70.鍛錬終了
おなかの中で味噌汁を作るイメージで。
汁が沸騰して、具材がぐつぐつ踊りだすまで蓋をする。
掌底は換気扇のイメージで。
蓋をあけたら、湯気を一気に吸い上げて放出する――!
「で、できました!」
槍が霞のような霊気を纏い、光を受けて虹色に淡く輝いている。
私でも出来た!
振ってみると、力を入れてないのに速く振れるし、よく斬れる。
これなら腕力がなくてもいけそう!
「よくやったな、おめでとう」
そういって微笑む兼継殿も、ちょっとほっとした表情をしている。
ひとりで鍛錬していて倒れた翌日から、兼継殿は仕事を休んでついてくれるようになった。
「そこまでしてくれなくていいです」と断ったけれど「仕事はもう済ませてある」と聞いてくれない。
本来、戦国時代の武士は、現世みたいに毎日出勤しなくてもいい。
兼継殿は執政業務で忙しいから、いつも出勤しているけれど。だからこそ、せっかくの休みに時間を割かせるのは申し訳なくて、サボって体力温存しながら鍛錬するって訳にはいかない。
精神集中しまくって、必死で味噌汁の事を考え続けた。
そのお陰で精神力か体力がついたらしく、倒れる事は無くなった。
無くなりはしたけれど、イメトレが味噌汁だったせいで……
「霞む粉雪のような、美しい霊気だ。お前の霊力が具現化するなら、炎かと思っていたが、違うようだな」
「……」
詩的に褒めてもらって恐縮ですが、たぶんそれ、味噌汁の湯気です。
笑って誤魔化して、私は最大限の感謝を込めて頭を下げた。
「兼継殿、有難うございました。これで今まで通りに、戦うことが出来ます」
鍛錬が終わったら、早急に上田に帰ろう。あまり頼り過ぎると、雪村との差異に気付かれる。
女の子になっているから、多少の違和感はスルーしているだろうけど、兼継殿は勘が鋭いから。
兄上にだって疑われていないんだから。……今はまだ大丈夫、だよね?
「明日、上田に戻ります。本当にお世話になりました。桜姫も長らくお待たせしてしまいましたし、一緒に戻ろうと思います」
深々と頭を下げ、改めてお礼とお暇の挨拶をすると、静かに私を見ている兼継殿と目が合った。
何だろう?
見返すと、兼継殿は組んでいた腕を解いて、右手を私に差し出してくる。
その指先は 護符みたいな紙きれを一枚、摘まんでいた。
「身代わりの符だ。お前は無茶をするからな。これがあれば一度だけ、どのような危害からも護られる。普段使いの鎧にでも付けておけ」
「え? あ、ありがとうございます!」
ちょっと待って? あっさりとチートな事を言っているけれど。
その符を持っていたら「絶対に死なない」って事じゃないですか? 何でそんな物が作れるのに戦で使わないの。
内心で突っ込みながら、受け取ろうと手を差し出すと、その符は私の指先で、ひょいと躱される。
「私が付けてやる。こちらへ来い」
「はい」
「背面で良いな?」
兼継殿が私を抱き寄せ、背中に手を伸ばす。
やりづらそうだな。言ってくれれば後ろを向くのに。
……
…………?
しばらくされるがままになっていて、やっと私は気が付いた。
何だかこれって、ハグされてる体勢では……?
「あのっ、兼継殿」
「気付くのが遅い。子供の時分なら「菓子をやるからついて来い」という者に気を付けるだけで良かったが、女子ならもっと気をつけねばならぬ。前にも油断はするな、軽率な言動は控えろ、と言ったはずだぞ」
そ、そうか、なるほど。兼継殿、娘を心配するお父さんみたいだな。
でも今のって私が悪いの? 他の人ならともかく、兼継殿だよ?
見上げたけれど、抱き込まれているせいで顔が見えない。
「兼継殿でも、警戒しなければいけないのですか?」
「聞こえなかったか。軽率な言動は控えろと言ったぞ」
何だか、すごく心配をかけているな。そりゃこんなドミノの駒みたいにばたばた倒れていれば、誰でも心配するか。
でもコツを掴んできたから、もう大丈夫です。
「兼継殿。どうか私のことは今まで通り、男だと思って扱って下さい」
「そういう事は、私を振り払えるようになってから言えと言ったな?」
腕から逃れようと、もぞもぞ暴れてみたけれど。
またお説教されて、ますますがっちり押さえ込まれてしまった。
まずい。いつの間にか霊力鍛錬から、組手の訓練に移行している!?
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今日、習得した技を応用したら、兼継殿を振り払えるようになるんじゃない?
「掌底から放出する霊力は『武器に纏わせる』程度」って言われたけど、兼継殿にもあれだけ言われているんだし、組手にも対応できた方がいい。
ほら、あれですよ。『毘沙門天のやり方』ってやつ?
たぶん少年マンガの必殺技的な、アレですよね?
ちょっと試そうとうきうきしながら奥御殿の庭で打ってみたら、掌底から霊力を出し過ぎた。
とんでもない破壊力で、庭を豪快に抉った挙句にまた倒れ、兼継殿にこっぴどく叱られたのはその日の夜。
「私を殺す気か」と、寝込んだ私の枕元でのお説教は、今まで見た事がないくらいマジな顔だった。
アレを自分にぶち込まれたら、そりゃ不味いですよね!
『毘沙門天のやり方』。確かにこれは、身体が保たないわ。
余計な事をしたおかげで、明日には上田に帰る予定だったのに動けなくなり、延期になってしまった。




