362.異世界・関ヶ原16 ~小山評定~
降って湧いたように出てきた【神妖寮】の創設話と、富豊秀夜の霊獣継承。
そして神妖頭への就任。
【神妖寮】は霊獣を使役する大名を中心に据え、陰陽寮では手に負えない大型怨霊の討伐、霊獣の神力による天変地異の抑えや、戦で『式』を使役する市井の軍配者や陰陽師などを統括するという。
『白猿』の継承から日が浅い富豊秀夜の補佐として、三柱の霊獣を使役する上森影勝が『神妖助』に任命された。
腹心の僧が急急に入手した詔書の写しを握り潰し、家靖は内心、臍を嚙んだ。
何ということだ。
これでは「山神への供物など不要。至急、兵を引け」と命じられるのも時間の問題だろう。
これから攻め入ろうとしているのは、神妖助・上森が治める越後なのだから。
……だが、それが何だと言うのだ。
この詔書は『神妖寮の創設を認可した』旨を書き記したもの。
内府ちかひの条々だろうが、神妖寮の命令だろうが、「天変地異を鎮めよ」との詔の前では戯言に過ぎぬ。
ただひとつ、懸念があるとしたら。
「石川治部に、朝廷を動かす力などあろう筈もない。近江も、富豊の利になる事になぞ協力はせぬ。せぬ筈じゃ……」
いくら五大老・五奉行が動いたところで、新たな詔の発布はない。
近江が 朝議で潰す。
近江の富豊嫌いは有名だ。
秀好は近江の猶子になっていたが、それは公家の身分を手に入れる為に、強引に押し進められたものだった。
どれほど不快に思っていても、天下人の要望に逆らえる訳もない。
ただ、秀好の事は「成り上がり者」と蔑んでいた近江家も、朝廷との折衝を円滑に進め、更には公家衆と良好な関係を築いていた正室の政所は、一目置いて親しくしていた。
ところが秀好の死後、状況は一変。
跡継ぎを生んだ側室が我が物顔で振る舞うようになり、ついには政所を城から追い出してしまった。
経緯を知った近江家は激怒し、それ以来、富豊を殊更に疎んじているという。
公家の頂点、近江家と富豊の確執を知るからこそ 強引な手も打てた。
しかし【神妖寮】の創設。剰えその長に富豊が任命されるなど、想定外の事態が起きているとしか言いようがない。
朝儀の時、近江は何をしていた。参内していなかったのか。
現に茂上からは『石川治部より早馬が来た』と、状況の説明を求める文が届いている。
いったい何が起きている?
どうしたらいい。どうしたら……
頭を抱えた家靖は、独り言のように呟いた。
「儂は…… 人の世は、人の手で治めるべきだと思うのじゃ。日照りも洪水も山の噴火も、神力で避けられるならばそれに越した事はない。しかし人とは怠惰な生き物。楽すれば堕ちる。苦難に遭い、それを己の力で乗り越えていってこそ、人の能力は伸びていく。出来ることが増えていく。今はまだ無理でも、百年後、二百年後には、霊力に頼らずともひとの手で、水も火も支配出来るようになる筈じゃ」
「私もそのように思いますよ。それに近い将来、霊獣を使役出来る大名は居なくなります。神の力に頼ろうにも、頼れなくなる。束の間の安寧を享受しているくらいなら、さっさと引導を渡すべきかと思いますがね」
このような大業は徳山殿にしか出来ません。
だから私は、貴方に協力してきたのですよ。
項垂れる家靖の肩に手を置き、月光色の尼削ぎをさらりと揺らした僧は、それを言葉にせず微苦笑した。
+++
「天変地異を抑える為に、神子姫の身柄を押さえる」と兵を挙げたが、そもそも、人身御供で天変地異が収まる保証などどこにもない。
徒人が神の子を供物に捧げ、それで神の怒りが鎮まる保証など、どこにも。
だが『天下泰平の為、天変地異を鎮めよ』との勅命に、徳山は従ったまで。
それのどこが悪いのか。
気を取り直し、家靖は大名たちが待つ広間へと向かった。
腹心の僧に弱音を吐いたが、他人の前ではそのような姿は見せられない。
別室では討伐軍に組した大名たちが、今後の方針について話し合っている。
【神妖寮】の創設と、その長に富豊秀夜が任命された事には衝撃が奔ったが、富豊恩顧の福士政則には話をつけてある。
「五奉行が出した『内府ちかひの条々』。よしんばそれが本当だとしても、福士殿は朋友の加賀殿をお救いしたいとは思いませぬか? そもそも【神妖寮】とやらにやらせたところで、富士の噴火を霊獣如きが抑えられるとお思いですかな? それこそ、霊獣を従えてすらいない肥後大名に屠られる程度の妖が? この国きっての山神の怒りは、神の子でなくては抑えきれるものではありませんぞ」
福士は感心した顔つきで、いとも簡単に言い包められた。
おそらく大々的に、徳山の正統性を喧伝してくれているだろう。
ならばこのまま、上森に攻めかかる。
考えようによっては【神妖寮】創設の詔は恰好の時機だ。
上森討伐軍は表向き、『天下泰平の為、天変地異を鎮めよ』との朝廷から発布された詔に呼応して集められた軍。
ならば軍を動かしたところで、朝意に背く訳ではない。
そして上森も、まさかこのまま討伐軍が攻め込んでくるとは思うまい。
更に上森には、茂上討伐の命が下った。
茂上討伐の出兵後、城の守りが手薄になった隙をつけば、簡単に神子姫を奪い、富士山頂の社に封じる事が出来るだろう。
これもすべて天変地異を鎮めるため。
『朝意に叶ったこと』だ。
+++
「話はまとまりましたかな?」
襖をあけて足を踏み入れた途端、家靖はふと違和感を覚えた。
とっくに福士が言い包めている頃合いだと思ったが、皆、戸惑った顔つきをしたまま、互いに顔を見合わせている。
ざわりとした胸騒ぎに気付かぬ振りをして、家靖は鷹揚に部屋を見渡した。
暫しの無言の後、立ち上がった福士が口を開く。
しかしそれは家靖にとって、思ってもみない内容だった。
「さっき、清雅―― 加賀清雅から早馬が来ました。舞田殿が上洛し、再度『内府ちかひの条々』が三大老・五奉行名義で出されたと。それとこれが」
福士の手には、さらにもう一通の書状がある。
奪い取り、目を通した家靖の顔色が変わった。




