44.異世界・川中島合戦4
上田の城内は基本、食用になる植物が植えられているけれど、さすがに客間付近は庭が整えられている。
私は、庭に咲いていた花を活けている安芸さんに話しかけた。
何とか花贈りのあれこれを思い出そうと、時間を作っては部屋を訪れるようにしているんだけど……
「安芸殿は、どうして越後に残られたのですか? 父君は、陰虎様が相模に戻られた時に一緒に戻られたのですよね?」
安芸さんが顔を上げるより先に、侍女たちの方がざわりとさざめき、私はぎょっとして周囲を見回した。
「私は何か、おかしな事をいいましたか?」
「何でもないのよ」
安芸さんが慌てて遮る。
「母が病を患っていてね。それに効く薬が、南蛮渡来のもので高価なの。父の禄(給料)だけでは苦しくなってきて……それで私も、少しでも助けになればと侍女としてお城に上がったのだけど。理由は単純よ? 東条家より上森家の方が給金がいいの」
安芸さんは笑っていたけど、私は激しく後悔した。
あまり言いたくないであろう プライベートに踏み込んじゃったよ。
そりゃ侍女衆も、控えろよってざわめくよ。
「そんな事とは知らず……申し訳ありません」
「雪村、私は「給金がいいから上森!」って言っているの。ここは笑うところよ?」
しゅんとする私に、安芸さんがおどけて苦笑する。
それでも、どんな顔をしていいか戸惑っている私に、安芸さんはぷすりと葱坊主を挿した生け花を渡してくれた。
「はいこれ。お部屋に飾ってね? 雪村の部屋は、少し殺風景過ぎだわ」
「ええと、葱坊主の花言葉は何ですか?」
私は戸惑ったまま聞いたけど、安芸さんも侍女衆も知らなかった。
この活け花に、特に恋愛的な意味は無かったらしい。
いや、それよりも。
前に評定で「来客に見られたら、真木家の沽券に関わるから、客間付近に野菜は植えない」って決めたはずなのに。
誰だ。葱を植えた奴。
*************** ***************
父上の代から仕えている『真木家臣団』の面々は、もう歴戦の勇者って感じで。教えて貰える事は多いけれど、やらなければならない事も多くて、あっという間に時間が過ぎていく。
気分転換もかねて、私は城下の視察に向かうことにした。
城を出ると、心地よい風が草木の香りを運んでくる。
城下には 見渡す限りの田畑が広がり、青々とした稲穂が風に揺れていた。
収穫には、まだ全然早い。
「雪村兄ちゃん」
道の向こうから、見覚えがあるちびっこ集団が駆けてきて、私を取り巻いた。
どの子も相変わらず元気そうだけれど、やっぱり大人の話を聞いているのか、顔には緊張が見える。
私は先頭の子の頭を撫でながら、少しだけ身を屈めて、表情を緩めた。
「佐助、竹とんぼはまた今度な」
「分かっているよ。ねえ兄ちゃん、戦になるの?」
「大丈夫だ。だがもしも鐘の音が聞こえたら、すぐに母上たちと城へおいで。ちゃんと大人の言う事を聞くんだぞ」
うん、と頷く子供たちが、誰ともなしに田畑を眺め、やがてぽつりと呟いた。
「やっとここまで育ったのに。戦が起きると、めちゃくちゃにされちゃうんだよな」
それは「青田刈り」といって、敵城下の稲を刈り取ってしまう戦法だ。兵糧攻めにもなるし、籠城している敵兵を城から誘き出す、挑発の手段としても使われる。
私も佐助の頭に手を置いたまま、城下の田畑を眺めた。
今年は日照りも水害もなく、ここまで育ったのになぁ……。
武隈が攻めてこないのが一番だけれど、戦はあらゆる事態を想定して動いておかなければいけない。
子供の手を借りてでも。
「そうだな。出来うる限りの手は打とう。よし、いずれ上田を守る武士になるお前たちに、仕事を与える」
