76.恢復 3 ~side K~
雪村が武器に霊力を纏わせる事が出来たのは、それから数日後だった。
丹田に霊力を溜める術をすでに身に付けているなら、習得はそんなに難しい話ではない。
「できました!」
子供のように喜ぶ雪村を見ながら、兼継は複雑な気持ちになった。
無理をしているのが判る顔色も、槍が纏った霊気が 陽に照らされた粉雪のように淡く輝いているのも、見る度に後悔が先に立つ。
そして技を習得したなら、手放さなければならない事も。
「明日、上田に戻ります。本当にお世話になりました。桜姫も長らくお待たせしてしまいましたし、一緒に戻ろうと思います」
元気に笑っている姿も腹立たしい。
こちらは手放しがたい、離れがたいと思っているのに。
しかしそれも今更か。
兼継は溜息を押し殺して、雪村に護符を差し出した。
「身代わりの符だ。お前は無茶をするからな。これがあれば一度だけ、どのような危害からも護られる。普段使いの鎧にでも付けておけ」
人間の兼継にはこのような力は無い。これは愛染明王の神力だ。
剣神は毘沙門天の神力を最大限に活用して、地上の戦を存分に楽しんだようだが、兼継は神力を、自分の為に使う心算が無かった。
しかし自分の力で如何にも出来ないのなら 神仏にも縋ろう。
これはそう割り切って作った物だ。
「私が付けてやる。こちらへ来い」
雪村を呼び、無邪気に寄ってきた身体を抱き留める。
しばらく腕の中に捕らわれていた雪村が、やっとその体勢に気付いたのか、恥ずかしげに兼継の名を呼んだ。
自力で気付いただけ幾分ましだが、このように簡単に捕らわれるようでは 先が思いやられる。
これから兼継の手が届かないところへ、帰さねばならないのだから。
「気付くのが遅い。子供の時分なら「菓子をやるからついて来い」という者に気を付けるだけで良かったが、女子ならもっと気をつけねばならぬ。前にも油断はするな、軽率な言動は控えろ、と言ったはずだぞ」
兼継はその体勢のまま、冗談めかして説教をした。
……これはただの注意喚起。
もう子供ではないのだから気をつけろ、と教えているだけだ。
腕の中で、雪村が首を傾げる。
そして不思議そうに聞き返してきた。
「兼継殿でも、警戒しなければいけないのですか?」
これだから嫌なんだ。
手放さなければならないのに、平気で手放しがたくなるような事を言う。
「聞こえなかったか。軽率な言動は控えろと言ったぞ」
雪村が恥ずかしがって暴れても、兼継は離さなかった。
邪な気持ちでそうしている訳ではない。
そう思わせる為に、注意を促している態を装いながら。
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その日の夜。
雪村が倒れたとの報せを受けて、兼継は怒り狂う老女が待つ奥御殿を訪れる羽目になった。
雪村が幼い頃、剣神が話した『毘沙門天のやり方』。
それを試したらしく、庭園が激しく抉れている。
何を思ったのかは知らないが、あれは人の身で繰り出せる技ではない。
ましてや今の雪村は、前に比べて弱っている。……強く止めておくべきだった。
「今は眠っています。何やら習得した技を復習したようですが、あのような技は、女子の身体には負担が過ぎるのではありませんか?」
全くその通りだ。
兼継の顔色で全てを察したらしき老女は、それ以上、何か言うことなく、部屋へと通した。
床に伏した雪村は、人形のように眠っていた。
精気がなさすぎる顔は、まるで死んでいるようで、兼継は心底ぞっとする。
おそるおそる冷え切った頬に触れると、わずかに睫毛が揺らぎ、ゆっくりと瞼が上がった。
本当に、本当にこんな事はやめてくれ。どれだけ心配をかければ気が済むのだ。
戦でもなく、こんなくだらない事でお前を失ったら、私は毘沙門天を赦せない。
それ以上に、それを止められなかった自分自身を赦せない。
「私を殺す気か」
やっと絞り出した言葉には万感の思いが籠っていたが、雪村に伝わっただろうか。
滑らせた指先を首筋に当てると、頸動脈からですら探れないほどに 脈が弱い。
それは今にも途絶えてしまいそうで、兼継は手を離すことが出来なくなった。




