の3階にあった。修平が教室の中に入っていくのを確認して、満足な顔をしながら1年のある校舎へと帰っていった。
昼休み、昼ご飯を食べ終わってすぐに教室を出て、1年校舎の1階東にある図書室へと向かった。陽鞠が図書室に入った時には、すでに何人かの生徒が利用していた。そんな彼等には目もくれず、一番奥の席に座った。陽鞠が入ってから数分後、一人の男子生徒が図書室の中に入ってきた。津崎修平だ。修平は中央のテーブルの一番手前の席に腰かけて、右手に持った文学小説を広げて読み始めた。
陽鞠は、両手で持った大きなサイズの本に顔を隠しながら、修平を見て顔をほころばせている。それは、チャイムが鳴るまで続いた。
チャイムが鳴ると同時に、本を閉じ静かに立ち上がる修平。そして、図書室を出て教室へ帰っていく彼を、追いかける。彼が教室に入るのを見届けて、一人ウンウン頷いてから自分の教室へと帰っていった。
ある日の昼休み、幸が陽鞠の教室に来ていた。
「幸! どしたん? なんか用?」
幸は商業科の生徒だ、昼休みの時間にこっちに来るのはめずらしい。
「職員室に用があったから、そのついでに寄っただけや!」
職員室は1年6組と図書室の間にある。確かに職員室に用があったのなら、ここに立ち寄ってもおかしくはない。
「なに、なんかやらかしたん?」
「あんたと一緒にすんな! プリントを持っていっただけや!」
陽鞠の言い方にかるくキレ気味に答える幸。
「こっちには、ついでで寄っただけやし」
「? ついで?」
「そうや、陽鞠さ、いつまでこの状態続けんの?」
幸の疑問に何を言ってるのか、わからない感じで返答を返す陽鞠。
「何の話?」
「ストーカーっ!! その度に津崎先輩のことを聞かされるの、メンドウなんやけどっ!」
あきれた声で幸は返した。
「だからっ! ストーカーなんかしてないっ! 休み時間とかに見に行ってるだけやん!」
「それをストーカーっていうんや」
幸は完全にキレた。
「3学期始まってからずっとやん! 出会った時から始まり、名前はなんだぁとか、昼は図書室にいるとかさ、毎日毎日聞かされてウンザリしてんの!」
「えぇ~、ええやん、別に~」
ふてくされた顔をして、上目遣いで幸を見る陽鞠。
「とにかく!! 聞き飽きてんの! せめて、休みの日の朝に家に来て夕方まで語るのヤメて!」
幸は涙目で見てくる陽鞠に、真剣な顔つきで答えた。
「えぇ~、わかったよ~、これからは午前中だけにする~」
「はぁ、わかってないやん……」
幸は天を仰いだ。
卒業式まで数日となったある日……。
陽鞠は日課のように、朝のストーカー行為の後、体育の授業を受けていた。この頃には、陽鞠のストーカー行為は、クラスの仲のいい友達たちにも知られることになっていた。ストーカーの自覚のない陽鞠が、自分で話すのだから当然の結果ではあるのだが……。
今日の体育の授業はバレーボールだ。体育館では、商業科のクラスも何クラスかが使っていたため、空いてる半分を使って何人かで交代でバレーに参加した。今、陽鞠は見学中で体育館の隅でにやにやしながら一人で座っている。その彼女にクラスメイトの一人が声をかけてきた。
「今日も朝からストーキングお疲れさん!!」
ポニーテールの背の高い女子が、陽鞠の隣に座った。
「誰がんなことするかっ!」
突然の言葉に、条件反射で反応する陽鞠。
「えぇ、だって見たよウチ、アンタが校門のところで例の先輩を、影から覗いて悦に浸ってたとこ」
「あれは見てただけ、誰にも迷惑かけてないから」
「それをストーカーっていうんだよ……って言ってもムダかぁ」
