354.異世界・関ケ原8
「え……っと……?」
「夜中に許婚の部屋を訪っておいて、戦の話だけして帰る奴があるか。無粋にも程があるぞ」
「そ、そう言われましても……」
だって昼間は忙しいでしょう?
そう言いかけた言葉が、途中で止まる。
掴まれた腕が 痛い。
「この手を放す事を、私がどれだけ恐れているかなど、お前には解るまいな。どうしたらお前は 私のものになってくれるのだ。……頼む、行かないでくれ」
本当にどうしたんだろう。
いつも余裕があって、世話役気分が抜けないこの人が、こんな切羽詰まった表情をするなんて。
――エンディングを迎えたら、俺はもうここに来れない。現世に帰るなら最後のチャンスだ――
不意に桜井くんの声が甦る。
もう、今夜が最後かも知れない。
それなら私も 後悔したくない。
意を決して、そろそろと兼継殿のそばに寄り、ついでにぽすんと寄り添う。
ほんの少しの偽りも、この人には見破られてしまうから。
だから嘘にならないように言葉を選んで 兼継殿を見上げる。
「私は兼継殿のものですよ? 許婚ではありませんか」
「ならば約束してくれ。私から離れないと。ずっとそばにいると」
「……はい」
たとえ現世に帰っても、心はここに置いていきます。
ずっとずっと大好きです。
その言葉を呑み込んで 笑う。
黙って抱き締めてくれる 兼継殿の身体があったかい。
包み込むような体温と、ちょっとだけ早い心臓の音。
それに仄かに香る沈香が心地よくて……何だか悲しくなって。
でも様子が変だと、勘が鋭い兼継殿に見破られるのが怖くて、胸元に顔を埋めたまま眠った振りをする。
ゆっくりと髪を撫でていた手が止まり、頭上で苦笑気味の声がした。
「お前は本当に、私を男として意識しないな」
独り言みたいな 小さな囁き。
そしてそのまま、ふわりと身体が抱き上げられた。
+++
ひんやり冷たいお布団に寝かせられ、私はこっそりと薄目を開けた。
しまった…… 兼継殿は私が眠ってしまったら、自分のお布団を貸してくれる人だった。女の身体になった夜もそうしてくれたっけ。
兼継殿も戦準備で疲れているのに、このままじゃ徹夜させてしまう。
「寝たふり」なんて、最悪の選択ミスだった。ホントに何やってんの。私……
「兼継殿」
立ち上がりかけた兼継殿の袖を慌てて掴むと、少し驚いた顔が私を見下ろした。
「すまん、起こしたか」
「お布団が冷たくて」
「何だ。それなら直に体温が移って温かくなる。暫く待て」
「えっと、そうなのですが……その……」
笑いながら頭を撫でてくる兼継殿に、掛布団で顔を半分隠したまま、もそもそと呟く。
「……さっきまで兼継殿が温かかったので、ええと……寒いというか……」
「布団を被っていても寒いのか?」
風邪かな、と兼継殿がおでこに手を置く。
あああ、こんな時に限って、全然察してくれない……!
こんなに顔が真っ赤じゃあ、本当に風邪認定だよ!
そうなる前に、私はきりりと表情を引き締め、兼継殿を見上げた。
「ええと、今夜は寒いので、ちゃんとおっ、おふとんで寝ないと風邪をひきます。兼継殿もおふとんを半分、使って下さい!」
「ははは、何だ。同衾のお誘いだったか」
ぎゃああ!
はっきり言葉にされると急に恥ずかしさが爆発し、悶死しそうになりながら、私は布団から飛び起きた。
「私は掛布団をお借りしますので兼継殿は敷布団をどうぞ!」
「何!? そのような内訳での『半分』か!??」
掛布団を引っ被ったまま飛び退くと、兼継殿がそれを凌ぐスピードで、布団ごと私を捕獲する。
ああもう! 兼継殿が「男扱いしない」って言うから頑張ったのに!!
くすくす笑う兼継殿を見上げて、私は真っ赤な顔、半べそのまま、むすりと口を尖らせた。
「おふとん、温かくなったからもういいです」
「私が抱いているからだろう? そう膨れるな」
楽しげに笑った兼継殿が、尖らせたままの唇に 軽くキスをする。
不意打ちすぎて、真っ赤なほっぺたがますます熱くなる。
どんな顔をしたらいいのか判らない。
恥ずかしくて俯いた耳元で、兼継殿が囁く声がした。
「眠ってしまったからと、必死で自制したのだぞ。そちらから誘ったのだ。多少、行き過ぎても許せ」