ちょっと芝居がかった感じでそう言うと、子供たちは「なになに?」と目を輝かせて、私を見上げてきた。
*************** ***************
竹を切り出して、先端を尖らせた一寸ほどの杭を作り、ランダムに田畑の中に刺しておく。
子供でも作れる乱杭みたいなもので、尖った竹の切っ先が足に刺さるかも? と敵方に思わせれば、青田刈りの効率が落ちるかもしれない。
どれほど効果があるかは解らないけれど、何より子供たちが「自分の田畑を守ろうとした」という意識は、今後役に立つと思う。
……と、私は案外真剣にやっているんだけど、傍から見ると、遊んでいるように見えるみたいで。
子供たちと別れて真木邸に戻ると、どこかから見ていたらしい安芸さんに「雪村はいつも楽しそうね」と笑われてしまった。
いやいや、私は真剣ですよ? 科学が発達した現世から来たのに、ショボい武器しか作れなくてすみません、とは思っているけれど。
「少し、いいかしら?」
苦笑する私をじっと見ていた安芸さんが、袂から取り出した布で、私の頬をそっと拭き始めた。ふわりと香が香る。
子供たちと乱杭の真似事をしているうちに、顔が汚れていたらしい……んだけど。
それに気づかず一日過ごしてしまった事と、他人に顔を拭かれている事が気恥しくなって、私は慌てて「自分でやります」と頬に手を伸ばした。
当たり前だけど、手が安芸さんのそれと重なる。
その途端、安芸さんはぱっと顔を赤くして、布を取り落としてしまった。
これだ。
私はやっと、ずっとどこかで感じていた違和感の正体に気がついた。
ここは乙女ゲームの世界のはずなのに、桜姫は頬を染めるとか照れるとか、全然そういう反応が無いんだよ。
雪村に抱き上げられても、たぶん「馬に乗った」程度にしか思ってない。
そしてそれに慣れっこになっていたせいか、こんな反応を返されるとこっちまでどぎまぎしてしまい、私は慌てて話題を変えた。
「そういえば安芸殿は、香を焚きしめられていますよね。白檀……でしょうか。私はこの香り、とても好きです」
……あああしまった!
どぎまぎしながら相手の匂いの話題を振るなんて、ちょっと変態ぽくないか!?
そう思われたらどうしよう??
ドン引いていませんように! 「イケメン無罪」よ、発動しろ!!
神に祈りながら様子を窺がうと、安芸さんは予想に反して、ますます照れて赤くなっている。
ヨシ!
「申し訳ありません。このような話題には慣れていなくて、変な事を言ってしまいました」
照れ笑いで誤魔化すと、真っ赤な顔で俯いた安芸さんが、小さな声で呟いた。
「……花贈りのおつかいの報酬にと、兼継様が下さったのです。雪村が好きな香だからと仰って……」
「えっ……」
私が好きな香? 初耳だよ。そして安芸さんには、おつかいのお礼をしたのか。
私も慈光寺におつかいしたけど、何も貰ってないぞ……。
それはともかく。
何故かこの世界、主人公姫よりモブの方が、乙女ゲームの世界観を出してくる。
主人公姫の沽券にかかわるよ?
もっと頑張れ、桜姫。
大雑把な用語解説
禄=給与。土地だったり米だったりお金だったり、ものはさまざま
評定=みんなで相談して決めること。読みは「ひょうじょう」。「ひょうてい」と読むと意味が変わる
青田刈り=刈田狼藉とも。まだ実ってない稲穂を刈るのが青田刈り。「青田買い」になると意味が変わるので注意
乱杭=杭をたくさん地中に埋めて、地面から出たところの端を縄で結んで障害物としたもの。本来は足を引っ掛ける目的のアイテムだけど、この世界では「どうせなら踏んで足を怪我しろ」と先端を尖らせるという、雪村オリジナルのえげつない加工が施されている




