40.好感度上げと北の龍の住処 ~side S~
「先日、兼継殿に「写本をしているなら紙漉きも視野に入れてみては」とお話してみました。姫からのご助言が生きると良いですね」
雪村が茶に手を伸ばしてにこにこと笑っている。
……別に俺はそういう「ご助言」をしたつもりはないんだが……
さりげなく周囲を探ると案の定、侍女衆が「雪村の公認を得ましたわ!」みたいな顔で目配せしている。
気の毒に。
その漉いた紙でナニが出来上がるのか。
知っていたらこいつだって、そんな事は言わなかった筈だ。
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それはともかく。
この世界はキラッキラな乙女ゲームの世界。そして俺は天下無双の美少女主人公だというのに、攻略対象どもにやる気がなさすぎると思うんだ。
まず先日は、雪村に『過去の女』疑惑が浮上した。
おまけに俺は【兼継恋愛イベント其の一】でも、派手にやらかしている。
何がどうなってこうなったのかがサッパリ解らんが、『恋愛イベント』だったはずのイベントで、思いっきり兼継と決裂してしまったのだ。
好感度が低い状態で無理矢理イベントを起こすと、こんな事になるのだろうか。
このゲームにはときどき『恋愛失敗選択肢』ってのが仕込まれている。
例えば、恋愛イベントで攻略対象が「一緒に出かけませんか?」と誘いに来た時に「行きません」とつれない返事をした場合だ。
【兼継恋愛イベント其の一】には、そんな選択肢は無かったはずなんだけどな?
このイベントはゲームでは「紅花翁草(か桃か花水木)を贈った桜姫に、兼継が風鈴草を返してくる」という、序盤のイベントらしいあっさりしたものだった。
『兼継イベント』の醍醐味は、「序盤で『感謝』を意味する風鈴草を返していた兼継が、後半どれだけ熱烈な意味をもつ花を返すようになるか」ってとこだ。
だがしかし、何度もレスバした挙句に、初っ端のイベントで「あなたとの戦いを宣言する」なんて、熱烈な意味を持つ蓬菊を貰っちまった俺は、いったいこの先、どんな花を貰えばいいんだ?
コレを超える熱い花ってなに?
「死亡宣告」とか、そーいう意味を持つ花ってある?
何で俺たちは最序盤のイベントで、こんな熱い決闘じみた遣り取りをしてるんだろう。そもそもあいつ『桜姫の攻略対象』だって自覚はあるのか?
兼継イベントに失敗したので、俺はますます雪村攻略に、精を出さなければならなくなった。
雪村イベントは少し前に起こしたばかりだから、次のイベントを発生させる為には、改めて好感度稼ぎをしなければならない。
乙女ゲームにおいて、攻略対象は主人公のもの。
主人公のものは主人公のもの。
主人公姫は『安芸』に配慮する義理なんて無いのだ。
よーし、がんばるぞ!
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「雪村、今日は時間はある? 私、お邸の外はまだあまり見ていないの。良かったら連れて行って?」
可愛くおねだりすると、雪村は快く請け負った。
あいつがこっちで暇を持て余しているのはリサーチ済みだ。断るわけが無い。
為て遣ったり。
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雪村が連れてきてくれたのは、正宗に奪われた北の神龍が祀られていたという、洞窟だった。
奥には深々と澄んだ水を湛えた泉があり、そこからは鍾乳石が、いくつも突き出している。
さすが元・龍の住処だな。
夜明け前みたいな深青の水の上に、天井の隙間から零れ落ちた陽の光が、水晶の欠片みたいにきらきらしている。すごく綺麗だ。
「綺麗ね。こんなところ見た事がないわ」
現世でこんな綺麗な泉は見た事がない。
あざとかわいい演技を忘れ、俺は本気で褒めちぎった。
そんな俺に「喜んで頂けたようで良かったです」と雪村も微笑んでいる。
しばらくぼんやりと眺めたところで、俺はやっと我に返った。
しまった、これは観光じゃないんだよ。好感度稼ぎだ、好感度稼ぎ。
ふと見ると泉には鍾乳石……いや、石筍といったか。水の上に突き出した飛び石みたいなものがいくつか見える。
そして光が差し込んでいる天井の真下にも、人が乗れそうなやつがある。
……あの光の下で桜姫がきらきら光っていたら、男はメロメロになるんじゃね?
何かそういう絵面あるじゃん。宗教画ちっくな、上から天使が降りてきそーな、光の階段っつーか。
ヨシ!