そう言ってため息をついたのは、田所美咲だ。この学校で知り合い、意気投合してからは一緒にいることが多い。彼女は陽鞠に苦言を呈した。
「このままでええん?」
「美咲もか……」
またか……、うんざりだと言わんばかりの表情をする陽鞠。
「小鞠といい、幸といい、美咲も同じこと言わんでくれる?」
「こっちからしたら、ええ迷惑なんよ、何も行動に移さんのなら、ストーカー行為を一人で勝手にやっててや」
黙り込む陽鞠。
「それに陽鞠はこのままでええん、卒業式までもうちょっとやん」
陽鞠は顔を伏せて、小さな声でかえすのがやっとだった。
「わかってる……、わかってるけど……、そいうことじゃ……ないんや……」
その時、体育教師の口にしたホイッスルが、短く大きな音で鳴り響いた。
「あ、交代みたいや、次ウチらの番やん、ほら行くで」
美咲は陽鞠をおいて走りだした。
「そういうことじゃ……ないんや……」
陽鞠はその場から動こうとしなかった。
卒業式の朝ー
陽鞠は、朝が弱いのか頭が回転していないらしく、制服に着替えるのに時間がかかっていた。そこに部屋のドアを叩く者がいた。
「お姉ちゃん? 起きてる? 卒業式って1年生全員参加やろ?」
小鞠は、廊下越しに陽鞠に声をかけてからリビングへと下りて行った。
「ふぇ……そつきょうひき?」
今日は陽鞠の学校の卒業式だ。卒業式には先生と3年生は当然出るが、2年生は休みとなる。卒業生の保護者は来るが、商業科の生徒も入れると、とてもじゃないが体育館に入りきらない。そのために、このような形式をとってる。しかし、1年生は参加が義務付けられている。陽鞠も卒業式に出席するために、かなり早めではあるが準備を始めていた。
「おはよう……」
大きなあくびをしながらリビングに入ってゆく。一ノ瀬家ではリビングで食事をする。小鞠も母親もすでに食事をすませて少しの間くつろいでいた。そこにやってきた陽鞠は、ひとり黙々と食事をはじめた。
「おとうさんは? もう仕事に行ったん?」
菓子パンにかじりつきながら話をはじめた。
「今日は予約注文が多いからって、いつもより早くでていったんよ」
返事をしたのは母親だ。父親は小さいながらもパン屋をやっていて、4時には家を出るが、今日はいつもより30分早く家をでていた。
「あいかわらず、仕事熱心なことで」
ボソっと独り言を言う陽鞠。
母親とそんな会話をしている隙に、小鞠は陽鞠と話をしたくないのか、そそくさと玄関へと向かってた。
「ちょっとぉ! どこ行くん?」
リビングから顔を出し、玄関で靴を履いている妹に話しかける姉。
「……学校」
1ミリも振り向きもせず、ぶっきらぼうに答える小鞠。
「え? 早いやん! まだ6時30分やん!」
「日直なの!」
「それにしても早いやん」
「それよりも今度の日曜日は空けといてや、買い物に行くきんな」
その言葉にいやそうな顔をする陽鞠。
「ウゲッ! また財布代わりやろっ!」
「いってきまーす」
小鞠は何も聞こえてないのか、もしくは聞こえないフリをしているのか、玄関のドアを開けて家を出た。
パンを食べ終え、牛乳を飲み干した陽鞠は、横に置いてあったカバンを開けた。そこに、ある物があるのを確認してからカバンを閉じた。
「だいぶ早いけど、ウチも学校に行くわ」
その声に母親はすぐに返した。
「行くんなら早よ行き! ほらっ、はよっ!」
急かす母親に娘は不満げだ。
「なんなん、そんなにウチがおったらいかんのか」
「あたりまえやろ、お母さんもゆっくりしたいんや」
