369.異世界・関ケ原23 ~side K~
『長谷堂城撤退戦』
雪の仕掛けで難なく片が付いたと思われた戦は、それだけでは終わらなかった。
影勝は自分が上洛した後の代行に、徳山を迎え討つべく、南側の国境に布陣していた泉水を呼び戻すつもりでいた。
しかし手違いが起こり、北方前線の兼継の元に『式』が飛ばされてしまった。
『桜姫の伏見移送と影勝の上洛』を知らされた兼継は即時、山形城から軍を引き、それを好機と捉えた茂上軍は休戦協定を一方的に破棄し、撤退する上森軍の背後に襲い掛かった。
本来のものとは形を変えた、撤退戦が勃発する。
霊獣・妖狐も駆り出されての大激戦だ。
ただ、雪から異世界の歴史を知らされていた兼継は、初めから撤退戦を想定している。
川中島合戦然り『撤退を装って敵軍を誘き出し、完膚なきまでに叩き潰す』戦法は、兼継の最も得意とするところだった。
火矢が一斉に、妖狐に向けて放たれる。
量産された鉄砲が、茂上軍に向けて火を噴く。
崩れかけた軍の側面に 慶治郎率いる遊軍が、放たれた矢のように襲い掛かる。
もとより、負ける理由などない戦だ。しかし……
「うわああ!」
火矢を放った武士たちが、暴風に薙ぎ倒される。
身体に無数の矢を受けた大狐が、けたたましく絶叫した。
互いに補い合い、二柱でひとつだった妖狐の片割れは、未だ復活していない。
五尾の狐は 傷ついた己を回復出来ぬまま、荒々しく瘴気を吐き出して、辺りを見回した。
嘗ては神気に満ちていた霊獣が、禍々しい妖気を纏っている。
逃げ惑う茂上の兵。
その流れに逆らうように、仁王立ちになった最上胴丸の男が、妖狐にむけて吠え掛かった。
「右近! 雑兵にかまうな、敵はひとりぞ! 愛の前立ての男を狙え!」
殿を務めていた軍の中に、それを見出した妖狐は、耳障りな奇声を上げて場を蹂躙する。
整然と撤退していた軍の隊列が乱れ、割れた人垣の先にその男―― 兼継が凛として立って居た。
獲物を見定めた霊獣が、牙を剥いて襲い掛かる。
「堕ちた神とは哀れなものだ。一度、原点に立ち返った方が浄化されるやも知れぬ。……何より今は」
「邪魔だ」
軽く上げられた掌底から 業火が迸る。
今、まさに喰らい付こうとしていた口内にそれを受けた妖狐は 禍々しい妖気を撒き散らして爆散した。
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現世の歴史とは、展開が異なる撤退戦――しかし雪と桜井が想定していたのは、このような展開ではなかった。
初めから雪は『関ケ原の回避』と『長谷堂城での撤退戦の回避』を、同時に模索していた。
「詔書を受けての戦なら、上森軍が兵を引く理由はない。撤退戦にはならない」
それを視野に入れての朝廷工作だった。
籠城側は、攻め手の数分の一の兵力で凌げる。
徳山が兵を引き、後詰の当てがなくなった茂上は、城に寄って戦うだろう。
……館に援軍を乞い、それが当てにできないと判断するまでは。
そうなれば、戦は長引く。
雪は、兼継が戦で足止めされている間にすべてを終わらせ、別れを告げずに現世に帰るつもりだった。
「兼継を助けたくてやった事が、全部、裏目に出たな」
誰も居ない縁側。
月明かりに照らされた庭を眺めながら、桜井がぽつりと呟いた。
雪はとうとう最後まで、兼継に「元の世界に帰る」事を伝えなかった。
本人が迷っているのだから、引き止められたらますます揺らぐ。
だからこそ、最後は伝えないまま帰ることを選んだのだろうに。
「雪の意思を尊重する」とは伝えたが、どうするのが正解なのかが判らないのは、桜井も同じだった。
「愛染明王が兼継に、最後のチャンスを与えたのかも知れない」
最後の選択が迫っている。
茂上を降伏させ、兼継が凱旋した。




