74.恢復 1 ~side K~
「修行のため」と理由をつけて、呼び寄せていた雪村が越後に来た。
このような事態になってから、ひと月も過ぎていない。
しかし雪村は、やはり女子になっている自覚もなく のほほんとしていた。
どれほどの自覚の無さかと言えば。
「此度も兼継殿のお邸に泊めさせていただいて良いでしょうか?」と平気で言えるほどに、だ。
あれだけ脅しつけたのに、もう忘れているのだろうか。
「覚悟あっての事か」と問い質したいところだが、その辺に関しては信倖に釘を刺されている。
こういう盆暗な所は、元の雪村のままだ。
男の感覚が抜けていないのなら それが当たり前なのだろうが、なぜ自分は雪村を『雪村』として見られないのか。
こちらばかりが、女性として意識しているようで腹立たしい。
「泊められる訳がないだろう。他を当たれ」
腹立ち紛れに突き放すと、雪村が驚いた顔で見返してくる。
しかし兼継からすれば、この程度の仕返ししか出来ないことも腹立たしかった。
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「朝早くから申し訳ありません。よろしくお願いいたします」
雪村が礼儀正しく頭を下げて挨拶をする。
『己の霊力を武器に注入し、攻撃力を補填する』――この術を習得できれば、短時間なら男の頃と変わらず戦えるはずだ。……戦では。
雪村が女子の自覚を持とうとしないのは、これを習得すれば元通りだと思っているからかも知れないが、それは違う。
これは『武器に』霊力を通わす術だ。戦以外では役に立たない。
いや、戦であっても 基礎体力が劣る身体では、長時間は持ち堪えられない。
丸腰の時、男に組手でこられては太刀打ち出来ないだろう。
どのように教えれば、それを実感させられるのだろう。
あれだけ脅しつけても、まだ解っていないというのに。
だがまずは霊力の鍛錬だ。それが習得出来なければ、実感も何もないのだから。
頭を切り替えて、兼継は鍛錬に集中することにした。
「では丹田に集めた霊力を練ってみろ。圧縮した霊力を練ることで対流に似た動きが生まれる。それを掌底から放出し、武器に纏わせる。刀なら刀、槍なら槍を覆う程度だ。くれぐれもやり過ぎるな」
何やら真剣に考え、兼継に言われた通りに熱心に鍛錬するところも、今まで通りの雪村なのだが……
霊気が違う
唐突に兼継は悟った。
何かが違う、という微かな違和感。それは雪村との霊気の違いだ。
兼継は過去に雪村を鍛錬した時の、丹田に当てた掌の奥から感じた霊気を思い出した。
雪村は炎虎を使役する前から、炎のような熱を持った霊気だった。
しかしこれは……
顔色が変わった
と思う間もなく崩れ落ちた雪村を、寸での所で抱き支え、兼継はぎょっとした。
身体が氷のように冷たい。
上丹田に触れた掌から、炎の熱とは対極を為す冷気を感じる。
それは 触れればすぐに消え失せる 粉雪のような霊気
「だ、いじょうぶです。ただの立ち眩みです」
すぐに意識を取り戻した雪村は、取り繕うように笑ったが、兼継にはそうは思えなかった。
いつか教えた事を後悔する。
このままでは雪村は、淡雪のように消えて居なくなる。
「やはり無理だ。止めよう」
確信に似た思いに囚われ、兼継は身を起こした雪村を再度、抱き締めた。
「戦には出るな。今のお前が、そのような危険な事をする必要はない。お前から言いづらいのであれば私から信倖に話す」
だいたい桜姫を守る為に、今の雪村が無理をする必要はない。そのような事は生家である上森がやれば良い。
それに信倖も、このような雪村を戦になど出さないだろう。
驚いたように兼継を見つめていた雪村だったが、やがて黙って目を伏せた。
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雪村が居なくなった
奥御殿の侍女から知らされたのは、未の刻も過ぎようかという頃だった。
……まさかこれほど早々にやらかすとは思わなかった。
目と鼻の先に、まだ兼継が居るというのに抜け出すとは。
「雪村は変わらないなあ。女子になっても猪武者のままなのか」
昔の雪村を知る同僚の泉水が、頭を抱える兼継の肩を叩いて大笑いした。
泉水は幼少時から、影勝の小姓として共に仕え、兼継が知らない間に、雪村に槍を教えた張本人でもある。
付き合いの長さ故に、何事も気安く話せる間柄だ。
「女子になっている分、なお質が悪いですよ」
「どうせこうなるなら、五年前になれば良かったのに。剣神公も仕事が遅いよな」
ぼそりと呟くと、泉水の大笑いが苦笑いに変わる。
兼継は小さく吐息をついて、泉水を見遣った。
どいつもこいつも『五年前』と繋げたがる。しかしこの一連の出来事を『剣神公』のせいに出来るのは有難かった。
「すみませんが、後を頼みます。私を笑った仕返しですよ」
ええっ!? と笑いが引っ込んだ泉水に、やりかけの仕事を押し付けて、兼継は部屋を出た。




