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63.改変者 4 ~side K~


* ――――――――――――――――――――――――――――――――――― *


 昔の事を思い出していた兼継は、ふと我に返った。

 記憶にある姿から 見違えるほど大きくなった雪村が、(とこ)に伏している。


 子供の頃のように、鯉が作る波紋に目をまわした訳ではない。

 今日は本当に体調が悪いようだ。

 熱があるのに青白い顔の雪村を見遣(みや)り、兼継は首を傾げた。


 少なくとも子供の頃は、暑気あたりなど一度もしていない。

 このような顔色を見るようになったのは、霊力を(きた)えさせ始めてからだ。


『剣神公は、陰虎(かげとら)の霊力を高める為に養子に迎えた』


 雪村の霊力鍛錬(たんれん)を始めた頃は、まだその事を知らなかったが、とにかく剣神には出来たのだ。毘沙門天(びしゃもんてん)に出来て愛染明王(あいぜんみょうおう)に出来ぬはずは無い。

 そう思ってした事だが、陰虎の父は霊獣を使役する大名だ。その様な素地のない子供の身体には、負荷(ふか)が大きかったのかも知れない。


 影勝(かげかつ)様の為になればとした事が、雪村の負担になったのだとしたら、申し訳ない事をした。

 結局は影勝様の為にも、雪村の願いを叶える事にも(つな)がらなかったのだから。



「薬湯はお飲みになられたのですが、熱がまだ下がりません」


 雪村を()ていた侍女が心配そうに額の手拭いを取り替えたが、医者を呼ぶほどではないだろう。

 そこまで高い熱ではないし、先刻までは美成と会話も出来ていたのだから。


「今日はもう下がって良い」


 侍女を下がらせ、兼継も部屋を出た。

 薬湯を飲んだのなら熱はじきに下がるだろうし、あまり過保護に(かま)うのもどうかと思う。


 本人も言うように「もう子供ではない」のだから。



 ***************                *************** 


「これは……」


 手にした冊子を流し読みしながら、兼継は思わず眉間(みけん)を押さえた。

 自室に戻り、休むにはまだ早いからと何気なく手にした冊子は、兼継の予想の(はる)か斜め上を行くものだったからだ。



+++


 (さかのぼ)ること数か月。

 越後の侍女衆(じじょしゅう)が『写本の内職』をしていると知った雪村から「武隈領で推奨(すいしょう)している紙漉(かみす)きを、閑散(かんさん)期の内職に取り入れてはどうか」と提案されたのがそもそものきっかけだ。


 上方(かみかた)では専門の問丸(といまる)があるほど紙の需要(じゅよう)があるが、近場に美濃(みの)越前(えちぜん)があり飽和(ほうわ)状態だ。安く買い付ける事は出来るだろうが、運搬の手間を考えると、地産地消も選択肢になりえる。

 まずは紙の相場と、上方ではどのような読み物が流行(はや)っているのか程度は、国元に帰る前に調べておいて損はないだろう。


 言われてみれば侍女衆が『写本を上方に(おろ)している』とは聞いていたが、今まで冬季の内職については老女に任せきりだった。どれほどの規模で流通させていたのかも把握(はあく)していない。

 それどころか どんな『写本』を卸しているのかも知らない事に今更(いまさら)気づき、試しに数冊借りてきたのだが……


「何の写本だ、これは……」


 写本と言うからには、源氏物語や伊勢物語あたりを書き写した『転写本(てんしゃぼん)』を想像していたのだが、どう見てもそうは読めない。


 何故なら主人公が光源氏ではなく、花姫(はなひめ)と陰虎様。

 ようするに主君・影勝の妹姫と今は相模(さがみ)東条(とうじょう)家の当主・陰虎の恋愛模様が赤裸々に書かれた代物(しろもの)だったからだ。


 仮にも主家の姫だ。「不敬だろう」と止めたいところだが、よく見れば監修(かんしゅう)しているのが花姫本人なのだからどうにもならない。

 花姫は影勝様と違って非常に恥じらいが無……いや、おおらかな性格をしていらっしゃるからな、と誰に聞かれる訳でもないのに、兼継は内心の(つぶや)きに訂正を加えて思い返した。


 花姫といえば陰虎が来た直後から、暴れ(いのしし)もかくやと思われる猪突猛進(ちょとつもうしん)で突き進み、勇猛果敢(ゆうもうかかん)な波状攻撃を繰り出し、見事、陰虎の首を上げ……まあとにかく。


 朝な夕な精力的に迫りまくった結果、見事陰虎との婚姻を勝ち取り、侍女衆と勝鬨(かちどき)を上げていた風景が 昨日の事のように思い出される。


 影勝や兼継が『女性』というものに幻想を持てないでいるのは、剣神公や花姫、隠密(おんみつ)まがいの侍女衆に、子供の時分(じぶん)から(さら)されていた環境ゆえかも知れない。



 ***************                ***************


 流し読みしただけで胸焼けしそうな冊子を中断して文机に置き、兼継はもう一冊の方を手に取った。こちらは人質としてやってきた童が 実は女童(めのわらわ)で……といった『とりかえばや』の創作のようだ。

