96.【番外編】六郎帰還3 ~side R~
小介が沼田行きに推されたのは『男の頃の雪村に、背格好が似ている』から。
いつも一緒に出掛けるのは『雪村の代理をさせている』から。
それを聞き出せたのは、何度目かに同行した視察の道中だった。
「ごめん、てっきり兄上から聞いていると思って」
雪村様は申し訳なさそうに謝ってきたが、本来それは雪村様から伝えるべきものであって、信倖様のせいにするのは間違っている。
そう言いたかったが、小町の言葉が頭を過ぎり、俺は口を噤んで聞き流した。
「おや小介。今日はお殿様と一緒じゃないのかい?」
「城代様は、持病の癪で寝てるんです。今日はご家老様と視察です」
道行く人々が気さくに話しかけてくる。
ここで俺は、雪村様が『小介という名の小姓』の振りをしている事を知った。
仮にも当主の弟なのに、自尊心は無いのですか。
喉まで出かかった嫌味を、寸でのところで飲み込む。……小町の言葉は、喉に刺さった魚の骨みたいにいつまでも引っ掛かって……酷く気に障る。
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「ずいぶん領民と馴染んでいますね。これくらい熱心に、政務にも励んで頂きたいものだ」
しまった! うっかり憎まれ口を叩いてしまった。
俺は内心慌てたが、雪村様は気にした様子もなく さらりと受け流す。
「うん。六郎もたまに城下に来たらいいよ。直接見ないと分からない事もあるから」
俺より五つも年下なのに、俺の方が子供っぽいな。
赤くなっていそうな顔を隠すべく、俺は雪村様から顔を逸らした。
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「今日も俺が行く」
いつも通り、小町を捕まえようと政庁前で待っていると、うっかり小介と出くわしてしまった。いや、小介の方は『うっかり』では無かったのだろう。
「六郎」
「……何だよ」
軽く手を上げて近づいてきた小介だったが、予想に反して、視察を俺に押し付ける気満々の台詞を吐いてきた。
「今日は暑いから、視察は夕刻からにしな。そろそろ溜まってくる頃だぞ」
「何を言ってんだ。元はと言えば、お前が雪村様としていた事だろうが!」
「じゃあ俺が行くか?」
自分が行くつもりでも、押し付けられたと思うと面白くない。猛然と食って掛かったが、切り返されると言い返せなくて、俺はそっぽを向いて黙り込んだ。
小介は「そんなに城下が気に入ったかねぇ」と呟きながら、肩衣をちょいと摘まんで顔を顰める。
「せめてこれは脱げよ。見ているだけで暑苦しい」
「ほっとけよ」
暑いのは百も承知だ。しかしこれが無いと家老っぽくない気がするし、何より指摘された事が面白くない。
手を振り払い、俺は小町を探して邸の方へと足を向けた。
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「六郎、暑くないの?」
濃紺の小袖に肩衣という暑苦しい俺とは対照的に、薄物の小袖が涼やかな雪村様が、気遣わしげに声をかけてくる。
確かに暑いが、俺は「立場というものがある」と痩せ我慢をした。
今にして思うと本当に馬鹿だが、その時は本気でそう思っていたのだ。
「でも小介は、城代の振りをしている時も小袖一枚だよ」
……くそ、小介の奴。そんな出で立ちで城下を回っているなら先に言えよ。
しかしそう言われて「そうですか。では」とは脱げない。だって恰好わるい……。
「……雪村様は今まで城下を巡って、何を感じられましたか?」
俺は関係ない質問をすることで、風も無く、じりじりと照りつける過酷な陽気から意識を逸らした。
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「……その普請が自分たちの為にならないと『信頼』ではなく『不満』が出る」
ふと意識が途切れかけ、俺ははっと目を見開いた。隣では雪村様が真剣な表情で、城下の視察で感じた問題点を語っている。
降水量が少ないから水利の開削か。俺はぼんやりとした頭で考えた。
案外いい所に目を付けているな。確かにここは高台が多い。水利の開削が急務だ。しかし暑い、暑すぎる。水利……水利……水……
ふわりと足元が揺れ、意識が暗転した。




