351.異世界・関ヶ原5 ~in 京~
賑やかに生を謳歌していた蝉に代わり、いつの間にやら草間では鈴虫が、澄んだ音色を奏で始めている。
季節は移ろい、残暑厳しい都にも、ようやく秋の気配が漂っていた。
京・伏見の一角に構えた石川邸。
数珠を前に美成が、長い時間、考え込んでいる。
それに黙って付き合っていた清雅が、痺れを切らして口を開いた。
「『白猿』をどう利用するつもりだ? お前のことだ。何か考えがあるんだろう」
「ええ、餅は餅屋と言いますからね。帝をそのように例えるのは不敬でしょうか」
「?」
不思議そうに見返す清雅に、美成が僅かに苦笑する。
「徳山の『人の世は人の手で』という理念に否やはありませんよ。ただ、朝廷――帝は神の子孫です。その帝が「山神への供物が必要」と判断したのならともかく、霊獣を従える事すら出来ない徳山が口出しして騒ぐなど、何をか言わんやとは思いませんか? そもそも、朝廷からの勅旨や官位は押し頂くくせに神の力は否定するなど、二重基準も甚だしい。あれでは誰の目にも只の私怨としか映りませんよ」
徳山は若い頃、第六天魔王を名乗った小山田信永に舎弟扱いされていた。おまけに三方ヶ原の戦いでは、炎虎を従えた武隈信厳にコテンパンにされ、その恐怖でお漏らしをしたというのは有名な話だ。
そのような目に遭わされれば、霊獣を使役する大名を目の敵にしたくなる気持ちも分からないではないが、される側にしてみれば堪ったものではない。
上森など、神龍が徳山に何をした訳でも無いのに難癖をつけられているのだから尚更だ。
「霊獣を目の敵にする前に、まずはその恥ずかしい話を揉み消すべきでしょうに。何のための権力なのやら」
「慎重に策を巡らす方だ。何か考えがあるんじゃないか?」
「粗相の話がですか? いい大人が漏らした、それで皆が親しみを感じると?」
「寝小便をした子供の、言い訳の定番だとは聞くぞ」
「親からしたら迷惑な話ですね」
だいたい、何十年も前の話だというのに、未だに噂が消えないというのがすでにおかしい。
誰かが定期的に流布しているとしか思えないが、だとしたら誰が。
「徳山殿と同年代の者など限られていますよね。舞田殿がそのような事をするとも思えませんし。他に同年代といえば、徳山に召し抱えられている天界和尚しか」
思いつかないが。
……いや、まさか。主君だろう?
「まずは上森の現状を打破しなければなりません。思うところはあるでしょうが、協力して貰いますよ。清雅」
「お前は本ッ当に、人の傷口を抉ってくるな! お前だって女嫌いのくせに、雪村殿とは随分と親しげだったじゃないか」
「誤解を招くような言い方をするな」
眉を顰めて清雅をどすりと肘で突いた後、美成はつんと顔をそびやかした。
「あれは元より遠戚で友人です。それに俺が手を打つ前に さっさと兼継のものになった娘になど、まったく興味はありませんよ」
「……」
「……」
「…………よし、今日は呑むか!」
嫌味なほどに有能な治部少輔殿も、あの娘には出し抜かれたらしい。
肩を組んで楽しげに笑い出した清雅に、美成はしかめっ面のまま 再度、肘鉄を食らわせた。
脇腹を押さえたまま、涙を滲ませて笑い続ける清雅に、美成が不審げな視線を向ける。
笑いながら清雅は、越後まで炎虎を届けに行った日のことを思い出していた。
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「美成から、彼女が貴方の命を救った話は聞いている。私が貴方の立場であっても同じ感情を抱き、同じ行動に出るだろう。それは解るが、こちらもやっと婚約まで漕ぎ着けたのだ。譲る訳にはいかない」
接待と称した牽制の席で。
酒を酌み交わしながら清雅は、彼女を手に入れた筈の男を見返した。
苦悶に満ちた端正な顔には、驕慢さなど微塵も感じられない。
「あの娘は根が真面目ゆえ、受けた恩を返そうとする。彼女の命を救ってくれた事については私からも感謝申し上げるが、今の状況でそこに付け込まれると、彼女は苦しむ。どうかそれだけは止めて頂きたい。それでなくともあの娘は、受けた恩に雁字搦めになっているのだ」
元より恩を売るつもりなど無い。先に命を救われたのはこちらの方だ。
だが。
雪村殿は盛んに、直枝殿への恩義を口にしていた。
子供の頃に世話をして貰った、いつも助けて貰っている、と。
雁字搦めにしている張本人が何を言うのだ、と突っ込み待ちなのだろうか。
「私もそれで 苦労している」
ぽつりと呟く様子を見るに、本人にはどうやら、その自覚は無いものと見える。
呆れたものだ。これではまるで、雪村殿が恩義を感じている相手が、他にも居るかのような言い振りではないか。他人事にも程がある。
「俺には貴殿が、彼女を理解しているとは思えないがな」
ぐいと酒を呷りつつ、目の前の男を煽る。
あわよくば、炎虎を理由に手に入れられるのでは、と計算して肥後に誘った清雅だったが、彼女が口にするのは この男への想いばかりだった。
腹立たしかった。
惚れている自覚がなさそうな様子が尚更に。
貴女の肥後行きを引き止めもしなかった男のどこが良いのか、と。
俺ならば、貴女を徳山殿から守ってやれると言いたかった。
だが今の自分は、彼女が大切にしていた霊獣を一方的に屠った身。
とてもではないが、愛を受け入れて欲しいなどと懇願できる立場ではない。
ならば炎虎の蘇生を待ち、このような事が二度と起きぬよう、蘇生の神気が常に炎虎を護るよう、阿蘇の麓に祠を建てる。
これを持って、先日の非礼の謝罪としよう。
そして真木の当主に談判する。
許されるなら雪村殿を肥後に迎え、共に祠を護りたい、と。
そうして復活した炎虎を手に訪れてみれば、彼女は既に婚約していた。
出遅れた、といった思いと、想いが叶ったのだな、と言祝ぎたい気持ちが交錯し、どう反応して良いかが判らない。
清雅は空いた杯に目を落としたまま 小さく溜め息をついた。
直枝が傲慢な、鼻持ちならない男であれば良かったのに。
そうであれば遠慮なく、「あの時に俺が助けていなければ、今も無かろう」と、縁組をぶち壊す事も出来たのだ。
「彼女が苦しむ」と言いながら、それ以上に苦しい顔をされては、敵意の向けようが無いではないか。
雪村殿も、直枝殿に愛されている自覚はなさそうだったが、どうやらこちらも、彼女に想われている事には気付いていないらしい。
どっちもどっちと言うべきか、似た者同士と言うべきか。
両片想いでこれなのだ。両想いと互いが知ったら、俺が付け入る隙などないな。
内心でにやりと笑って、杯を膳に置く。
ここは彼女の想いが叶った事を、素直に祝福するべきだろう。
ただ貴殿は、俺の想い人を手に入れたのだ。
多少、痛い目を見ても罰は当たるまい。
だから肥後では、嫌というほど貴方の話を聞かされたと。
彼女は貴方を好いている、心配するなと伝えてやるのが親切というものなのだろうが。
それは俺の口からは教えてやらない。




