42.異世界・川中島合戦2
翌朝、まだ陽が昇る気配もない刻限に 私たちは越後を発った。
目立たない質素な輿。付き従うのは警護の武士と数名の侍女だけで、とても大大名のお姫様一行とは思えない。
しばらく歩き、空が白み始めたところで 私はやっと気が付いた。
周囲が明るくなって、顔の判別がつくようになってきて……
私は声を押し殺し、ひとりの侍女に囁きかけた。
「姫!? 何やっているんですか、こんなところで!?」
「えへへ、ついてきちゃった」
えへへじゃないよ! どうしてお付きの侍女衆はこれ止めなかったの!?
きっ と侍女衆へ目を向けると、侍女たちの顔には「止められるとお思いですか?」と言わんばかりの、諦念の表情が張り付いている。
まあ、確かに無理かも。
いや、今は文句を言っている場合じゃないよ。
私も諦めて、桜姫に向き直った。
「今は武隈が、姫を取り戻そうとしている時です。これはいわば囮なのに、本人が来てどうするのですか。越後にお戻り下さい」
「いいえ、わたくしがこのまま上田にいけば、逆に武隈の兄上様を出し抜けるのではないかしら。どう?」
どう? じゃない。
「もともと「桜姫を上田にお連れする」体を装って影武者を立てているのですから、本物の桜姫が来てしまっては、策が台無しですよ?」
自信満々のドヤ顔から一転、鳩が豆鉄砲くらったような顔になる。
まさか本気でそう思っていたんだろうか。
私とお付きの侍女衆、それに護衛の武士までが一斉に溜め息をつき、それを見ていた安芸さんが ぷっと吹き出した。
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「では姫、戻りましょう」
あらかじめ落ち合う場所と定めていた飯山城。そこで真木側の護衛と引き継ぎを済ませた上森の護衛が、姫を捕まえようと小走りに攻め寄せた。
「雪村! 早く迎えにきてね!?」
「はい、すぐに」
掴みかかってくる桜姫を、やんわりと制しながら、私も笑いかける。
私から姫を引き剥がした越後武者たちは、先刻まで安芸さんが乗っていた輿に手際よく押し込めると、何事もなかったかのように連れ帰っていった。
捕獲の様子といい、じたばた騒ぐ姫を押し込める様子といい、動物病院に連行される猫によく似ている。
『人目を忍んで』はどこにいった、レベルの大騒ぎだ。
それはともかく。桜姫は神剣公の娘で、影勝様の義妹になるけれど、皆、とてもそんな敬意を払っているようには見えない。
「……越後の家臣団と侍女衆、桜姫の扱いが雑だなあ」
思わず呟いてしまった私に、残った侍女のひとりが 疲れたように微笑んだ。
「でも越後で、姫さまの扱いが一番雑なのは 兼継様ですわ」
それは何ともコメントしようが無い。
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目立たないよう山沿いの道を下っていると、眼下になだらかな平原が見えてきた。
川中島だ。
蛇行する河畔沿いに、 海津城も見える。
海津城は、千曲川を西側の守りにしていて、本曲輪をさらに曲輪で囲み、丸馬出と堀でしっかりと防御を固めている。
後に甲州流築城術と言われる造りの、堅牢な城だ。
そういえば子供の頃の雪村が、海津城に出陣した剣神公に聞いた事があるらしい。
「かいづ城のこうさきどのは、父上のご友人です。お会いになられたのですか?」
「いいや、何度も門前払いを食らったよ。そうしておけば功を焦る武将ほど、己を過信するものさ」
剣神公は闊達に笑っていたけれど、その時の「海津城行き」が川中島の戦いの事だと雪村が知ったのは、随分あとになってからだ。
武隈と戦うにしろ上田に援軍を出すにしろ、どちらにしても上森は、海津城を攻略しなければならない。
兼継殿はどうするつもりなんだろう。
剣神公も落とせなかった城なのに。
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信濃の上田城に戻り、数日が過ぎた。
「それでは我々は防衛に徹する、という方針で宜しいですね?」
『戦評定』――現代風に言うなら作戦会議の席上、家老の宇野が確認するように口を開く。
私は口調がですます調に戻らないように注意しながら、家臣を見渡した。
「ああ。籠城して上森からの援軍を待ち、挟み討つ。領民を城内に入れた場合、どれくらい兵糧が保つか試算して欲しい」
「川に細工はしなくても?」
重臣の根津が、念を押すように確認する。
いつもなら策についての確認は、筆頭家老の矢木沢が口にするけれど、今は居城の岩櫃城に戻っていて不在だった。
根津にひとつ頷いた後、皆を見渡す。
「しなくて良い。援軍が来るまで防御に徹する」
今回は、水攻めはしないつもりだ。
