68.恢復 1
大阪から戻ってひと月過ぎた頃、私は越後へ向かった。
「女性を極める」って事がよく解らないまま時間だけが過ぎたけど、やっぱり男に戻る気配は無い。
そして雪村が戻ってくる気配も無い。
それでも日々は過ぎていくから、私は何とかしなきゃいけない。
この身体でも、ひとりでも戦っていけるようにならなくちゃ。
雪村が戻ってきた時、身体は墓の中でした。……なんて事になったら、目も当てられない。
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久し振りに会った桜姫は、美少女台無しな驚愕した顔で絶叫した。
「雪村!? 何で? どうして!?」
「本当に、どうしてなんでしょうねぇ」
たぶんひと月前の私も、兼継殿の前で同じように取り乱していたんだろう。
それを思うと桜姫を笑えない。
しかし美少女の変顔って、予想以上の破壊力だな。
「このような身体になりましたが、これまで通り姫をお守りさせて下さい。ただ、今の私では力不足です。しばらくは私も越後で修業させていただく予定ですので、どうかお待ち下さい」
深々と頭を下げ、次いで桜姫の側に控えていた老女に向き直った。
「こちらに居る間は、奥御殿の一部屋をお貸しいただけるとの事。本当に有難うございます。……兼継殿に断られてしまったので 困っておりました」
前回と同じく、兼継殿のお邸に泊めてもらうつもりだったけど、頼んだら断られてしまったのです。
どうしようかと思っていたら、老女が奥御殿に部屋を用意してくれた。
でも奥御殿は女の園だから、男の私が泊まる訳には……と断ったら、「そもそもここは、影勝様のお邸ですよ」と返された。
桜姫と侍女衆のお邸みたいな気がしていたけど、言われてみればそうだった。
影勝様。ご自宅での影が薄すぎでは……
改めてお礼を伝えると、老女がちょっと呆れたような顔で口を押える。
「兼継様のお邸に泊まるつもりだった事に驚きですよ。あなた、少しは自覚を持ちなさい?」
「はあ」
「はあ、ではありません。兼継様からも「少し自覚を持たせるように」と言われています。これからびしびし行きますよ?」
前に兼継殿にも言われたけど、いずれ男に戻るつもりなのに『女の自覚』って、そんなに必要なのかな。それに今回は武芸の修行な訳ですし……
しかしきりりとした老女の顔は、反論など許す気配など微塵もない。
私は大人しく、こくりと頷いた。
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夜が近づき、部屋の外がざわめき出したので、私は少し時間を置いてから奥御殿の最奥の部屋へ向かった。
たぶんこのざわめきっぷりは影勝様のお帰りだ。
「影勝様、雪村です」
「入れ」
障子の外から声をかけると、低い落ち着いた声が返る。
影勝様に挨拶とお礼を伝えた後、私は越後に来てからずっと感じていた疑問を、影勝様に尋ねてみることにした。
「私がこのような身体になったのに、越後の方々はあまり驚いていないように見えます。いったい何故なのでしょうか?」
影勝様は無口で無愛想だから、怒っているように見られやすい。
それでみんな萎縮して話しかけない、って悪循環に嵌まりがちだけど、普通に話しかければ普通に返事が返ってくる。
「兼継の根回しもあろうが、何より五年前、そのままの姿だからな。見覚えがあるせいだろう。……その病は治るのか?」
「私にも、よく解らないのです」
兼継殿はこれを、『病』って事にしているらしい。
「兼継殿は陰陽道と関係があるのでは、とは仰いましたが、治し方までは…… 生きていると、このような事もあるのですね」
あははと笑う私をじっとみていた影勝様が、ぼそりと呟く。
「……成るべくして 成ったのかも知れんな」
「?」
「次から部屋に来る時は、誰かと一緒に来い。桜姫でも、侍女でも構わん」
どういう意味か聞き返す前に、話を変えられてしまったけれど。
……私と二人きりは気詰りでしたか影勝様?
おお……軽くショックだ。
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翌朝の早朝、私は久し振りに鍛錬場に来ていた。
目の前には兼継殿が腕を組んで立っていて、佇まいがもうスパルタコーチだ。
「朝早くから申し訳ありません。よろしくお願いいたします」
「早朝にしか時間が取れなかったのは、こちらの都合だ。こちらこそすまない」
ぺこりと頭を下げると、兼継殿も頭を下げる。
そもそも私がこんな身体にならなければ、鍛錬は必要なかった。
兼継殿が謝る必要なんて無い。
しかし、いつまでも謝り合戦をしていても仕方がないので、私たちは鍛錬に移ることにした。
「丹田に、霊力を集める事は出来るな?」
「はい」
「では、丹田に集めた霊力を練ってみろ。圧縮した霊力を練ることで、対流に似た動きが生まれる。それを掌底から放出し、武器に纏わせる。刀なら刀、槍なら槍の表面を覆う程度だ。くれぐれもやり過ぎるな」
いきなり難しいこと言われた!
そもそもそんなに簡単に「霊気を練る」なんて言われてもどうしていいやら。
掌底から霊気を出すって事は、前に剣神公が言っていた「毘沙門天のやり方」みたいな感じなのかな?
雪村は「霊力を丹田に集めろ」って言われた時、どうしてたっけ?
確か深呼吸を繰り返して、霊力を丹田に集めるイメージトレーニングをして習得していた。
イメージトレーニングか……。
じゃあ丹田で霊力を「練る」って、どんなイメトレを……?
練る……こねる……動く……昔の映画で、おなかの中にエイリアンが入り込んだものがあったような……
おなかの中にエイリアン……おえ。
自分の想像で具合が悪くなって、気が付いたら兼継殿に支えられていた。
冷や汗をかいて身体が冷えたせいか、額に置かれた掌の温かさが心地いい。
そんな呑気な事を考えながらぼんやりと見上げたら、 兼継殿の顔が真っ青で、私は慌てて身体を起こした。
「だ、いじょうぶです。ただの立ち眩みです」
「やはり無理だ。止めよう」
笑って誤魔化したけど、兼継殿は真っ青な顔のまま切り上げようとする。
「戦には出るな。今のお前が、そのような危険な事をする必要はない。お前から言いづらいのであれば、私から信倖に話す」
不味い。
昔は「いきなり出来るようにはならない。今日はもう止めよう」だったのに。
これは教えてくれなくなりそうな感じ……?
それは困る! 戦えない身体で沼田の統治なんて、怖くて出来ない。
東条が攻めてくるかも知れないんだから。
でもこの状態でごねても、兼継殿が折れるとは思えない。
とりあえず今は、大人しく撤退する事にした。




