94.【番外編】六郎帰還1 ~side R~
やっと帰って来た。
俺、宇野六郎は、深緑に囲まれた懐かしい真木庄を眺め、大きく息をついた。
ここを出てから六年がたつ。何もかもが変わっていない。
真木家に代々仕える宇野家に生まれ、たまたま信倖様と同じ年に生を受けた俺は、幼い頃から乳兄弟として、誰よりもあの方の側近くにいた。
父からは「信倖様の為に死ぬ覚悟を持て」と耳にタコが出来るほど聞かされ続け、幼く純真だった俺は、それを真に受けた。
少々重すぎる忠誠心を培いつつ成長した俺は、いずれ父の跡を継ぎ、信倖様を支える立派な家老となるべく、武隈家重鎮・高崎殿の所へ預けられる事になった。
高崎殿は、強者揃いの武隈家臣団の中でも、ひときわ武芸に秀でた方だった。
信厳公の信任厚く、同盟の取次等にも活躍する才を持ち合わせた、文武両道の武将。
高崎殿のような武将になりたい。信倖様に頼りにされるような男になりたい。俺はその家中で、様々な事を積極的に学んでいった。
それから六年後。武隈家が滅亡した。
真木家は富豊に臣従。高崎家はあろうことか、武隈を滅ぼす片棒を担いだ、徳山家に召し抱えられる事になった。
こうなっては、このままここに残る事は出来ない。
俺は真木家に帰参する事にした。
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六年振りにお会いした信倖様は、ご立派に成長されていた。
父君であられる昌倖様が身罷られてからまだ日が浅いというのに、立派に当主を継ぎ、若いながらも貫禄を身に付けておられる。
「おかえり六郎、待ってたよ。これからは真木家の為に忠義を尽くしてほしい」
「当然でございます」
微笑みながら仰る姿は、慈愛に満ちながらも堂々としておられる。
さすが我が主。畏まって平伏すると、縁側から軽やかな足音が聞こえてきた。
「兄上、いらっしゃいますか?」
突然、障子が開けられる。
無作法な。
軽く苛つきながら顔を上げると、可憐な少女が 大きな瞳を見開いて、俺を見返してきた。
初めて会うはずなのに、初めてという気がしない。じっと見返すと、少女は慌てて障子を閉めかけた。
「来客中でしたか。申し訳ありません」
「いいよ雪村、入って」
恐縮する少女を、信倖様が笑って引き留める。
――雪村?
俺はぎょっとして少女を見返した。初めて会った気がしなかったのは、『あの弟』に似ていたからか。
いやしかし。
俺は改めて『雪村』と呼ばれた人物を凝視した。
小鹿のようにすらりとした姿態、榛色の大きな瞳が印象的な 整った顔立ち。
ひとつに結わえた艶やかな髪が、さらりと背に流れている。
『京の御前』と呼ばれた、信倖様の母君にも似ていて――美少女と言っていい。
しかし『雪村』とは、信倖様が五つの時にお生まれになった弟御のはずだ。どう贔屓目に見ても、『これ』は齢二十歳の男には見えないだろう。
俺は軽く混乱しているのに、彼女は微かに微笑んで挨拶してきた。
「何年振りだろう、雪村です。久し振り六郎殿」
これが雪村? ホントに!? いやまさか嘘だろう!??
「信倖様、俺は雪村様は弟君だと思っていましたが、違ったのですか?」
信倖様と彼女を交互に見つつ、俺は真剣に詰め寄った。
驚きのあまり、問う声が擦れている。
嘘であってくれ。そうでなければ俺は今、男にときめいた事になる。
信倖様は、あまりに必死な俺に引いたんだろう。
少し目を見開いた後で、いつも通りの笑顔に戻り、俺の理解が追い付かない事を言いだした。
「雪村はちょっと病を患っていてね。女子になっているから気を付けてあげて」
女子になる病!? そんなのあるの!??
