90.新米城主と城下視察
沼田に来てしばらくたった。
暦の上ではもう秋のはずなのに 残暑が厳しくて、陽が高いうちは外に出たくない気分だ。
でも領民は普通に働いている訳だし、いつまでも大阪での暑気あたりをトラウマにしている場合じゃない。
「出掛けてくるよ。『いつもの』を頼むね」
私はそばに控えていた根津子に声を掛け、着替えの為に立ち上がった。
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沼田城は現在、城主は兄上、城代(城主の代理ね)が雪村って事になっている。
城主になると、いろいろと人前に出なければならない事もあるから、そういう時は兄上が。普段は私と六郎、そして兄上がつけてくれた筆頭家老の矢木沢が常駐して政務するって感じ。
ただ私が『城代』となると、見た目で絶対にナメられるから、『雪村の影武者』として小介を使っている。
城下に出る時は小介が雪村役、私はお付きの小姓の振りをしているけれど、この小介がもう、本当にチャラくて!
若い女の子にちゃらちゃら愛想を振りまいて、キャーキャー言われている。私が男に戻った時に困るから、ホントにもうやめてって言ってるのに聞いてくれない。
初めて小介と城下視察に行った時は、比較的落ち着いた対応をしていたけど。
今にして思うとあの時は、猫を三匹くらい被っていた。油断した。
……と、いまさら気づいてももう遅い。とりあえず『小介を見習いたい』と思っていたあの時の自分を殴ってやりたい。
本当にもう、この家臣からのナメられっぷりって何なんですかね。
ひとりで身支度しながらぷりぷり怒っていると根津子が戻ってきて、竹筒に入れた熱中症対策の薄い塩水を渡してくれた。
これは大阪での反省を込めて、出掛ける時は必ず持って出ることにした命の水だ。これがさっき根津子に頼んだ『いつもの』其の一。
礼を言って受け取ったけれど、根津子が何だかもじもじしている。
「どうしたの?」
「いいづらいんですけどぉー『いつもの』其の二が失敗しちゃいました! また小介が「暑いから行きたくない」ってゴネたから、ちょーっとテコ入れしたら、ホントに気絶しちゃいました☆」
「そっか。じゃあ気が付くまで待とうか」
てへっと笑う根津子に、私も苦笑で返す。これも日常になりつつある風景だ。
『いつもの』其の二は、「どこかでだらけて寝ている小介を探し出して、連れてくること」なんだけど、これがなかなかに手強い。
根津子はふくよかな外見に似合わず、柔の術に長けていて、並の男ならぽんぽん投げ飛ばす。「行きたくない」ってゴネる小介を締め落とすのもしょっちゅうで、ここでも私がナメられてるのがよく判るってもんですよ。
最近じゃあ、涼しくなってから出かけたいから、わざとやられてるんじゃないかと思うくらいだ。
とにかく気絶中ならどうしようもない。それなら空いた時間で桜姫のご機嫌伺いをしようと、竹筒を文机の上に置いて立ち上がった。
「一緒に行く?」
声をかけてふと気が付く。根津子がまだ何か言いたそうに、もじもじしている。
「他にも何かあった?」
「雪村さまぁごめんなさい。これ、六郎に知られちゃって。「俺が代わりに雪村様のお供をする」って言いだしたんですぅ」
「六郎が?」
「はいぃ」
根津子が、へにゃりと情けない表情になる。たぶん私も、情けない顔と声になっていただろう。
新参侍女の根津子が「六郎」「小介」と気安いのは、六郎の宇野家、小介の奈山家、根津子の根津家は、譜代の家臣同士で、本人たちの歳が近いのもあり、昔からの知り合いなんだそうだ。
だから根津子は、私が内心六郎を苦手に思っているのを察して、なにかと庇ってはくれるんだけど、なにぶん相手は幼馴染みとはいえ家老代理。下知を拒絶するのは 一介の侍女には荷が重い。
「……うん、いいよ。今日は六郎と行ってくる」
私は覚悟を決めて、竹筒を手に立ち上がった。
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「暦の上ではもう秋なのに、暑いね」
「それと知って城下を見たがったのは雪村様でしょう。少しは考えて喋って下さい」
相変わらず喧嘩腰で六郎がつっかかってくる。
この時間帯を狙うのは、暑すぎる昼間は若い女の子たちが川に洗濯に行きたがる。ナンパな小介と畑周りを視察するには、都合がいいからだ。私だって考えてるよ。
そもそも六郎に同道を頼んだ訳じゃないのに……
私は気持ちを切り替えて、周囲を見渡した。
沼田城は現世の歴史では北関東の軍事上の重要拠点で、隣接している上杉・北条・武田で争奪戦を繰り広げたモッテモテのお土地柄。本来なら本能寺の変あたりで真田領になったはずだ。
その後は沼田城を保有し続ける為に、徳川についたり上杉についたり、コロコロと臣従先を変えながらも、結局は北条氏に取られることになる。そしてその後、沼田城支城の名胡桃城も盗られた事が、小田原征伐のきっかけになる。
ゲームではそんなイベントが起きた記憶が無いけれど、ここにきて沼田が真木領になったって事は、やっぱり『小田原征伐』に繋がる事も考えておいた方がいい。
ただ、この世界と現世の歴史は、時系列や戦の結末が違う事があるから、どうなるかは解らない。
例えば『越相同盟』。
これは陰虎様が越後に養子に来た時に結ばれた同盟だけど、史実では二年程度で破棄されているこの同盟が、こっちの世界では『御舘の乱』の後も続いている。
越後上森家と相模東条家は、今も同盟関係だ。
この先、もしも小田原討伐が起こってしまったら。
こっちの世界でも『義』の精神を重んじる上森は、同盟関係の東条を見捨てない。そうなれば真木は、上森とも敵対することになってしまう。
それは絶対に嫌だ。
けれど、秀好が居ない異世界でも『小田原征伐』が起こるのかは解らない。こんなことは誰にも相談できない。
木陰を歩いていても、きらきら光る木漏れ日が眩しい。
私はちょっとだけ目を細めて空を眺めた。
私はここでどうしたらいい?
日本史と同じ結末になるなら、沼田城が東条に取られても、小田原征伐の後で真木家の所領に戻る。
いっそこのまま、なるようにまかせる?
でもそれだと、攻められた真木側に被害が出る。私の大事な家臣たちを、危ない目にあわせる訳にはいかない。
「……雪村様、聞いていますか?」
苛ついた六郎の声に、私ははっと我に返った。全然聞いてなかったけど、ぴりぴりしている六郎に言える雰囲気じゃない。
うん、と生返事をした私に、六郎がきっと眦を吊り上げる。
「いい加減な事を仰いますな! あなたは領主としての自覚が足りない。いつもいつも小介と二人で、ふらふらふらふら散歩で時間潰しもないでしょう!」
……大事な家臣たち、か……
六郎を見返しながら遠い目になる。
シリアスに考え込んでいたのが恥ずかしくなってきたよ。何だかこっちが想うほどには、忠誠心が返ってきてないな……
そもそも最近の私は、あちこちの家老職に叱られっぱなしだ。六郎もそんなにキーキー怒っていたら身体に悪いと思う。
今だってほら、怒り過ぎか気温のせいか解らないけど、顔が真っ赤で赤鬼みたい。
そんな事を内心で考えてぷすりと笑ったせいで、私はますます六郎に怒られる羽目になった。