娘の背中を押して、玄関へと追いやる。
「わかった、わかったきん、押さんといて」
家の外に出た陽鞠は、一度立ち止まり後ろを向いて一言。
「いってきます」
と言ってから学校へと向かった。
学校は静けさに包まれていた。そんな中、かすかに吹く風に桜並木が踊っていた。
陽鞠は、誰もいない学校を囲む桜の内の一本に、寄りかかって微かに吹く風を感じていた。
「こんな朝早くに来たのって初めてやけど、ほんの少し肌寒いかも……」
そう言うと大きく背伸びをしたあと、体を少し震わせた。
「生徒はまだ誰も来てないみたいやけど、先生はもう来てんのかな」
正門側から桜並木を通って、体育館と駐車場のある裏門へと歩き出した。
「今年は早いな」
今年の桜は、例年より早い開花予報がでていた。ちょっとした異常気象である。
裏門は開いていて、3台の車が裏門にある駐車場に止まっていた。
「あ、先生は何人かもう来てるんだ……」
裏門で静かに立ち止まり、空を見あげた。
「先輩の……卒業式……かぁ」
式が始まる前に、カバンに入れていた卒業祝いのプレゼントを渡そうと先輩を探した。こんな時に限って先輩が見つけられない。陽鞠はあせっていた。祝いの品を渡すくらいはしたいと思った。でも式が終わってから渡す勇気がない。そこで始まる前に渡して、卒業式が終わると同時に即学校から退散しようと考えた……が、見つからない。
なんで今日に限って見つからないの! いつもは教室に行けばだいだい会えるのに……!
陽鞠はあせっていた。しかし、結局見つけられず卒業式は始まってしまった。
校長の挨拶から始まり、今は答辞が始まっている。陽鞠は黙ってそれを聞いていた。しかし心はここにあらずだった。
「卒業祝い……どうしよう」
プレゼント渡すかどうか、卒業式の間ずっと悩んでいた。しかし、残酷にも時間は過ぎて卒業式は終わった。後は一度、自分の教室に戻り担当からの話があり、その後は解散となる。解散して学校をでてしまうと、卒業生と会うことは基本的にない。つまりプレゼントを渡す最後のチャンスは、解散となるそこしかないのである。
そして、担任からの話が終わり、残された時間がすこしとなった中、卒業祝いを手に持って陽鞠は固まっていた。そんな陽鞠の背中に美咲が声をかけた。
「このままでええん?」
「それ、渡すんやろ」
美咲とは別の者が声をかけた。幸だ。二人の問いかけに黙り込む陽鞠。
「ほら、先回りするで」
幸がそう言うと同時に、美咲が陽葵の右腕をひっぱった。
「あ、ちょ、ちょっと……」
二人の親友に連れられて走りだした。
いま陽鞠は、正門前の一本の桜の木の裏側に隠れて、修平が教室から出てくるのを待っていた。そんな彼女の両脇には、幸と美咲がいた。
「そろそろ出てきてもいい頃なんだけど……」
「ちゃんとプレゼント、渡すのよ」
親友の二人は、どこか興味本位で陽鞠をつれてきただけのように見えた。それでも、一人よりは心強いと陽鞠は思っていた。とにかく渡すだけでいい、それ以上のことは何も望まない。ただ、私みたいな女の子がいたっていうことを知ってほしい。
3年生の教室でも先生の最後の話が終わったらしく、何人もの生徒が正門にあふれだした。
「そろそろやろ」
親友たちは、ほぼ同時に声をかけてきた。陽鞠は木の裏にかくれたままなので、正門を出てゆく生徒の流れを見ていない。跳ね上がる心臓の音を、必死に抑えようとしている。ドキドキ状態の彼女に美咲の声が聞こえた。
「来た!」
その一言に動揺する。それでも桜の木の陰から、そっと顔を出し津崎修平を確認する。
(ひとりだ!!)
