55.城下視察
いつの間にか季節は変わり、新緑だった木々の緑が深緑に替わっている。
力強く生い茂る葉が 夏の日差しを遮り、さやさやと揺らぐ影を落とす。
馬の轡を並べて、私は兄上と城下の小道を進んでいた。
久し振りの城下視察だ。
兄上と一緒だと、いつもなら 見つけるたびに絡んでくる子供たちも、遠巻きにしたまま ぺこりと頭を下げて駆け去っていく。
田畑で作業をしていた人たちが兄上に気づき、気さくに声をかけてきた。
「あとでお邸に夏大根をお届けしますよ」
闊達に笑うおばさんに、兄上もにこにこと笑って礼を返している。
本当に武隈が攻めてきていたら この田畑の実りは無かった訳だし、皆が笑顔でいられて良かった。
領地を守るって、本当に大変で大事だなぁと改めて思う。
私がもっと、この世界に貢献できる知識を持っていれば良かったけれど。
あいにく現世の私はしがないOLで、『カオス戦国』の携帯ゲーム版をプレイした事があるだけの人でしかない。
あとはせいぜい、少しだけ歴史に詳しいかなって事くらいだけど、今のところ、ゲーム展開を知っている事も 日本史の知識も、この世界では全く役立ちそうもない。
それなら私は何故、この世界に、そして『雪村』に転生したんだろう。
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「雪村?」
呼ばれる声に我に返ると、隣で兄上が心配そうに私を見ていた。
「大丈夫? 今日は暑いからね、熱中症には気をつけて。少し休もうか?」
「兄上、私はもう子供じゃないんですから」
私は苦笑して返す。
ぼんやりしていた私が悪いんだけど、やっぱり兄上は雪村のこと、子供扱いが過ぎる。
でも言われてみれば、ちょっと暑くてぼんやりするかも。
私は苦笑を照れ笑いに変えて、兄上に提案した。
「兄上、やっぱり少し休みましょうか。この先に滝がありましたよね? そこならきっと涼しいですよ」
そうだね、と兄上も笑って、森の方へ馬首を巡らす。
それに続いて私も、子供の頃に兄上と遊んだ滝へと馬を向けた。
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森の中にある滝の周囲には、神気に近い清涼感が漂っていて、私は思わず深呼吸をした。
暑さでぼんやりした頭も すっと冴える。
歩き通しだった馬に水を飲ませ、兄上とふたり、茂った下草の上に並んで腰を下ろした。
「ここ、子供の頃に遊んだ滝ですよね」
「そう、雪村が越後に行く前に。あの頃は大瀑布に見えていたけど、こんなに小さかったんだね」
雪村も同じことを思っていて、私はあははと声を出して笑った。
ひとしきり笑った後で、ふと思い出して兄上に向き直る。
「そういえば兄上は、兵法に詳しい方などご存じないですか? 城下の子供たちに教えたいのですが」
「兵法? あの子たちには早いんじゃないかな。兵法は戦での戦い方だしね」
「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。という事だけでも教えたいのです。いずれ戦う事自体がない世が来るでしょう。それまでの間だけでも」
『戦わないで敵を降服させることが 最善の策』
そういう意味なんだけど、兄上が目を見開いて、まじまじと私を見返してくる。
「雪村、いつの間に孫子なんて諳んじられるようになったの?」
雪村、脳筋か。兄上もさらっとひどいな! せっかく私、良いこと言ったのに!
微妙な顔になった私の肩をぽんと叩き、兄上が困り顔でくすくすと笑った。
「ごめん、雪村っぽくなくて、つい。解ったよ、僕に兵法を教えて下さった和尚に話をしてみよう」
「ありがとうございます」
私も機嫌を直して笑い返す。
上田で兄上と過ごす日々は 穏やかで幸せで。
私は自分がここに転生した理由なんて、いつの間にかどうでもよくなっていた。




