41.異世界・川中島合戦1
しばらく真面目っぽい話が続きます。
「影勝様がこちらに戻られる。『武隈に謀反の疑いあり』との事だ。戦になるだろう」
兼継殿が耳打ちしてきたのは、雨がそぼ降る寒い日だった。
驚いて見返す私の肩を押し、さり気なく周囲を見回した後で 近くの空き部屋へと誘う。
「武隈殿は桜姫を、何としても取り戻したいようだ。富豊や上森に訴え出ても埒が明かぬと、業を煮やしたらしいな。国元に戻り、戦支度を始めている」
「桜姫は本当に信厳公の娘なのか」と公衆の面前で疑ったにもかかわらず、克頼様は桜姫を返すよう、何度も上森家に迫っていたのだそうだ。
そもそも桜姫は、越後山中の尼寺で育った剣神公の娘だ。
それを雪村が無断で連れ出したのだから、上森家にそれを言うのは、筋違いも甚だしい。
埒が明かないと見限った克頼様は「神子姫の守護を“武隈の一家臣”が担っているのは分不相応」と反発していた徳山に「桜姫の奪還に協力してくれたら、姫の守護を任せたい」と持ち掛けた。
しかし徳山はそれに乗らず、富豊に「武隈に謀反の疑いあり」と言上した。
大名間の私闘を禁じた『惣無事令』という法令に抵触するからだ。
徳山は富豊家が「神力を持つ桜姫は、あくまでも『家臣の姫』」としておきたいと知っている。
姫の、もうひとつの生家である上森がそれに従っている今、武隈とともに富豊と敵対しても分が悪い、と判断したんだろう。
徳山の調略に失敗した武隈は、「弁明があるなら上洛せよ」との富豊の言には従わず、戦準備を始めたらしい。
この世界に不案内な私でも、 無謀としか思えない。
「克頼様がそのような……」
思わず呟いた私を手で制して立ち上がり、兼継殿は再度、襖の外を確認した。
雨のせいで薄暗いそこには 誰も居ない。
襖を閉め、真剣な面持ちの兼継殿が振り返る。
しんと静まり返った部屋で、私は緊張して居住まいを正した。
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「桜姫はこちらで預かる。雪村は信濃に戻れ」
兼継殿の言葉に、私は驚いて顔を上げた。
考えるより先に声が出る。
「お待ち下さい。私ではお役にたてないという事でしょうか? 桜姫を奪いにくるというのに、お守りすることも叶わないと?」
「少し落ち着け」
兼継殿にぴしゃりと遮られて、言葉を呑み込む。
到底納得できない、と内で雪村が憤っているけれど、私としては戦は怖い。
けれど、そのどちらの感情も表に出す訳にはいかなくて、私は表情を消して兼継殿を見つめた。
私が落ち着いた と判断したのか、兼継殿が再び口を開く。
それは思ってもいない内容だった。
「秘密裏に「桜姫が真木領に匿われた」と武隈には思わせる。お前が上田に戻ればそう思うだろう。とはいえ、桜姫を危険に晒す訳にはいかないからな。影武者を立てる。お前はその娘と上田城へ戻り、籠城戦に備えよ。武隈が攻め寄せたら、時を置かずに上森から援軍を出す。それまで持ち堪えろ」
ようするに、上田城に桜姫が匿われていると見せかけて、実際は春日山城に隠しておくって事か。その方が姫は安全だ。
でも真木の当主は兄上だから、私の一存では決められない。
「影武者を? 兄上はこの事を」
そう言いかけたところで、兼継殿が自分の口元に人差し指を立てた。
……私は口を噤む。
「信倖も影勝様と共にこちらに戻る。お前とは入れ違いになるだろうが……」
つらつらと話しながら、兼継殿が袖から出した文を私の前に置いた。
人差し指は 口の前に立てたまま。
兄上からだろうか。私は文を懐に仕舞って、兼継殿に目礼をした。
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「お前は今まで通りにしていろ。桜姫には何も言うな」
部屋から出たところで、兼継殿が念を押すように囁いた。
はい、と頷いたけれど、桜姫にバレたら、絶対について行くって言う気がする。
初めて会った頃は人見知り全開だったけど、最近は、ゲームの印象に近い元気さが垣間見えてきたからなぁ。
一緒に行くって言ったら、どうやって止めよう? 止められるかな。
私は振り仰いで溜息をついた。
雨で湿気っているせいか、空気が妙に辛気臭い。
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「安芸と申します。精一杯勤めさせて頂きますので、宜しくお願いいたします」
深々と頭を下げたその侍女を、私は記憶を探りながら真剣に見つめた。
緊張で少し強張っているけれど優しそうな顔立ち。細身で機敏そうな姿態。
女性にしては少し低めの声。
……やっぱり覚えがない。
「此度は、危険な役目をお願いしてしまい申し訳ありません。安芸殿は必ず、私がお守りいたします」
