71.対峙 ~side K~
時は少し遡る。
「雪村は一度、上田に連れて帰るよ。少し落ち着かせたい」
信倖がそう切り出したのは、大阪での謁見を終えた直後だった。
邸に戻る途中で上森邸に立ち寄った信倖は、出された茶に少しだけ口をつけた後、改めて兼継に向き直った。
いつもの優しげな雰囲気は鳴りを潜めている。
「僕の聞きたい事は解っていると思うけれど。今朝のあれは どういう事なの? 雪村からも当然聞くけれど、君からも聞いておきたい」
「私にも解らない」
簡潔に兼継は答えた。
そう前置きをしてから、改めて口を開く。
「雪村がどうしてあのようになったのかは解らない。しかし、分かる範囲での経緯なら話せる。お前から雪村が「人当たりをしていて具合が悪い」と聞いていたが、あれから熱を出した。最初は暑気あたりだろうと思い、そのように処置をしたのだが、どうにも様子が違った」
「それは美成からも聞いている。一度は熱が下がったんだよね?」
「ああ。薬湯を飲ませ、そのまま休ませていたが。夜半を過ぎたあたりに雪村が『あの姿』で部屋に飛び込んできた」
「それは……」
驚いただろうね、と小さく呟き、信倖が眉間を指で押さえる。
それきり口を開こうとしない兼継に、信倖は小さく息をつき、再度、言葉を促した。
「そこまでは解ったよ。弟が迷惑をかけてしまって申し訳ない。でもね」
「……雪村に治し方を聞かれたが、私には解らなかった。何はどうあれ上森の敷地内で起きた事であるし、お前から預かった弟をこのようにした責は私にある。元の身体に戻す方法を見つけるまで、今しばらく待って欲しい」
深々と頭を下げる兼継に、信倖は慌てて腰を浮かせた。
「やめてよ、ごめん。そんな事をさせるつもりじゃなかったんだ。ただ、この先の返答次第では撤回するけど」
考えを纏めるような表情で目を閉じた後、信倖は改めて兼継の肩に手を置いた。
その手にきり、と力が籠る。
「……雪村に、無体を強いた訳じゃないよね?」
「そのように見えたか?」
しばらく探るような視線が交差した後。
信倖は少しだけ表情を緩めて 肩に置いた手を離した。
「そうだよね。ごめん、僕がどうかしていた。雪村は男だもん、いくら何でも心配しすぎてたよ」
「……」
半ば本気で襲いかけた挙句に、 花押まで刻んでいる
……とは言えず、兼継は表情を消してやり過ごす。
優しげな雰囲気が戻った信倖とは対照的に、兼継の表情は いつまでも固まったままだった。
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信倖から文が届いたのは、ふたりが信濃に戻って半月ほどたった頃だった。
それには「落ち着いたら雪村に、沼田の統治をまかせようと思っている」こと等の他に、少し気になる事が書かれてある。
「雪村が大人しく、邸内に籠っている」と。
その程度の事であっても、信倖と兼継にとって、それは十分な違和感だった。
今までの雪村ならば、「元の身体に戻る手段を探すために旅に出る」程度の事は言い出している頃だろう。
実際、兼継と信倖が一番警戒していたのはそれで、『霊力の鍛錬』やら『沼田の統治』といった話を振っていたのは、それを防ぐ為でもあったのだが、当の雪村にその気配が全くないというのだから。
女子になった雪村は、どこか違和感が付きまとう。
それは微かに揺蕩う香のように すぐに消えてしまうけれど、今までの雪村には無い『何か』だ。
『じきに雪村を越後へ寄越す』
そう結ばれた文を仕舞い 兼継は立ち上がった。
雪村の鍛錬が済んだら、折を見て、大阪に発つ予定だ。前倒しでやるべき仕事は済ませておきたい。
時間はいくらあっても足りなかった。
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「影勝様からお話は伺っています。雪村の部屋は念の為に、姫の部屋からは離してありますが、女子の身体になっているのでしょう? もともと温良な性質ですし、心配しなくて良いでしょう」
奥御殿を統括する老女は、事も無げにそう言うが、どうしてこうもあっさりと「雪村が女子になっている」という奇想天外な出来事を受け入れられるのだろう。
兼継自身は、未だ受け入れているとは言い難いのに。
「あまり驚かないのだな」
「ここは毘沙門天が治めていた国ですよ。そうそう驚いて堪りますか」
思ったままを口にすると、力強くも、根拠のない返事が返る。
毘沙門天が治めていた国。
それは「なんでもあり」と同義なのだろうか。
顔には出さないまま、微妙な心情になっている兼継に視線を戻し、老女が小さく吐息をついた。
「どうせこうなるなら、五年前になれば良かったわね。でもそれではもっと揉めたのかしら」
「あの時は、首藤殿が血迷った事を考えなければ良かっただけのこと。もう済んだ事です。それより雪村を頼みます。あれは娘の身体になっている自覚が足りない。暑いとなれば、男の前でも諸肌を脱ぎかねません」
「まあ!」
老女が口を押えて絶句する。
実際はそんな心配ではなく、「隙があり過ぎる」と伝えておきたいところだが、信倖のようにやたらと鋭く勘繰られても面倒だ。
ここに居る間に、少しでも女子としての自覚を持たせてくれると良いのだが。
この方は、かつて『剣神公の懐刀』と呼ばれた女傑だ。
兼継は、自分が子供の頃から勤めている古参の侍女頭に 深々と頭を下げた。




