69.恢復 2
少し休んで体調を整えたあと、私は越後北側にある野山に来た。
この場所はもともと、越後の神龍の一柱『黒龍』が守護していたけれど、この龍は今、奥州の舘正宗に奪われている。
だからここ『冬之領域』は守護神龍が不在のせいもあり、あまり人が来ない。
内緒で特訓するには、もってこいの場所なのです。
さっきはおなかにエイリアンなんて、グロいもんを想像したのが悪かった。
兼続殿は「霊力を練ることで対流に動きが生まれる」と言っていたから、もっとこう、穏やかなもので……
対流か。
じゃあお腹の中で、じっくりことこと 味噌汁を煮立たせるイメージで……
……やがて想像上の味噌汁の具が、汁の中を激しく暴れ出す。
ぼこんぼこんと噴き出した泡が、豆腐や葱を弄ぶ。
こ、これだ。
そして煮立った味噌汁の湯気を、掌から出すイメージで……!
そこまで考えたところで、私の意識は暗転した。
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名前を呼ぶ声と ぴたぴたと頬を叩く感触で、私は目を開けた。
いつの間にか陽が傾いていて、空が橙色だ。
ぼんやりしたまま視線を動かすと、私を見下ろす兼継殿と目が合った。
どうしてここが分かったんだろう。
「こんな所でひとりで倒れるのはやめてくれ。生きた心地がしない」
私を抱え起こした兼継殿が、心底呆れた、と言わんばかりの溜め息をつく。
そして「私に抱きつける程度には力が入るか?」って聞くから、兼継殿の首に腕をまわして抱きついたら『馬に乗って帰るから、ちゃんと掴まっていろ』って意味だった。
そういうのはハッキリ言ってよ。紛らわしいなあ!
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「どうして私があそこに居るって分かったんですか?」
帰り道の道すがら。
私は馬上で兼継殿の背中にぎゅうと抱きついて、照れ隠しに聞いてみた。
頭を撫でられる事はあったけど、自分からこんなにくっつく事なんてないから、これはこれで恥ずかしい。でもこうしないと馬から落ちる。
……少しだけ間があって、背中越しに 淡々とした声が聞こえてきた。
「霊力を追った。朝に修練場で、お前の額に手を当てていたのは覚えているか? その時に少し、私の霊力を入れたのだが……」
へえ、兼継殿、そんな事も出来るんだ?
でもそれって何だか……
「花押みたいですね」
『カオス戦国』には『花押イベント』という、重要な恋愛イベントがある。
これは恋人関係になった桜姫に、攻略対象が自分の『花押』を刻印するイベントで、所有の証というか……桜姫に、その武将の霊力が注入される。
それを辿れば、お互いの無事とかどこに居るかとかが判る設定になっている。
だから『雪村エンド』では、桜姫から雪村の霊力が消えた事で「雪村が死んだ」って悟るシーンがあるし、攫われた桜姫を、花押の霊力を辿って見つけるイベントもある。
ゲームタイトルに入るくらい重要なイベントな認識はあったけれど。
愛染明王ともなると『花押』の刻印なしでも、そんなに気軽に似たことができるのか。
心配ばっかりかけているせいで、何だか申し訳ないな……
兼継殿の体温がぽかぽかして、何だかまた眠たくなる。
でも寝たら 馬から落ちる……
「……嫌だったか?」
うとうとしていたら、兼続殿の小さな声が聞こえてきた。
眠たいせいか、うっかりしてたら聞き落としそうなくらいの ちいさな声。
私は背中越しに ぐりぐりと頭を振った。
「私は安心できます」
嫌だとしたら兼継殿の方だと思う。
もう世話役じゃないのに、心配かけまくりだ。
それに倒れてもすぐ分かるって事は、遠くにすむおばあちゃんに「安心してお過ごし下さい」的なホームセキュリティって感じだよね。
今は雪村が居ないからいっそう……
そこまで考えて、私はぎょっとした。
兼継殿は「雪村だから」ここまでしてくれるのに、私は『雪村』じゃない。
雪村の身体をこんなにした挙句に、『雪村』が居なくなった。
その原因が私だって知ったら、兼継殿はどう思うだろう。
どうしよう。
私はこの人を相手に『雪村』のふりをして、騙し続けるなんて出来る?
バレる前に、何としても男に戻らなきゃ。
男に戻れば、きっと雪村も戻ってくる。
本来の自分の身体に戻れば、きっと。
でも、どうしたらいいんだろう。
方法がわからない。
兼継殿の背中におでこをつけたまま、抱きつく手に力を込める。
バレるのが怖くても、申し訳ないと思っていても。
私は今、この手を離す事ができない。




