61.改変者 2 ~side K~
「これを持って行って。あの子、朝餉を食べていないわ」
雪村を探そうと外へ出ると、追いかけてきた侍女に握り飯を持たされた。
自分だって朝餉前に呼びつけられたぞ、と内心げっそりしながら、兼継は現在、山道を登っているところだ。
越後に来たばかりの子供の行動範囲は広くない。
甲斐に逃げ帰るという選択肢を除くなら、寺子屋に向かったとしか考えられないが、それなら何故兼継を待たず、夜も明けきらないうちに抜け出したのか解らない。
解らなくても探さない訳にはいかないから、雪村を探しながら寺子屋までの道筋を辿っているところだ。
この時期になると、陽が照ればそれなりに温かいが 陰ると寒い。
まして雨になど降られようものなら、凍える半歩手前だ。
崩れてきた天気を気にかけつつ、兼継は周囲を見回しながら山道を急いだ。
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「かねつぐどの?」
道の向こうから駆けてくる子供の姿に、兼継はほっとすると同時に腹立たしさを覚えた。悪いことをしたなどと微塵も思っていない顔だ。
「勝手に居なくなって、どれだけの者が動いたと思っている」
怒鳴りたいのを堪え、兼継は雪村に目線を合わせて小さな肩を掴んだ。
「寺子屋に行っていたのか。何故勝手に抜け出した」
「お寺がとおいので、朝はやくに出なければ間にあわないと思ったのです」
「寺子屋は朝五つ(午前八時)と昼九つ(午後十二時)開始の二部制だ。お前は昼九つに合わせて私が連れて行くつもりだったのだが……」
思い返せば雪村に、そこまでの説明はしていない。
それどころか、慈光寺の場所を知っているかの確認と「そこに行け」としか言っていないのだから、一人で向かおうとしてもおかしくはなかった。
危うく頭ごなしに叱りつけるところだったが、悪いのは兼継の方だ。
しばらく頭を抱えた後で、兼継はぽそりと呟いた。
「……言葉が足りなかった。すまない」
きょとんとしていた雪村が、慌てて「かってに行ってもうしわけありません」と 頭を下げる。
その時、雪村の腹がぐうと鳴った。
真剣に謝りあっている所だっただけに、腹の音は随分とまぬけに聞こえて、兼継は思わず雪村を凝視した。
雪村は雪村で、小さな手を腹に当て、兼継と腹を交互に見て慌てている。
どうしていいか分らず おろおろしている子供は、見ていて何だか面白い。
しかしここで笑っていいものだろうか?
唇を噛んで笑いを堪えた兼継は、先刻まで心を占めていた苛だたしさや気まずさが、ゆっくりと氷解していくのを感じていた。
「侍女から握り飯を持たされた。少し先に沢があるから、そこまで行こう」
兼継は笑って、雪村と手をつないで歩き出した。
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ふたつ入っていた握り飯のひとつを、雪村が当たり前のように差し出してくる。
少し驚いて兼継は雪村を見遣った。
早朝から山道を歩いて腹が減っているだろうに、子供らしくない気遣いをするな。子供とは、もっと自分勝手なものじゃないだろうか。
それこそ他人の物にまで手を出すような。
「私はいい。お前が食べなさい」
「こんなにいっぱい食べられません。歩くとおなかがいたくなります」
雪村はふるふると首を横に振り、真面目な顔で握り飯を兼継の手に置く。
侍女が用意したのだから、これが雪村の適量だろうに。
だが、子供の気遣いを拒絶するのも可哀そうな気がする。兼継は握り飯を半分に割って、片方だけ受け取った。
「では半分な。私は朝餉を食べたから、本当にいいんだ」
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「ふたつあったら、兄上といっこずつ。ひとつだったらはんぶんこです」
世話役の自分に媚びた訳ではなく、もともとその様な性格なのだな。
そしてそれは、兄の影響もあるらしい。
兼継は、一生懸命に握り飯を食べている雪村を眺めて相槌を打った。
雪村には故郷に兼継と同じ歳の兄がいること。
武隈家には人質に適した者が居なかったから、家臣の真木家から出される事になったこと。
そのような身の上話すら今まで聞く気もなかった事に、兼継は少し反省していた。
こんな子供がひとりで故郷を離れて心細かっただろうに、世話役でありながら蔑ろにしてきた。
これからは心を入れ替えよう。
握り飯を食べ終わったのを見計らい、一度小さく咳払いをする。
「明日からは慈光寺に行かなくてもいい。空いた時間に私が読み書きを教えよう。またこの様に探すことになっては面倒だしな」
「よいのですか?」
素直でない物言いをする兼継に、こちらは素直に戸惑っている。
「子供が遠慮をするな」
そう言って頭を乱暴に撫でると、雪村が首を竦めて笑い声をたてた。
笑ったところを見たのも、兼継はその時が初めてだった。
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翌日から上森家中では、兼継が雪村を連れ歩く姿がよく見られるようになった。
時間が空けば読み書きを教え、兼継が勤めを果たしている間は、庭の土に字を書いたり 書籍を読み返したりと復習している。
元服するかしないかの子供が、もっと小さな子供を連れて歩く様は、大人の目には可愛らしく映る。
「まるでひよこか鴨の雛だなあ」
「どれ、学問はともかく、武芸の稽古ならつけてやるぞ」
兼継が知らない間に小姓仲間や暇な大人が構っていて、小さな雪村がいつの間にか槍術を覚えていた。
槍の型を教えようとした兼継が、普通に渡り合ってくる雪村に唖然としている様を見て、鍛錬場に居た大人たちが笑い出す。
「武芸ならともかく、雪村に変なことは教えないで下さいよ。叱られるのは世話役の私なのですから」
「雪村は筋がいいぞ。しかし子供とは、こんなに可愛いものだったんだなあ。言葉が通じる子犬みたいじゃないか」
「兼継は子供の頃から聡くて、可愛げがなかったからなー」
予想外に幼少期を非難され、兼継は仕返しに雪村の背をぽんと叩いた。
「雪村。お前、聡くないと言われているぞ。怒れ怒れ」
「えっ?」
「だからお前はそういう所が「可愛げがない」っていうんだよ!」
周囲が笑いに包まれたが、雪村だけがどうしていいか解らずきょとんとしていた。
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「雪村の兄」から文が届いたのは、雪村が越後に来て数か月たった頃だった。
雪村から立派な文が届いたこと、そして読み書きや武芸を教えてくれている事への礼などが丁寧に書かれてある。
その生真面目さが雪村に似ていて、兼継は会った事が無い「真木信倖」にも好感を持った。
それから兼継と信倖は、折に触れて、雪村の近況報告などを文で遣り取りするようになる。




