45.異世界・川中島合戦5
仄暗い蝋燭の火がゆらりと灯り、幽鬼に似た影がちらちらと壁に踊る。
兄上との軍議は、いつも人目を忍んだ真夜中だ。
「浦出に、川中島周辺の城下町を調べさせました。海津城では兵糧の他に、鉄砲と槍を多く買い付けているようです」
浦出は、真木の忍びを統括している重臣で、諜報活動を主に担っている。
鉄砲はともかく、槍を多く買い付けているなら、討って出る可能性が高いだろう。
そもそもこの戦の目的は「桜姫の奪還」だから、川中島で籠城する意味が無い。
そして武隈方が上田城を抑えるのが先か、上森方が海津城を攻略するのが先かでも戦況が変わる。
「海津城は剣神公でも落とせた事がない、難攻不落の城だけど……」
「それでも兼継殿は、海津城を攻めると思います」
「根拠は?」
きりりと真面目に見返してくる兄上に「私の世界では『武田vs上杉』といえば 川中島だから」とは言えない。
うん、冗談です。
私は居住まいを正して、兄上に向き直った。
「武隈軍が上田城に攻め寄せた場合、海津城を落としておかなければ、上森が援軍を出せません。背後を突かれます。それにおそらくは、剣神公が仕込んでいた策を利用すると思います」
前城主の高崎殿は、いつも信厳公の到着まで籠城していた。
その城がいつも剣神公に落とされなかったから、海津城は『難攻不落』と言われている。
でも本当に剣神公は、海津城を落とせなかったんだろうか。
雪村が越後に居た頃、剣神公から海津城攻めの話を聞いた事がある。
「何度も門前払いを食らったよ。そうしておけば、功を焦る武将ほど、己を過信するものさ」と言っていた。
子供の頃は気づかなかったけど、今になって思い返せばその台詞、“油断を誘っている”って意味に取れなくない?
戦上手な高崎殿は、剣神公の策に嵌らなかった。
でも、代替わりした今は?
雪村が聞いたって事は、兼継殿も一緒に聞いている。
武隈方が、海津城を過大評価しているなら、兼継殿はそこに付け込む気がする。
兵法三十六計に「敵に繰り返し行動を見せつけて見慣れさせておいて、油断を誘って攻撃する」といった意味の瞞天過海という兵法もあることだし。
だからって、兼継殿がどう攻め落とすつもりかなんて、さっぱり解らないけれど。
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少し考え込んだ兄上が、顔を上げて私を見る。
「で、雪村はどう動くつもり?」
「それは」
上森の戦の事を考えている場合じゃ無い。こっちはこっちで大変なんだよ。
戸石の後詰をどう使うかで、戦は全然違ってくる。
「もう少し、様子を探ってから決めたいとは思いますが……」
私は中の『雪村』と、合議して決めた内容を思い起こしながら、口を開いた。
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私の話がひと段落した後で、兄上が改めて、自分の方の状況説明をしてくれる。
「沼田には今、揺さ振りをかけているよ。ただ少し気になる噂も聞いた」
岩櫃城からほど近い沼田城は、昔から上森・東条・武隈が軍事上の重要な拠点として争奪戦を繰り返してきた、河岸段丘の台地に位置する丘城だ。
今は武隈方に属しているその沼田城で、兵を集めているという情報が入った。
それと時を同じくして、沼田城主が徳山と通じているという噂も。
簡単に言ってしまうと沼田城は、三国峠を越えるとすぐに越後領内に入ってしまう『境目の城』だから、沼田で兵を集めているというなら 最優先で押さえなければいけない。
また「徳山と通じている」という噂があるなら、武隈への忠心が揺らいでいる可能性がある。だとしたら調略をかける隙がある。
兄上は今、沼田城主に調略をかけている最中だ。
もともと岩櫃の兵は『上森への援軍』という名目で、それはようするに、沼田城の抑えを意味している。
兼継殿は「真木は戦にかかわらなくていい」って言っていたけど、そう言いながら、海津城攻めの援軍を出すのにいい位置にある上田に雪村を戻したり、兄上を沼田の抑えに最適な岩櫃城で戦準備をさせたり、案外ちゃっかりしている。
仲良くしていても、兼継殿は上森の執政だしね。
武隈家臣だった真木がどう動くか見るために、敢えてやっているのかも知れない。
ただ「沼田城主と徳山が通じている」って噂が気になるんだよね。
今の徳山の領地は、三河・遠江・駿河だ。
隣接する信濃や甲斐の大名じゃなく、上野にある沼田に調略をかけているとしたら、何故なんだろう。
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部屋の灯りがふわりと揺らいだ。気付けば蝋燭は随分と短くなっている。
ほむらを駆ったとしても、そろそろ戻らなければならない刻限だ。
「では兄上、そろそろ戻ります」
後詰として使うことになるか、上森への援軍として使うかはまだ判断出来ない。
戸石も岩櫃も。
「水は地に因りて流れを制し、兵は敵に因りて勝ちを制す。ゆえに兵に常勢なく、水に常形なし」
孫子にもあった兵法だ。
ようするに、戦いとは『常に決まった態勢』は無い。水と同じく形が決まってなくて流動的だから、その場で臨機応変に判断しろ、って意味。
平和ボケした現代日本から来て、いきなりこれですよ。
それで生き死にが決まるんだから、難儀な世界に転生したもんだよ。
大雑把な用語解説
籠城戦=お城に籠もって戦うこと。防御に全振り。
後詰=援軍・予備軍
合議=二人以上の者が集まって相談すること。雪村の場合は二重人格の独り言状態になるので、他人に見られたらヤバい
境目の城=国境警備の城のこと
調略=はかりごとをめぐらすこと。頭の良さと相手の追い詰められっぷり次第で成功率が変わる(多分)。似たものに「謀略」があり、こちらはさらに腹黒さが求められる(※個人の見解です)
執政=大名の家老のこと。「戦国時代 執政」で検索かけると直江さんがヒットしやすい
後詰=援軍・予備軍