上田城の籠城戦で川の氾濫が利用されたのは、私でも知っているくらい有名だけど、何度も使うと警戒される。
いざという時まで隠したい。
そしてその「いざ」は今じゃない。
兵糧もこの際だから、どれだけ備蓄しているのかも知っておきたいし、買い付ける時はどんなルートを使っているのかも教えて欲しい。
本当に分からない事が多すぎだよ。
雪村も籠城戦をひとりで仕切るのは初めてらしく、家臣たちの意見を聞きながら覚えている気配がする。
不慣れな私の仕切りでも、今後の方針で特に紛糾することも無かったのは、兄上から家老に宛てて、文が届いていたからだろう。
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「雪村様が『籠城する』と言われるとは。大人になられましたなぁ。我々は「討って出る」と言いだされたらどうお諫めしようかと、そればかり考えておりましたぞ」
大きなボロを出すことなく 戦評定が終わりそうでほっとしていたら、家臣たちからも、ほっとしたと笑われた。
自分が一番の懸念材料でしたって……どんだけ猪武者な扱いなの、雪村。
とりあえず最後に、武隈の斥候を警戒するため忍物見を配置する……
現代風に言うと「真木の忍びに、武隈の本隊が攻め込んでくる前兆を探らせる」って事を確認して、その日の戦評定は終わった。
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「お疲れ様。評定は終わったのですか?」
安芸さんが、洗濯物を畳んでいた手を止めて、にっこりと笑った。
「安芸殿、何をしておられるのですか? 貴女はここでは姫なのですから、そのような事はうちの者にやらせて下さい」
「いいのよ。身体を動かしていた方が楽なの。だって本当は侍女ですもの」
洗濯物を脇へと寄せた私から洗濯物を取り返し、安芸さんが笑った。
お付きの侍女衆はどこに居るのか、姿が見えない。
それなら手伝います、と言う私に安芸さんが慌て、茶を運んできた真木の侍女が散乱した洗濯物に慌て、結局 洗濯物は、真木の侍女が回収して行った。
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「だってお世話になりっぱなしなのよ? せめてこれくらい」
ふくれる安芸さんが、お茶を一口飲んでから ちらりと私を見上げた。
ちょっと言いづらそうにしている。
どうかしましたか? と笑って促すと、意を決したように口を開いた。
「直枝家侍女の私が、こんな事を言うのも何だけど。私には兼継様のお考えが解りません。道中で知ったのですが、上田城は武隈方前線の海津城より、ずっと信濃寄りにあるのですね。ならば周りはみな武隈方。『上田城に桜姫が居る』と装えば、ここは激しい攻撃に晒されるでしょう。桜姫をお守りする為に、真木を犠牲にしているように 私には思えます」
強い口調の安芸さんは、本気で憤っているように見える。
私は言葉を選んで答えた。
「そのような見方もあります。しかし私は『桜姫が上田城に居る』となれば、武隈軍は積極的に攻めてはこないと思っています。神力を揮える神子姫に万が一の事があれば、富豊や徳山どころか、朝廷も敵に回す。上森が降伏すれば姫は取り戻せるのですから、上森攻めに注力するでしょう。上田城には抑えの兵を置き、出来るだけ多くの兵力で上森攻めに向かう可能性が高い、と私は見ています」
戦に『必ず』はないけど、なるべく安心して貰えるように笑顔で話す。
わざわざ女の人を怖がらせる必要はない。
「女の浅知恵で ものを申しました」
しゅんと恐縮する安芸さんに、私は慌てて首を振った。
「とんでもない。近くを通っただけなのに、よく見ているなと感心していました。ですから安芸殿は何も心配はいりません。心安らかにこちらでお過ごし下さい」
そして私は、こちらに来た用向きを伝える為、改めて安芸さんに向き直った。
「国境で諍いが発生しました。申し訳ありませんが、少し留守にします」
「まあ、大丈夫ですか?」
「はい。水場を巡っての喧嘩など、 農村ではよくある事ですから」
笑いかけると、心配そうに眉をひそめた安芸さんも、ふわりと表情を和らげる。
いつの間にか部屋に戻っていた侍女衆にも、何かあれば家臣に言うようにと伝え、私は部屋を辞した。
大雑把な用語解説
曲輪=堀や石垣、塀などで区切られた城の区画のこと。城の本丸の周囲に配置される
丸馬出=お城の出入口に作られた小さな曲輪。出撃拠点として活用。
↑ ここまで書いてアレですが、本編には関係ありません
戦評定=いくさ前の作戦会議
兵糧=戦のときに使う食料。ひとり1日5合食べてたらしい
斥候=現代でいうなら偵察兵
忍物見=山野に隠れて敵情をさぐる役目。足軽が派遣される事が多いけど真木家では忍びを派遣中




