39.楮と三椏
「冬期間の内職は推奨している。侍女衆が写本を上方に卸しているのは知っていたが、創作までしていたのは知らなかったな」
意外そうな顔をして、兼継殿が筆を置いた。
仕事の手を止めるのは本意じゃないけれど、家に持ち帰ってまでやることはないと思う。
私は目の前に居る社畜の興味をこちらの話に向けるべく、居住まいを正した。
「写本は良いのですが、その材料となる紙はどこかから買っているのでしょうか? もしもそうでしたら、そこから内職するのも手なのではと思いまして」
「ほう?」
「甲斐の武隈家では、領民に楮や三椏を植える事を奨励していました。樹皮が紙の原料になるのです。そこから出来れば、より収入になるのではないでしょうか」
紙についての説明を黙って聞いていた兼継殿が、私の顔をじっと見つめてきた。
何か変なこと言ったかな? 心配になり始めたタイミングで、やっと口を開く。
「武隈が推奨していたのなら、真木領でも作っているだろう。それを越後に卸せばそちらの収入になるだろうに、なぜそうしない?」
「真木領では、他国に卸せるほど楮や三椏を植えていません。『どうせ植えるなら戦に役立つものを』それが父の方針でしたから。それにこちらにはお世話になっていますし、何かお役にたてそうならと思いまして」
まあ、武隈家の受け売りだけどね。
「その事なのだがな」
少し困ったような表情で、兼継殿が腕を組んだ。
「桜姫は剣神公のご息女だ。こちらで保護するのは当たり前だぞ。むしろ真木は巻き込まれた側なのだから、もっと堂々としていろ」
「……!?」
なるほど。言われてみればそうかも。
はっとした表情の私を見て、兼継殿が顔を逸らして吹き出す。
しばらく肩を震わせていたけれど、やがて笑いを堪えて口を開いた。
「しかし興味深い話だ。もう少し、話を聞かせてくれるか?」
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「なるほどな」
わかる範囲で話し終わった後で、私はふうと息をついた。準備なし・画像なしで プレゼンをした気分だ。
腕を組んで話を聞いていた兼継殿が、少し考えながら口を開く。
「紙座は美濃や越前が有名だな。上方の方だと問丸もあるくらいだ。紙自体を流通させるとなると厳しいが……」
「写本の数量次第でしょうか。それなりに数を作るなら、紙を買うより漉いた方が経済的かもしれません。それこそ数量次第では、写本より印刷の方が早く大量に出来るでしょうし」
「活版印刷か? 上方で見たことはあるが」
「木版印刷の方が楽だと思います。活版印刷は、南蛮文字の数が限られているからこそ使い勝手が良いのでは」
江戸時代にはかわら版や浮世絵が発展するけど、あれらは木版印刷だ。
私は現世ではごく普通のOLだったから、ここで役立つ特技を持ってる訳じゃないけど、まさかこんなところで高校時代美術部の知識が活きるとは思わなかったな。
実は「紙漉き」も、高文連の地区大会で経験済みなのです。
だからやり方だけなら解るよ? 薄く漉くのは要練習だけど。
先刻まで書いていた書類、文机に置かれた紙を手に取り、兼継殿が考え込む表情になる。
需要や供給のことを計算しているのかと思ったら、ちょっと違った。
「……このような時代でなければな。ひとたび戦が起これば、紙などすぐに燃え失せる。書物など腹の足しにもならぬ。日々の糧を得るのに精一杯だという者はいくらでも居る」
物憂げな表情で兼継殿が目を伏せて、私はちくりと心が痛くなる。
「幕府が開けば、いくらでも書物が読める平和な時代が来ますよ」
そう言いたいけれど言葉には出来ない。
だって、最後までそれに抵抗したのが「雪村」だから。
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「助言に感謝する。それについて少し調べたい事が出来た。悪いが外しても良いか?」
「お待ちください!」
私は慌てて兼継殿の袖を掴んだ。勤務時間外にそんな余計な仕事を増やすために話したんじゃないよ。
いや、話を振ったのこっちだけど。
「あまり根を詰めて、仕事をしないで下さい。身体を壊します。どうか夜は休んで下さい」
「そんなに柔に見えるか? これでも鍛えているつもりだぞ」
兼継殿は苦笑しているけれど、やっていることはブラック企業の社畜戦士だ。
管理職がそれじゃ部下は休まらないよ。
しかし私は上森とは無関係だし、そこらへんに口を出すのは出しゃばり過ぎだ。
だからって、余計な事を言ってしまったばかりに、仕事をさらに増やしたのかと思うと、気が咎めるなんてもんじゃない。
「そのうちに、真木領をご案内します。楮や三椏の生育状況や紙の漉き方などは、実際に見た方がいいですよ!」
私の勢いに押されたのか、兼継殿が軽く目を見張っている。
やがてくすりと笑って手を伸ばし、私の頭を撫でた。
そうされて、雪村の記憶が甦る。子供の頃にも兼継殿を引き留めようとするたびに袖を掴み、こうして頭を撫でられている。
しまった、私、子供の頃の雪村と同じことしてるよ。子供扱いして欲しくない、なんて言ってた癖に。
「いつの間にか大きくなったのだな。ここに来た頃は あんなに小さかったのに」
「お別れしてから、五寸は伸びましたよ。それでも背丈は兼継殿に届きそうもありません」
少しだけ見上げながら、苦笑する。本当に兼継殿は、雪村を子供扱いするなぁ。
あれ? よく考えたらこの「頭ぽんぽん」。男で堪能できる唯一の乙女ゲーム的イベントじゃない?
雪村に転生してから、ほんっとーに潤いのない生活してるからね、私。
この年で兄上や兼継殿に子供扱いされるのもどうなの、と思っていたけど、そう考えると悪くない、気がする。
あーあ、何で私は雪村なんだろう。
桜姫だったら、もっとちゃんとこのイベントを堪能できたのになあ!
そんな事を考えている間に、兼継殿が私の手を袖から外して、とっとと部屋から出て行った。
しまった、思い出したよ。子供の頃もこうやって逃げられたんだった。
私も慌てて立ち上がり、兼継殿の後を追った。
この社畜、油断も隙もあったもんじゃない。