頭を下げると、安芸さんも こちらこそ と再度頭を下げる。
お辞儀合戦になりかかったところで、兼継殿が軽く咳払いをした。
「上田には、信倖から文が行っているだろうが、籠城の準備もあろう。明日早朝『人目を忍んで』ここを発て」
「相手に見つかるように『人目を忍ぶ』のは難しそうですね。私に出来るでしょうか」
「それくらいは出来るようになれよ」
兼継殿の即座のツッコミに、安芸さんが口を隠してふふ、と笑う。
衣擦れと一緒にふわりと香が香って、何だかそこはお姫様っぽい
「変に気負わずとも良い。噂を流す。いくらお前が忍んでも『雪村が目立たない輿を守って、人目を忍ぶように上田城に入った』程度の事は武隈方の耳に入るようにするさ。全力で行け」
あっさり言う兼継殿に はい、と頷くと、兼継殿は安芸さんに顔を向けた。
「安芸は顔を薄衣で隠すように。桜姫の容姿は世間には知られていないが、克頼殿は誤魔化せないからな。それと奥御殿から侍女を数名、借り受ける。上森から出す護衛は、飯山城で引き継ぎが済み次第戻るが、侍女衆はそのまま安芸に付ける。雪村、頼むぞ」
「はい、お任せください」
飯山城は越後の境目にある 対・武隈戦での最前線になる城だ。
一方、武隈方の最前線は海津城で、ここは川中島にある。
城主は、信厳公が健在の頃からの重臣・高崎殿だったけど、病で代替わりした。
戦上手な高崎殿が不在とはいえ、武隈家内で海津城は、未だ『剣神も落とせなかった難攻不落の城』扱いだ。
ここはどうするつもりだろう。
兼継殿を見つめても、その表情からは考えが読み取れない。
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「では安芸は、夜のうちに奥御殿へ。老女には伝えてある」
侍女のトップは、ここでは『老女』と呼ぶのか。たぶん雪村が小さい頃から仕えていた、中年の侍女のことだ。今は桜姫専属みたいに、いつも側に控えている。
老女、老女……現世のあの年でそう呼んだら怒られそうだけどいいのかな……
いや、今はそれは置いておいて。
「それでは、奥御殿までお送りします」
立ち上がった私は特に何も考えず、安芸さんに手を差し出した。
驚いた顔の安芸さんが、私の顔と手を交互に見る。
そして慌てたように首を振った。
「だ、大丈夫です。ひとりで移動した方が目立ちません」
「そうですか? 遠慮はなさらないで下さいね」
安芸さんがくすりと笑い、優しい顔で呟いた。
「ありがとう。……雪村は変わらないわね」
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「雪村、安芸を知っているのか?」
頭を抱えて考え込む私に、兼継殿が聞いてくる。
いいえ、御覧の通りですよ。
「どうしても思い出せないのです」
情けない声で呟くと、兼継殿が当たり前だ、といった顔をして腕を組む。
「思い出し様などないだろう。お前は安芸の、名も顔も知らないのだから」
「……はい?」
間抜けに聞き返す私に、兼継殿が淡々と話し出す。
「花贈りの流行り初め、お前の部屋の前に秋海棠が置かれていたのは覚えているか? 差出人は解らなかった。当時の安芸は御殿の方で勤め始めたばかりで、それから間もなく、お前は真木に戻ったからな。知らなくて当たり前だ。私も花の件が安芸だと知ったのは、随分と後になってからだぞ」
「……」
秋海棠の花は覚えている。突然の花贈りに戸惑っていた雪村に、花言葉を教えてくれたのは兼継殿だったから。
でも……
兼継殿が、若干の呆れを滲ませて、小さな吐息をついた。
「覚えていないのにあの態度か。一度いわねばと思っていたのだがな。桜姫にするような事を、他の女性にもしていると誤解されるぞ。それと」
兼継殿がいちど言葉を切って、私を見据える。
「お前には、やらねばならぬ事がある。くれぐれも気を散らすな」
兼継殿の涼やかな瞳に真剣な光が宿って、私は現実に引き戻された。
そうだ。これから私は兄上にも兼継殿にも頼らず、自分で判断して 行動しなければならない。
戦を、ひとりで。
現代人だった私に それが出来るの?
大雑把な用語解説
謀反=主君を裏切るアレ。有名どころでは明智光秀の「本能寺の変」
惣無事令=大名同士のいくさ、ダメ。ゼッタイ。な法令
調略=はかりごとをめぐらすこと。頭の良さと相手の追い詰められっぷり次第で成功率が変わる(多分)
上洛=京都に行くこと。異世界的には「でも『上阪』より『上洛』の方が箔がつく気がするわ」程度で、大阪に行く時にも使われている
籠城戦=お城に籠もって戦うこと。防御に全振り。
影武者=権力者や武将が、自分の身代わりをさせた人。
香=香りのする木(香木)から作られたアイテム。仏壇屋の線香売り場あたりで その香りは楽しめる。
境目の城=国境警備の城のこと