彼がひとりなのを見て、深呼吸をして気持ちを整える。意を決して一歩を踏み出そうとする。胸元には、卒業祝いのために用意した箱を、右手で握りしめている。この日のために買ったものだ。結構悩んで最終的にこれが無難と判断した。もちろん、買うかどうかも悩んだ。
「ほら、早く!」
幸が急かす。
陽鞠は桜の木の陰から出てきた。そして一歩踏み出そうとして止まった……。
「あ……」
正門から出てきた先輩を、誰かが呼び止めた。気づいた先輩は、声のするほうに振り向き、笑顔で声の主を待った。一瞬の出来事だったが、陽鞠にはとても長く感じた。先輩の前に立ったのは、小柄ながらも足がスラっと伸びて、体つきは細身でありながら胸はそこそこある。髪は肩まで伸びた奇麗なストレート。瞳は大きな二重瞼に、ちょつと低めの鼻と小さな口、全体的に可愛らしい女の人だった。制服姿に卒業証書を持っていることから卒業生であることは間違いない。
彼女だろうか?
しかし自分は知らない。会ったことも見た記憶もなかった。いや、私が先輩しか見ていないだけで、どこかで会っていたのかもしれない。二人は目を合わせると一言二言何か会話してから正門を抜けて出て行ってしまった。
陽鞠は去っていく二人を、黙って見ることしか出来なかった。
「ちょっと! ええの!!」
「そやっ! それ、渡すんちゃうかったん?」
見咲と幸が陽鞠に話しかけた。二人に問いかけに、卒業祝いのプレゼントを握りしめ、ほんの数秒の沈黙の後、小さく呟いた。
「……ええの」
その言葉に、美咲と幸が反応する。
「ええの? ほんとに……?」
「先輩行っちゃうよ! ほんとにええんやな……?」
「…………………………………………………………うん」
その声は突如吹いた強い風にかき消された。異常気象としか思えないほどの早咲きの桜の花が、風に乗って舞い散っていた。
陽鞠は瞳を細めながら桜を見ていた。
「あれからもう4年かぁ、ほんとなつかしなぁ」
「あ、いけない!」
慌ててスマホを手に取り時間を確認する。約束の時間を過ぎている。
「やばっ」
桜並木の中、急いで駅へと戻るために走り出した。走りながらあの頃のことを考えていた。
「あれがウチにとっての初恋なんだよなぁ、幸にはおそいって怒られたな」
軽く微笑んだ後、陽鞠は走るのをやめて自然と歩いていた。
「結局、先輩とはあれ以来全然会わなかったな」
「それにウチが県外の大学に行くとも、あの頃は思ってなかったし……、そのうえ舞い戻ってくるなんてね……」
響く妹の声に手を振る。考え事をしながら歩いていたせいか、駅にはあっという間についていた。
「どこ行ってたん! 駅で待ち合わせだったよね!」
腕を組み姉を見下ろしながら睨みつける妹。姉の方は必死で手をすり合わせて謝っている。
「ごめんごめん……ってかさ、いい加減ケータイかスマホ買いなよ! いくらお母さんが許してくれないっていっても不便だわっ!」
その言葉にニヤついた顔で返す小鞠。
「なに? 嫌な予感しかしないんだけど……」
陽鞠の背中に悪寒が走った。
「家に帰る前に寄るところが出来ちゃった」
「あの……、小鞠さんや……どこに行くのかな?」
「ショップ! ケータイショップ!!」
「いって……どうする……の?」
「スマホを買うに決まってんじゃん、もちろんお姉ちゃんのお金でね」
「予感……的中」
「お姉ちゃん、早くっ!」
さっさと歩き始めた小鞠は自分の姉を急かした。
「この妹……何も成長してない……」
やれやれという顏をしながらも、仕方ないなと思ってしまう、妹に甘い姉がいた。
ー数年後ー。
桜の花が舞い散る小さな街の中を、陽鞠は5歳になる娘と歩いていたー。
「パパもうすぐ帰って来るの~」
「うん、もう仕事終わったって、だから早く行こうね、待ち合わせしてるから遅れたらパパ泣いちゃうぞ」
「え~、パパ泣いちゃうの~?」
「今日はあなたの5歳の誕生日だよ、遅れたら絶対に泣くよ~」
「そっか~、じゃあ、早く行こう、ねえ、お母さん早く、早く!」
「はい、はい」
陽鞠は娘に急かされて、顔を満面の笑みで答えていた。