男にときめいた訳ではなかったが、もっと複雑な事案だった。
おまけに信倖殿は、にこにこ笑って俺と雪村を見ながら、とんでもない爆弾をぶち込んできやが……こられた。
「おかえり雪村。ちょうど良かったよ。前に話した沼田の件だけどね、雪村は元に戻るまでは城代として沼田城を任せる。そして家老代行で六郎を付けようと思うんだ」
事前に何の断りも相談もなく、仰天するような事をさらりとぶちかます。この人はこういう所がある。にこにこ笑っていれば、多少の無理難題は通せると思っているんだ。家臣となれば尚更だ。
そしてそれは弟……か妹か判らんが、そういった身内であっても同様らしい。
「兄上、私は領地を治めると言った事は全く不勉強です。六郎殿もこちらに戻って日が浅いでしょう。まずは慣れた者からその方術を教わるべきではないでしょうか」
ちらりとこちらを窺がった後、雪村……と思しき少女は、困惑気味に申し出た。
俺も全く同感だったが、言っている事は『俺らでは無理』って事だ。言葉は柔らかくとも、俺の能力を侮られているようで面白くない。
そりゃ父のようには出来ないだろうさ。だがそれを自分で自覚するのと、他人に指摘されるのとでは大違いだ。
俺はだんだん、この少女に腹が立ってきた。
思い返せば『あの弟』にも、似た感情を持った事があるような……
あれは……雪村様が人質として越後に向かわれる前。もっと幼い頃に……
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「雪村さま、おれは信倖さまの乳兄弟ですから、おれのことも「あにうえ」って呼んでいいですよ」
信倖様にべったりな、甘えん坊の弟君にそう言うと、間髪入れずにそいつは言いやがったのだ。
「? あにうえは、のぶゆきあにうえだけですよ?」と。
困惑した雪村が、変態にでも会ったかのような顔をして、信倖様の小袖を掴む。
「え? 六郎、雪村に「兄上」って呼ばれたいの?」
ぷすりと笑う 幼い信倖様の幻影が、網膜の奥でぐるぐる回る。
蓋をしたはずの黒歴史が、怒涛の如く蘇り、俺は一瞬白目を剥いた。
うわああああ……ッ!!
(回想終了)
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俺と「沼田に行け」と言われた時の あの困惑した表情。幼い頃にそっくりだ。
それを思い出すと ますます苛々が募ってきたが、どんな顔をして雪村を見たらいいのか分からない。
結局、上手いこと信倖様に言い包められて、俺は『雪村』と沼田に行く事になってしまった。
親父殿が腰を痛めたのなら、上田城下の温泉で療養した方が良いだろうし『腕の立つ護衛』として俺が必要だというならまぁ……仕方がない。
苛々はするが、信倖様の頼みならば。
自分を納得させたところで事件(?)は起こった。
「六郎殿、お世話をかけると思いますがよろしくお願いします」
頭を下げた雪村に、信倖様がへらへらと笑いながら、流しておいて欲しい過去を全力でほじくり返してきやが……きたのだ。
「小さい頃に苛められてたからって、下手に出なくていいんだよ。今は雪村が主君だからね」
えっ、と言った表情で『雪村』が俺を見たが、俺は目線を逸らしたまま顔を動かす事が出来なくなった。
何となくそーじゃないかなーと思っていたんですが信倖様! せっかく「雪村」は忘れていたんですよ!? 俺が苛めていたこと!
何で今更、それ言っちゃうかなあ!!
「その通りです雪村様。主君となるからにはそれなりの威厳を身に付けて頂かないと。それと俺に敬語は不要。「六郎」とお呼びください」
動揺した俺は、思わず威圧的に返してしまった。
助けを求めるような視線で信倖様を見る彼女に、やっぱり訳もなく苛々する。
「俺があの日々に耐えたのは、すべて信倖様をお支えする為だったのに……」
ついそんな憎まれ口まで叩いてしまい、悲しげな表情になった雪村を見ないようにしながら、俺は逃げるように部屋を辞した。




