376.異世界・関ケ原30 ~清雅~
時を遡ること 数刻前。
朝廷から使者も臨席し、申し開きとは名ばかりの、詮議の場となった二条城。
その最中に、伏見城炎上の報が入った。
「申し開きは中断じゃ。徳山殿、一刻も早く城の消火を」
「何と。ちょうど良いではないか。神子姫が御座す城が火を噴いたという事は、天も貢物を望んでおられるのであろう」
慌てる舞田に、家靖が嗤って嘯く。
絶句する面々の中、美成が即座に立ち上がった。
「徳山殿、責任逃れは困りますね。伏見城に神鳴でも落ちたと言うならともかく、これはただの失火。早々に手を打たねば城下が火に包まれる。ひとの世をひとの手で作りたいと言うならば、まずはその『ひと』を守るべきでしょう!」
鎮火の采配に当たります
そう言い置いて、美成は広間を出て行った。
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「清雅。至急、伏見城へ向かって下さい。城が焼け落ちては無事では済みません」
「お前はどうするつもりだ。美成」
「……雪村の策の通りに事が運べば、じきに上森殿が、ここに到着する筈です」
「上森殿が? 茂上との戦はどうなった」
「言うに及ばず」
ふと笑った美成が、どん、と清雅の胸元を拳で叩く。
「いいから早く行け! 本当は俺が行きたいところを譲るんだ。下手を打たないで下さいよ」
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急ぎ伏見城へ向かった清雅だったが、正門は固く閉ざされていた
周囲も、大勢の兵で固められている。
「小夏が養父上様に会いに来ました。ここを開けなさい!」
正面から堂々と突破しようとする、徳山の姫と真木の当主。
彼らが耳目を惹いている間に、塀を上って中に入った清雅は、中で繰り広げられる予想外の光景に唖然とした。
松明を手にした武士たちが、己が城に火を放っている。
搦手門から揚々と出て行く男たちを見送り、清雅は城を見上げて呟いた。
「どうあっても神子姫を焼き殺すつもりだな。連れて脱出となると骨が折れるぞ」
正門よりは搦手門の方が、警備が手薄だろうな。
頭を掻きながら、清雅は燃え盛る城の中へと滑り込んだ。
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「そんな訳だ。雪村殿の策とは関係なく、徳山殿は最初から、神子姫を焼き殺すつもりでいたんだろう」
火傷した雪村の手に触れる清雅の掌が、ほんのりと輝きを帯びる。
信倖が信じられないものを見るように、焦げた小袖に包まれた自分の身体を見下ろした。
先刻まで焼け爛れていた肌には、赤みも水膨れも残っていない。
しかし、悠長に喋っている暇は無いだろう。
火を避けて場所を移動したとはいえ、ここは未だ炎上する城の内だ。
「さて」
治癒を終えた清雅は、にやりと笑って片鎌槍を構えた。
「多少なりとも、警備が手薄なのは搦手門だ。退路は俺が開く。真木殿は雪村殿を連れて、ここから脱出してくれ」
「加賀殿、ご厚情に感謝します。しかし徳山は、朝廷や富豊の意向に逆らってでも『桜姫の消失』を望んでいる。桜姫は、今後も火種となるでしょう」
「清雅殿。私はすべての憂いを断っておきたいのです。今、ここで『桜姫』は天に還ります」
「……そうか」
「清雅殿、今までいろいろとありがとうございました。美成殿にもよろしくお伝え下さい」
「……」
何か言いたげに、それが言葉にならずに黙り込む清雅に頭を下げ、信倖が雪村の肩に手を置いた。
「二階から上は『炎虎の霊炎』です。僕たちは上へ引き返し、屋根から脱出します。加賀殿、どうか貴方も無事に逃げ切って下さい」
頷いて手を上げる清雅にもう一度、頭を下げ、ふたりは再び燃え盛る城内へと引き返していった。
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ぽつぽつと落ちてきた雨粒が、あっという間に勢いを増す。
水桶を手に、絶望的な気持ちで消火に当たっていた民たちは、空を飛ぶ、異形の霊獣を茫然と見上げた。
三柱の神龍が呼んだ雨雲は、舞い狂う火の粉で燃えかけた城下を、あっという間に鎮火していく。
神力による救済。
その様な事は、神の直系が統べる都でも 今まで無かったことだ。
降り頻る雨の中。
神々しく空をうねる龍神に、ひとり、またひとりと民が手を合わせている。
空を見上げていた人々が、ふと思い出したように呟いた。
「そういえば神妖寮、やら言うのが出来るとは聞いとったけど、こういう事をしてくれるんやね」
「……神の恵みや」
集中的に豪雨が降り注ぐ伏見城から、もう火の手は見えない。
雲を纏ったように燻る城から飛び立った 一柱の龍。
――それに気付いた者は居なかった。




