88.根津子・小介遭逢
げっそり疲れて政庁を辞し、とりあえず私は邸に戻った。
予定より戻るのが遅れたから、急いで兄上のところに向かったけれど。あんな事になるなら着替えてから向かえば良かったよ。
「遠路お疲れ様でございます。お水をお持ちしました」
着替えようとしたら、見慣れないふくよかで大柄な侍女が、水を張った桶を持ってきてくれる。
私はほっとしてそれを受け取った。少し汗をかいてたから助かる。
ついでに身体も拭こうと思いつつ、礼を言って居なくなるのを待ったけれど、侍女はなかなか去ろうとしない。
「ありがとう、もういいよ?」
「お身体を拭くの、お手伝いします!」
やんわり「出て行って」と伝えたけれど、張り切って居座られてしまった。
「本当に大丈夫だから」と伝えても「もっと威張って下さい! 命令して下さい!」と聞きやしない。
六郎だけでも今日はおなかいっぱいなのに、邸に戻ってからもこれだと疲労困憊だよ。悪い子じゃないんだろうけど押しが強いなあ。
ちょっと留守にしてる間に、兄上は濃ゆい配下と侍女を仕入れたなー。
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侍女は真木家譜代の家臣、根津の娘だそうだ。
根津家は雪村の祖父存命の頃から仕えている家臣。彼女の父君は豪胆で、物静かな人柄だったはずだけど……
「雪村さまは肌がお綺麗ですね! これなら殿方が放っときませんよ!」
「そうかな。でも私は男だからね」
私の腕を布で拭きながら、根津娘が悪気なさげにセクハラ発言をかましてくる。
無心のまま微笑んで、私は棒読みの一歩手前みたいな口調で返した。
まさか侍女から、18禁乙女ゲームらしい台詞を聞く事になるとは思わなかったよ。
ええーだって女の子じゃないですかぁーとツッコんでくる声を聞き流し、悟りを開くような心境になる。
『男に戻った時の事を考えて、女になっている事は領民に伏せる』
『城内では極力、男で通す』
先日の評定で決まった筈だけど、この娘は父上や侍女頭から聞いてないのかな? もったいなーい、とぶうぶう文句を言いながらも、やっと桶を片付け始めた侍女に尋ねてみる。
「そういえば名前を聞いてなかったね。君の事は何て呼べばいいかな?」
あんなセクハラ発言までされておいて、まだ名前を知らなかったんだよ。
でもあんなに騒々しかった侍女が、名前を尋ねた途端、ぴたりとお喋りが止まる。
どうしたんだろうと待っていると、しばらく黙った後で、すごく小さな声で話し出した。
「あたし、根津 小町と申します。……父が、あたしが生まれた時にとても喜んで、『天下一の美女になるように』と願いを込めたと聞いています」
おおう、なかなか重い父親の愛だな。小町って「美女」って意味だよね?
それはともかく、娘の方はこの名前に重圧を感じてそうだ。
「でも私、この名前が嫌で嫌で……」
「そうなの?」
「はい、今までは政庁でお勤めしてましたけど、皆には「小町」って呼ばれた後で、陰でこっそり笑われて……」
ぽそぽそ話しながら、だんだん泣きそうな顔になる。
そうか……それで兄上、この娘を邸勤めに替えたのかな。もともとは元気な娘なのに、何だか可哀そうになってきた。
「小町って、可愛い名前だと思うけど。じゃあ根津小町だから「ねづこ」って呼んでいい? こっちも響きが可愛いと思うよ」
「……はい!」
しょんぼりしていた根津の娘は、あっという間に笑顔になる。
「ではこれからよろしくお願いします、雪村さま!」
根津子は最初のイキイキさを取り戻して、颯爽と去って行った。
切り替えが早くて羨ましいな。
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「雪村、疲れているわね」
おやつの饅頭を食べながら、桜姫がゆったりと笑った。
今は近くに侍女たちが居るから「桜姫モード」で女言葉になっているけれど、中身が男の人で普段は男っぽい喋り方なのに、よく切り替えられるなと感心する。
そしてこんなにおやつを食べてるのに、太らないのも羨ましい。
「そうですね、こちらに戻るのも久し振りなので。ああそうだ、姫は私が沼田に移る時は、一緒に来ていただけますか?」
「当たり前じゃない」
「では少し、侍女の数を増やして貰いましょう」
「沼田に移る時は精鋭の家臣をつける」と兄上は言ってくれたけど、桜姫付の侍女をもうひとり増やして貰おう。
あとは……
私は側に居た侍女頭に顔を向けた。
「侍女殿に少し聞きたい。ここの家臣で『男の頃の私』に一番背格好が似ている者は誰だろう? 自分ではよく解らないんだ」
急に話を振られて驚いたみたいだけど、侍女頭は少し考えてから口を開く。
「小介でしょうか。奈山 小介。顔が似ているという訳ではありませんが、背格好や、髪が長めなところなどは似ています」
後で兄上にも意見を聞くとして。
『雪村に似てる人』と『桜姫付の侍女』は追加でお願いしよう。
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「我々はあちらで受け入れの準備をしますので、雪村様は少し後で来て下さい。正直言って邪魔ですから」
踏ん反り返った六郎が、私を見下ろしている。
六郎は体格がいいから、この場合は私を「みおろしている」で正解だけど「みくだしている」とフリガナをふっても差し支えない態度だ。
これが主君への態度でしょうかね。
(これどうおもいますか、あにうえ)
口をぱくぱくさせながら、六郎を指さして兄上を見ると、兄上も六郎を見て苦笑いしている。
六郎の側には、新たに加わった根津子と、ダルそうな 奈山小介 が立っていた。
「俺、誰かの世話をするより『されたい派』なんですけど」
小介と初めて会った時、いきなりそう言われて吃驚した。
ルックスが整っていてチャラそうな髪型をしているせいか、ダルそうにしてると、何だか廃退的な雰囲気を醸し出している。侍女は「これ」が雪村に似てると思ってるのか……ってちょっとショックだったよ。
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「私は兄上のように、きちんと統治出来るでしょうか」
六郎たちが出発した後で、私は弱気になって兄上に呟いた。
六郎だけでも手に余る気分なのに、侍女や兄上が「男の雪村に一番近い」と推した小介がアレなのだ。
「大丈夫だよ。宇野家も奈山家も 代々仕えている譜代の家臣だし、小介もああ見えて腕が立つから」
兄上は笑って励ましてくれたけど、腕が立つとかそっちより先に。
私、初見から家臣達にナメられてない……?
主君が舐められてるなんて、最悪からのスタートだと思うのですよ。
男なら……本来の雪村の姿ならこんな事にならなかったのに……!
がくりと項垂れた私の肩をぽんと叩き、兄上が無責任に笑った。
「大丈夫だよ、頑張って」




