67.消失
「真木は沼田に、所領が安堵されたよ」
ラフな普段着の小袖に着替えた兄上が、肩をまわしながらそう言った。
やっぱり大阪城への登城は気疲れするみたいだ。
結局、男の身体に戻れなかった私は、登城しなかった。
この件については「雪村は急な病だという事にしましょう。当主の信倖が居れば、取り敢えず問題ない」と、あれから美成殿が早急に手回ししてくれた。
所領の安堵とは、『豊富に臣従する代わりに保証された領地』って事。
こういう時は何て言えばいいんだろう。
「おめでとうございます」?「よかったですね」?
戦とはいえ、沼田はあんな形で蹂躙されているから喜んでいいのか解らない。
今までだったら、分からない事は雪村が教えてくれたけれど。今はどう答えるのが正解なのかがわからない。
私は曖昧に微笑んで誤魔化して、声には出さず、今日何回目になるかわからない名前を呼んだ。
雪村、どこにいるの?
……私の中から『雪村』がいなくなった。
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いつから居ないのかは解らない。
ゆうべ泣き寝入りしたらしい私は、兼継殿の布団で目が覚めた。
慌てて起きると、隣の部屋に居た兼継殿がいつもと変わらない顔で「おはよう」って言うから、今までの出来事は全部夢かと思ったくらいだ。
でも身体は女の子のままだし、兼継殿も「信倖と美成に使いを出した。身支度が済んだら戻るぞ」って、少し難しい顔になっている。
やっぱり夢じゃなかった、どうしよう、って思いながらも、まずは身支度を整える事にして、私は内面に呼びかけた。
着替える時に脱いじゃうけど。雪村、大丈夫?
……私の中に『雪村』が居ない事に気づいたのは、この時だ。
「雪村?」
名前を呼ぶ声で我に返った。
顔を上げると、兄上が心配そうな顔で私を見ている。
「大丈夫? 調子が悪いなら休みなよ」
「大丈夫です。申し訳ありません、ご心配をおかけして」
慌てて笑ったけれど、兄上は笑い返してくれなかった。
ああもう、私 あちこちで迷惑をかけているな。
「兼継にはああ言ったけれど、これが済んだらいったん上田に戻ろう。可哀相にね。どうしてこんな事になったんだろう」
優しく慰めてくれる兄上の声に、私は泣きたくなった。
言えるものなら言ってしまいたい。
「兄上、雪村が居なくなっちゃった」って。
でもそれを言ってしまったら、私は兄上の弟でいられなくなる。
私はこの世界にきて、初めてひとりぽっちになった。
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「私が沼田を、ですか?」
「男子のままならそうするつもりだったんだ。でも今はまだ、気持ちが安定してないでしょ? 僕としても、そばから離すのは心配だし」
兄上は沼田の統治を、雪村にまかせるつもりだったらしい。
日本史ではお父さんが生きていたから、上田城にはお父さん。兄上……のモデルの人が沼田城に入って、沼田を統治していた。
こっちの世界と現世の歴史は、似ているようで少し違う。
日本史では、謙信・信玄の子供世代は川中島で戦っていないし、今回の、沼田が真木領になる経緯も違う。
日本史では「御館の乱後に上杉の承認を得て、武田家臣の真田昌幸(幸村のお父さんね)が支配下に置いた」となっていたはず。
「何で武田家臣が上杉の承認?」って思うだろうけど、それはもともと沼田が上杉の支配下に置かれていた城で、御館の乱のどさくさで北条氏に取られたって経緯があるから。
その後は少し複雑で、武田氏が滅んだ時に沼田は織田氏に取られ、本能寺の変後にまた真田氏の支配下になる。そして秀吉の裁定で、再度、北条に引き渡される。
ゲームでは、この辺りの事には詳しく触れていない。
けれどこの世界の歴史は、日本史に近い経緯を辿っている。
時系列や経緯が変わっても『歴史上起きること』は変わらないとしたら、この先、沼田は東条家に取られるはず。
そしてもしもその後に、支城の名胡桃城も盗られる事になったら、小田原征伐のフラグがたつ。
でもこっちの世界の秀好はもう死んでいる。
秀好が居ないこっちの世界で、東条を『征伐』するとしたら『誰』になる?
そして本来、沼田を統治するのは兄上で、雪村じゃない。
雪村が沼田を治めるとしたら、それに何か意味はあるの?
たとえば……御館の乱みたいに、結末を変えられる可能性は?
もしその可能性があるのなら、私が行った方がいい。
先の予想がつく分、何か出来ることがあるかも知れない。
でもそんな係争地を、私は守り切れる?
雪村が居ないのに?
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「大丈夫です。私が行きます。ただ今の私はごらんの通り、まともに戦う事も出来ません。まずは兼継殿に、稽古をつけて貰おうと思うのですが。それからでも良いでしょうか?」
不安を押し殺して、私は笑って兄上に返事をした。
雪村が居たらきっとそうするから、私が怯んで引き籠る訳にはいかない。
「あ、うん。それはいいけど。ええと、そういえばその事なんだけどね」
兄上が急に歯切れが悪くなり、目線が空を彷徨いだす。
私、何か不味い事を言った?
どきどきしながら見返すと、兄上も、何だか妙にそわそわしている。
しばらく言いよどんでいた兄上が、やがて言いづらそうに聞いてきた。
「あのさ、雪村の腕力が弱くなっているって、兼継が言ってたけどさ。何でそれ、分かったの?」
何だそんな事か。
「兼継殿が私の腕を抑えて「嫌なら撥ね退けろ」と言ったのですが、撥ね除けられなかったのです」
「嫌ならって……何でそんな状況になってんの……」
正直に答えたら、兄上は曖昧な表情のまま、ぽそりと呟く。
何でそんな状況になったのかは、私にも解らない。
+++
「まあ、いいか」
吹っ切るように立ち上がり、兄上は私の肩に手を置いた。
「何かあったら言うんだよ。僕はいつだって、雪村の味方だからね」
まだ何か聞きたそうだったけど、結局兄上は、ゲームでもよく言う台詞で会話を締めくくった。
うわー ここで聞けると思わなかった!
こんな状況なのに、私は軽くときめいた。
この台詞は公式HPや雑誌掲載時に、立ち絵の横に採用された兄上の「決め台詞」だ。
こんな事を言うくせに、関ケ原の戦いでは東軍について、雪村とは敵対する。
ファンから「兄上のうそつき」コールが巻き起こっていたっけ。
あれ? そういえば雪村が女でも、関ケ原って発生するのかな?
真木の関ケ原は籠城戦だからともかく、大阪夏の陣をこの身体で戦うのは無理な気がする。
……無理だよね?