俺は小袖の裾をたくし上げ、うふふと可愛く笑いながら、飛び石の上をぴょんぴょん飛び移った。
裾をたくし上げた時点で「乙女」をかなぐり捨てているんだが、この時の俺は、まだそれに気づいていない。
「危ないですよ!」
雪村が慌てた様子で叫んでいるが、俺は大丈夫だ。
桜姫は、絶望的にHPが無いもやしっこだが、運動神経はさほど悪くない。
それより、何より今は、好感度稼ぎだ。
「雪村、見て?」
無事に目当ての石まで飛び移った俺は、きらきらと天井から差し込む光の真下に立ち、全力のあざと可愛さで くるりとまわって見せた。
俺は何故、そんな余計な事をしたんだろう。
大人しく光を受けて、聖母よろしく微笑んでいれば良かったのに。
水に濡れた鍾乳石上での回転に、俺は思いっきり足を滑らせた。
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がぶがぶと大量に水を飲んだが、かろうじて俺は意識を保っていた。
しかしアレだ。現世での男の身体なら普通に泳げるはずなんだが、桜姫の長い髪と小袖が思いっきり身体に纏わりつき、身動きが取れない。
ぬ、脱がないと死ぬ……ッ!
ばたばたあわあわし始めた俺の身体が、突然ぐいと水面まで引き上げられた。
ふと気がつくと、首の後ろっつーか襟ぐりを、誰かの手が掴んでいる。
どうやら雪村が、猫をつまみ上げるみたいな感じで、俺を引っ張り上げてくれたみたいだ。
ありがとう雪村、助けに来てくれたんだな!
ここは可愛く「こわかったわ!」って言いながら抱きつこう。
そう思ったんだが。
雪村が、普通に立っている。
腰あたりまで水に浸かってはいるが、これなら桜姫でも足がつくんじゃね……?
……俺はそっと目を瞑り、気絶しているフリをした。
雪村は、俺の身体を筏のように、水面に浮かせて運んでいく。
乙女ゲームだろ、お姫様だっこくらいしろよ。とは思うが、髪や小袖にたっぷり水を含んだ俺の身体は、相当に重いんだろう。
俺は釣られた魚のように、水面をじゃぶじゃぶと進みながら腕を組んだ。
まずいな。好感度を稼げている気がまったくしない。
それどころか「危ない」って雪村の忠告を無視して池にドボンなんて、イベントなら好感度-10の選択肢だろう。
岸辺まで運ばれた俺は、息を止めて気絶しているフリを続けた。
「ワタクシ、恥ずかしくて合わせる顔がないわ」と殊勝に考えた訳ではない。
仮にもこれは乙女ゲーム。
溺れて気絶した女には、「人工呼吸」の名を借りたキスイベントが来るはずだ。
それ以外は認めない。
いや、18禁ならもっとグイグイきてもいいが、こいつにそこまでは求めまい。
「姫」
雪村の大きな手が、頬をひたひたと叩く。
そのまま気絶したフリを続けていると、何と雪村の手が桜姫の胸に触れた!
おお!? こいつ、相手に意識が無ければ、ここまで積極的になる奴だったのか!?? 初心な振りしていても、さすが18禁ゲームのキャラって事か……
どきどきしながら薄目を開けると、真剣な表情で俺を見下ろす雪村の顔が見える。お前がそのつもりなら やぶさかではない。
俺はそっと唇を突き出した。
次の瞬間。
俺の胸に当てられていた雪村の手が、思いっきり胸元を押してきて、俺はがふんと水を吐いた。
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「良かった。気付かれましたね」
心底ほっとした顔の雪村を、俺は茫然と見上げた。
そうだ、こいつはさっき俺を池から運んだ時も、乙女ゲームの法則を無視して淡々と的確な手法を取っていたじゃないか。
そりゃ人工呼吸より先に、水を吐かせるよな……
「このままでは風邪をひきますね。少しお待ち下さい」
雪村はびっちょり濡れた俺のそばにほむらを召喚すると、自分は濡れたまま外へと出ていく。
池に落ち慣れている訳でもあるまいが、随分と手際がいいな。
やがて戻ってきた雪村の手には、上質ではないが清潔そうな小袖があった。
近隣の家から譲り受けてきたらしい。
「私は外に出ています。着替え終わったらお呼び下さい」
そう言ってさっさと洞窟を出ていく雪村を、俺はやっぱり茫然と見送った。
そばでほむらが呆れて見ている気がする。そりゃそうだよな。
「お前の主人はかっこいいな」
俺は炎虎におべんちゃらを言いながら、小袖を着替える事にした。
雪村の警告を無視して、水に落ちただけでも好感度上げは失敗なのに、リカバリーにも失敗してしまった。
そもそも攻略対象の前で吐くなど、女として終わった。
俺、なにしにここに来たんだっけ?
好感度上げ? なにそれ??




