95.【番外編】六郎帰還2 ~side R~
沼田城に移って数日が経った。
もともとここは武隈方の城だ。内情はそれなりに知っている。
ここは北関東の要衝で、利根川と薄根川の合流点の台地に位置する丘城だ。二つの川側は崖になっていて、軍事上の重要拠点として、常に争奪戦の的になった。
武隈・上森・東条領の境にあり、過去に上森や東条が支配していた時期もある。
そんな重要拠点を任されるのだから、俺がしっかりしなければ。
肩肘張っているのが判るのか、沼田勤務の家臣たちは俺を立ててくれている。
新米城代の雪村が、今の所は問題なく統治出来ているのは、信倖様が古参の家臣を多数、沼田に寄越してくれたお陰だ。
ここまで家臣を割いては、上田の業務に支障が出るのではと思うくらいに手厚い。
そのご恩に報いるべく、俺は鋭意邁進しているというのに。あの城代は信倖様に、全く感謝などしていない。
今日も今日とて政庁内で見かけないが、一体どこをほっつき歩いているんだ。
書き損じた紙をぐっしゃぐしゃに丸めて壁にぶつけ、俺は大きな溜め息をついた。
沼田に移る少し前、奈山小介と根津小町が沼田行きに加わった。どのような経緯で追加されたかは知らないが、とにかく雪村様たっての希望だと言う。
俺はダルそうに立つ小介と、縦にも横にもでかい小町を眺めて、内心舌打ちしたい気分になった。
このふたりとはお互い、寝小便の回数も知っているほどの昔馴染みだが、それ故にとにかく厄介だ。
まず二人とも、家老代理の俺を尊敬しない。
そして小介は、政務を御座なりにして遊び惚けている雪村様にくっついて、城下をほっつき歩いている。
小町は小町で、「二人が出掛けようとしたらお止めしろ」と伝えてあるのに、全く言う事を聞こうとしない。
いう事きけよ。俺は家老(代理)だぞ。お前らの上司だぞ。
そもそも小町は、子供の頃から名前のせいで苛められ、俺や小介が何度庇ってやったか知れない。
それなのに、つい最近、仕えるようになったばかりの雪村様に随分と懐き、雪村様に逆らうのなら、小介であろうと締め落とす、と言うのだから呆れたものだ。
いや、小町はまだいい。問題は小介だ。
俺は手持ち無沙汰に硯を磨りながら、その指先にぎりぎりと力を込めた。
奈山小介。こいつも俺の幼馴染だが、次男に生まれた気楽さ故か、いい加減な性格をしている。
特に女関係にだらしがなく、それを諫めても「俺を養ってくれる女のコ、どこかに居ないなかぁ」とふわふわしていて話にならない。
俺がそんな事を言おうものなら、女子どもにブッ飛ばされる未来しか見えないが、小介はそれが許される外見をしているのがまた腹が立つ。
結局、小介を増長させているのは女子どもなのだ。
そんな小介を、雪村様は何を思って供に選ばれているのだろうか。
『腕の立つ護衛』として、信倖様に推挙されたのは俺なのに。
さすがと何日も続くと気になり、それとなく小介に問いただしてみたのだが。
「雪村様も女だって事っしょ……?」
と無駄にキラキラしながら言いやがったので、鳩尾に一発入れておいた。
くそ。男の俺に、それが通用すると思うなよ。
まあとにかく、そんな感じで。俺の言う事は無視しまくりの上記二人。そして遊び惚けている主君に腹が立ちすぎている今日この頃だ。
怒りを鎮めようと、無心で墨を磨っていると、指先で墨が砕け散った。
脆いな、ちくしょう。
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少し気分を変えよう。部屋から出て伸びをした俺の目に、ちょうど家臣の詰所から出てきた小町が見えた。
侍女の小町が、政庁に何の用だ?
「どうした小町」
「あー六郎ぅ」
声をかけると、ふやけた声が返る。
こいつは元気だったりふやけていたり、性格が統一されていない。おそらく今は、『どの性格が雪村様に好まれるか』を無意識に模索しているんだろう。
小町はいつも、他人の言動に神経を尖らせている。雪村様から「根津子」と呼ばれるようになり、名前で笑われなくなった今も、その頃の癖が残っている。
そこら辺に触れることは憚られ、俺は知らん顔をしたまま 次の言葉を待った。
「小介、ちょっと締めたら落ちちゃった☆」
俺が口を開かないので、小町がぺろりと舌を出して首をすくめる。そして、言い訳のように付け足した。
「だってぇ小介、雪村様が城下に行きたいって言ったら、いっつもゴネるんだもん」
「ゴネて女の気を引く」のも、奴の常套手段だと解っているか?
それはともかく、小介が出られないならちょうどいい。
いつもいつもふたりきりで、城下で何をやっているのかを確認する、いい機会だ。
俺は小町をじろりと睨み、威圧的に口を開いた。
「雪村様にお伝えしろ。「今日は俺がお供する」とな」
「あたしや小介にはいいよ。あんたがそんな態度をとるのは、自信が無いからだって分かってるからさ。だけど雪村様には止めときな。嫌われるだけだ」
すっと冷たい声が返り、俺は目を見開いて小町を見つめた。
本当に久し振り聞く、小町本来の声。
見つめる俺の前で、小町はふたたび へにゃり と笑った。