 女童の名前が『雪姫』な辺りが、雪村を参考にして書かれた物なのだろうなと思わせる。


 こちらは冒険譚に近い内容ゆえか、花姫の冊子よりはまだ読みやすい。

 池を(のぞ)いていて目を回して落ちた(くだり)などは、実際に雪村がたまにやらかしているから、雪村の養育日記でも読んでいる気分になる。

 ただこちらの創作の場合は、池に落ちた事がきっかけで『女童』である事が周囲に知れる、という展開にはなっているが。


 女童か。本当に雪村がそうであったら 面倒が無くて良かったのだがな。

 兼継はふと苦々しい思いに捕らわれた。


 雪村が男子ではなく女子であれば、五年前のあの時に手放さずに済んだのだろうか。それに。


 剣神にも信厳にも似ていない 可憐(かれん)な姫君。

 思い出しただけで兼継の眉間(みけん)には皺が寄り、痛くもないのに頭痛を(こら)えるような表情になる。


 雪村が女子だったら、桜姫の毒牙にかかる事も無いのだが。


 雪村と桜姫は、越後に居た頃から知り合っていた幼馴染(おさななじみ)だ。

 ただこの『桜姫』は、兼継が監視すべき毘沙門天の遺児で、既に大阪で神力を発現している。

 今は美成の手回しで抑えられてはいるが、今後の富豊や徳山の動き次第では、桜姫を天界に連れ帰る事も考えなければならない。


 しかし兼継はこの桜姫から『神子』としての神々しさを、全く感じ取る事が出来なかった。

 それどころか、その存在からは(あふ)れんばかりの煩悩(ぼんのう)しか感じ取れない。

 煩悩の数は一〇八というが、そんな数など優に超しているだろう。

 それなのに、よりによって雪村が、その姫にご執心(しゅうしん)なのだ。


 恋愛感情に(うと)く「姫に恋はしていない」と本人は思っているようだが、その程度の感情で、大阪から越後まで怨霊を斬り捨てながらの単騎駆(たんきが)けなど そうそう出来る事ではない。 

 (にぶ)いのだ。

 そんな所は子供のままで、兼継の心配は尽きなかった。


 あの煩悩まみれの姫にかかれば、純朴な雪村など一撃で沈む。

 雪村自身がそれを望むのなら構わないが、せめて「姫の本性を知っている」という前提がなければ公平さに欠けるだろう。


 よりによって何故あの姫なんだ。五年前にしろ今にしろ、この冊子のように女童であれば、このような心配をせずとも済んだものを。


 頭痛が増したような心地で、更に眉を(ひそ)める。


 これまでの兼継は、望みが(かな)った事が無い割に、 重責(じゅうせき)ばかりを背負わされる生き方を強いられてきた。


 御館の乱の折に「越後の神龍(しんりゅう)に影勝を認めさせる」案を創案(そうあん)し、「陰虎(かげとら)が越後に養子に出されたのは、剣神に霊力を鍛錬(たんれん)して貰う為。相模に東条の跡目(あとめ)を継がせる(むね)(したた)めた遺言書がある」事を突き止めた。


 だがその功績(こうせき)が認められて、若い身空(みそら)で越後の執政(しっせい)に任命された事も、毘沙門天の神子の監視の為に愛染明王の依代(よりしろ)に選ばれた事も、どれも兼継自身が望んだ事では無い。

 主君・影勝の為に働ける事は喜ばしいが、華々しい抜擢(ばってき)は余計な嫉妬(しっと)や邪魔立てなど、面倒(めんどう)事を引き寄せ過ぎる。


 私はもっと静かに暮らしたかった。


 兼継は小さく吐息をついた。


 子供の頃から勉学が好きで、寺の和尚に「足利学校に進んではどうか」と(すす)められた。足利学校は費用がかからず最高峰の学問が学べる施設だ。それなら(ろく)が少ない父に負担を掛けずに学問が出来る。

 入学するのは容易ではないが、是非とも合格して、将来は学問で身を立てたい。

 そう思って勉学に(はげ)んでいたが、その望みは、影勝の小姓に抜擢(ばってき)された事で叶わなかった。


「上森に仕官したい」という雪村を、影勝様のお役に立てるようにと、大切に丁寧に育ててきたのに、それも叶う事なく雪村は甲斐へと戻された。


 何故、こうも上手くいかないのだろう。

 何かを願うのが怖ろしくなるほどだ。


 手にしていた冊子を文机(ふづくえ)に置く。

 この話の女童がこの先どうなるかなど、興味は無い。


「まるで、望む事が罪だとでも言われているようだな」


 兼継は自嘲(じちょう)気味に呟いた。



 ***************                *************** 


「兼継殿!」


 突然開け放たれた障子から、小さな影が転げるように飛び込んできて、兼継は咄嗟(とっさ)(かたわら)にあった刀を(つか)んで立ち上がりかけた。


 兼継の瞳が見開かれる。


 さらりと流れる長い髪。大きすぎる寝間着から覗く華奢(きゃしゃ)な肢体。

 混乱と戸惑いに揺れる大きな瞳が、(すが)るように兼継を見つめている。


 五年の時を遡ったような光景が そこにあった。


「雪村、なのか……?」



 驚愕(きょうがく)のあまり、兼継の声が(かす)れる。

 こくりと(うなず)いた雪村が その場に崩れ落ちた。




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