352.異世界・関ヶ原6 ~side S~
人払いをした奥御殿『櫻の間』――いわゆる、桜姫の部屋。
目の前には兼継が、眉間に皺を寄せて座っている。
「姫。私は菓子を消費するしか能のない貴女とは違い、大変忙しいのだが」
「はいはい、ゴメンナサイヨ。戦が始まる前に、お前に話しておきたい事がある。徳山についてだ」
徳山を迎え討つ準備で忙しい執政殿を呼びつけた俺は、ぱちりと扇を閉じた。
楽しい話じゃない。だが、伝えておかなければならない。
俺は、殊更に軽い口調を意識して口を開いた。
「話しておきたい事はふたつ。まずひとつ目は、雪が徳山を説得しようとしている」
「事ここに及んで、何を話す事がある? そもそもこれは上森と徳山の戦。真木は関係なかろう」
「あのさ、俺らの世界の歴史では、徳山は数年後に幕府を開くんだ。その後、この国には250年の平和が来る」
「二百五十年……」
「うん。戦国の世は終わる。雪は未来を変えたいと思っているけど、ここの歴史を捻じ曲げて『来るはずの平和』が来なくなるのが怖いんだよ。出来るだけ穏便に、事を運びたいと思っている。だから、俺の身代わりになるって言っていた」
「……山頂の社へ行くつもりか」
「どうなのかな」
先日、こっそりと教えてくれた 雪の『策』。
これには正宗の協力が必須だが、詳しい内容を知ると兼継が心を乱すだろう。
だから、絶対に知られないようにして欲しいと頼まれている。
その辺りはぼかしたまま、俺は言葉を続けた。
「もうひとつ。徳山は、自分の霊力が低い事に劣等感を持っている。それが『霊獣嫌い』ってやつの根底にある訳だが」
「知っている。剣神公と信厳公の川中島での戦いに紛れ込んだ件や、炎虎に恐れをなして粗相をした話など、何十年も前の話が未だ語り草になっているからな」
そういう話の揉み消しに、権力を使えばいいのに。
お互いにそんな顔になったが、それはとりあえずどうでもいい。
どう伝えるべきか少し迷いながら、俺は改めて兼継に向き直った。
「俺が知る未来のひとつに、『徳山が桜姫を側室にする』未来がある。徳山は子孫の霊力を高める為に『神子の血』を一族に取り込みたいんだ。今は「神社の巫女」なんて言っているけど、いずれもっと権力を持ったら、そうする事も視野に入れていると思う。この戦はその時の為に、生家の上森の力を削いでおこうって腹なのかも知れない」
「なるほど。ではお前が居なければ、この様な戦は起きなかったという話だな? この忙しい最中に呼びつけるなど何事かと思ったが、お前を天に還す相談か」
「まあまあ、落ち着け。そんな話でお前を呼ぶかよ」
座った目で、刀に手を掛けた兼継をどうどうと往なし、俺はきりりと居直った。
「気遣いは無用だ。俺はこの戦が終わったら、元の世界に帰る」
「引き止められるとでも思っているのか? だとしたらご愁傷様だな」
ちきしょう! こいつに気を使うだけ、俺が可哀相になってくるな!
いやいや。落ち着け、俺。
こほんとひとつ咳払い。
本当に伝えなければならないのは、ここからだ。
「たぶん、雪も一緒に帰る」
「……なに?」
「あんたも薄々気付いているだろうけどさ。麻沸散は『雪村』に戻る薬じゃない。そして雪は、契らずに『雪村』に戻る方法も見つけている。その方法で『雪村』に身体を返して、自分は元の世界に帰るつもりだ」
「……」
やっぱり雪は黙っていたのか。
あれだけ伝えておけって言ったのに。
俺には憎まれ口しか叩かないこの男が、真っ青な顔をして黙り込んでいる。
雪はこの、とんでもなくショックを受けている顔を見るのが嫌で言えなかったんだろうが、俺は知らされないまま『その時』を迎えて、どうにもならない状況で こんな顔をさせる方が酷だと思う。
だから。
「まだ確定じゃないよ。戦が終わるまでに、あんたが雪をオトせばいいだけだ! ガンバレよ!!」
雪が現世に帰る方法。
それは『現世にも異世界にもある物なら、持ったまま世界間を移動できる』俺の能力が鍵だ。
俺がこの世界でエンディングを迎える時に『雪の意識』を持ち帰れば、雪は現世に帰れる。
そして雪が居なくなった雪村の身体には、本物の『雪村の意識』が戻るだろう。
しかしこれを兼継に知られては、俺の身が危険だ。
「……『雪村』に戻る方法を教えろ!」
放心状態から抜け出した兼継が、鬼の形相で低く唸る。
――やべえ!
締め上げられる前に、俺は障子をすぱんと開けて、大声で侍女衆を呼び寄せた。
「執政殿がお帰りよ!! 早く……早く来てええ!!」
雪に「後悔しない方を選べ」と言ったが、それは俺も同じこと。
俺は『俺が後悔しない』選択をする。




