唯一チェーンデスマッチだけが苦手な白石さん
──勉強が世の中の何の役に立つの?
それは学生時代誰しもが一度は抱く疑問である。
答えを一つ申し上げるとすれば、人はそれが何に役立つのかを求めるために勉強をするのだ。
取引先の漢字が出てこない。
横浜って何県だっけ?
SSR3%なら100回ガチャれば当たるんじゃね?
汚い銅像だから落書きしとこうっと。
あいむきゃんのっとすぴーくぅぅ……えいご!
このように、出来て困る事は無いが出来ないで困る事は多い。
「チェーンデスマッチが何の役に立つのかしら……」
ここに、一人の乙女がいる。
白石瑠菜。県立高校に通う二年生。好きな食べ物は、ゼリー。
彼女もまた、勉強が何の役に立つか分からないお年頃であったが、彼女は五教科も球技もダンスもそつなくこなせた。
だが、時代がそれを許さなかった。
何故なら、必修科目にチェーンデスマッチがあったからだ…………。
「おはよー」
「はよー」
憂鬱な月曜の挨拶。
瑠菜は鞄を机にぶら下げ、黒板脇の時刻表に目をやった。
現国 英語 体育 数学 鎖殺
「だから月曜はやなんだよねぇ」
「おはよ、なーに朝からため息してるの?」
仲の良い友人である枝野が瑠菜の肩を叩いた。
「何って……鎖殺よ、鎖殺」
「ああ。瑠菜苦手だんもね、鎖殺」
鎖殺とは、勿論チェーンデスマッチの事だ。
五年前に大人気ユーチューバーがチェーンデスマッチを始めたのを皮切りに、日本国内で大流行したチェーンデスマッチは、ついに二年前必修科目の一つとなった。
今や国民的スポーツの座を手にし、毎日のゴールデン番組でも何処かしらで放送されている。
瑠菜はこのチェーンデスマッチを毎回赤点の居残り補習の再々々追試まで行くほどに苦手としており、他の教科は学年トップ。それだけに彼女はチェーンデスマッチに苦しみ、酷く嫌気が差していた。
「この間のチェンデスの小テスト返すぞー」
虚しい小テストの結果を受け取り席に着く瑠菜。
このまま行けば次の期末は再々々々々追試まで見えそうな勢いだ。
もちろんチェンデスとはチェーンデスマッチの略称である。
「最高点は桐森の98点だ! おめでとう!」
「……いえ」
教室の後ろで、地味な見た目の桐森美里が少し迷惑そうに頭を下げた。
彼女は五教科運動共に平均的。
しかし、チェーンデスマッチだけは校内随一だった。
自分とは対局に位置する桐森を不思議な気持ちで見つめた瑠菜は、放課後彼女から教えを請うことにした。
「あの、桐森さん……」
「なに?」
まるで話しかけられるのを分かっていたかのように、桐森はすぐに瑠菜を見た。
「わ、私にチェンデスを教えて貰えないかしら?」
「ずっとチラチラ見てたから何かと思えば……」
桐森は小さな鞄を手を下げた。流行の漫画のキーホルダーが二つ付いたチャックを開け、一冊の本を取り出し瑠菜に差し出した。
「あげる。もう要らないから」
『北京原人でも分かるチェーンデスマッチ』と題打たれた本には付箋が沢山してあり、読み込まれた跡が随所に見られた。
「えっ、いいの?」
「ええ。面白い物が見れたから。お礼」
「?」
「何の役に立つかさっぱりなチェーンデスマッチに苦しむ才女」
瑠菜は言葉が出なかった。桐森は更に言葉を続けた。
「私もチェーンデスマッチが何の役に立つのかさっぱりよ。ダンスやプログラミング授業よりも、ね」
「でも成績は良いじゃない。羨ましいわ」
桐森は「はっ」と鼻で笑い、両手を広げ不思議そうに首をかしげた。
「私からしたら貴女の方がよっぽど羨ましいわ。交換できるならしたいくらいよ」
「私だって……好きで苦手なわけじゃ……」
「あら? 貴女チェーンデスマッチまでも才女を望むの? とんだ欲張りね」
「そんな! 普通で良いのよ、普通で……!」
「それが欲張りって言うのよ。普通の人は何かしらの苦手を持っているの。それと向き合い、時にぶつかり、時に諦める。そうやって折り合いを付けて生きているのよ?」
瑠菜は胸が締め付けられるような苦しみを覚えていた。
自分が欲張り? 羨ましい?
まさか……!
こんなに出来なくて苦しんでいるのに!!
「あなたにこの苦しみが──」
発した言葉が止まった。
桐森が涼しげに微笑んでいたからだ。
「そうね。貴女の苦しみは貴女にしか分からないわ。だけど、そうやって苦しみ、向き合う姿は皆同じ。ということは、貴女もまた普通の人だって事なのかしら?」
スッと、胸を苦しめる痛みが引いていくのが分かった。
普通? 同じ?
教科や種類は違えど、苦しみは同じなのだろうか?
瑠菜は目の前で澄ました顔をして佇む桐森が、自分よりもずっと先を歩いているような気がして歯痒く思えた。
「じゃ私、これから塾があるから」
「あ、ごめんなさい。……ありがとう」
教本を握り締め、瑠菜はそっと頭を下げた。
「白石瑠菜さん……ですか」
「成績は良い方ですね──あ、チェーンデスマッチが赤点低めとなると……ちょっとウチでは……」
瑠菜が就職活動をする頃には、チェーンデスマッチは社会人としてのマナーとして浸透し、チェーンデスマッチが合否を分けるまで行ってしまっていた。
「……また不採用、か」
クラスで就職先が決まっていないのは瑠菜だけ。
桐森は一部上場企業に就職が決まっており、先日も励ましの言葉を貰ったばかりだ。
「大丈夫。貴女は貴女の生き方があるわ」
チェーンデスマッチ検定四級すらも受からない。
CHAINの得点も200点以下。
それでも瑠菜は諦めなかった。
何処も採用してくれないのなら、自分で会社を起こそう。
瑠菜は同じ様な苦しみを背負った人達を募り、会社を立ち上げた。
チェーンデスマッチに苦しむ人達で構成された会社を立ち上げた瑠菜は、瞬く間に上場を果たし、年間数十億の利益を生む大企業へと発展を遂げた。
「久しぶりー!」
「ほんと久しぶり!」
同窓会。瑠菜は大人びた格好で童心へと戻っていた。
「久しぶりね。噂は兼々聞いているわ。頑張ってるじゃない」
「桐森さんこそ……」
お互いしばし見つめ合い、そして通り過ぎる。
「二次会行く人いる!? 勿論二次会はチェンデスでーす!!」
皆が嬉々として手を上げた。
桐森も静かに手を上げていた。
「桐森さんの独壇場かな!」
「久々に見たいね!」
そんな賑やかな空気に別れを告げ、瑠菜は一人会場を後にした。
自分には自分の居場所がある。
チェーンデスマッチ一色のネオン街に、瑠菜は微笑みとため息で反抗した。
「もしもし心春ちゃん? 今終わったから戻るね。例のクライアント、今から行ける?」
今日も世界はチェーンデスマッチで回ろうとしていた。