340.越後の客人2
「彼は舞田慶治郎殿、舞田殿の甥御だ。縁あって、上森に仕える事になってな」
兼継殿の紹介に、慶治郎殿が楽しそうに笑っている。
私も笑って頭を下げた。
「真木雪村です。よろしくお願いいたします」
その節はお世話になりました、と言いかけて、慌てて口を噤む。
正宗のところに行っていた時のアレコレを、兼継殿は知らないのだ。
それを察したらしき慶治郎殿も、闊達に笑ってぼかしてくれる。
「姫さんとは、旅の道中で会ったんだよ。な?」
「そうなのです。その節は大変お世話になりました」
「いやあ。元気そうで何よりだ!」
あははと笑う私たちを横目に、兼継殿がすまし顔で茶を啜った。そして。
「旅の道中とは、館家のことか?」
笑い声が 途中で止まった。
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こんなに速攻で、正宗のところで会ったとバレるとは思わなかった。
慶治郎殿が「上森殿に挨拶に行く」と言い出した時、一緒に脱出しようと試みて失敗した私は、もぞもぞと居心地悪く兼継殿の前に座っていた。
どこまでバレているのかが解らないので、迂闊な事は言えない。
「……黙っていて、申し訳ありませんでした」
「今ならともかく、あの頃の私に それを求める権限は無い」
「……」
実は無事に逃げ切れたので、詳しい経緯は兄上にも話していない。
兼継殿もせいぜい「越後の村はずれで小袖の交換をした」事くらいしか知らない筈だけど…… 何だかそれ以上に知っていそう?
不思議に思って見返すと、兼継殿はばつが悪そうにそっぽを向いた。
「あれはいつだったか。「雪村を探したい。領内に入らせろ」と、館が押しかけて来た事があった。……越後領内に居るのなら心配はいらぬ、大丈夫だと思っても、どうにも心が乱れてな。手の者を放って、お前の道中を護衛させた」
ああ、だから奥州から逃げ帰った時、ぴったりなタイミングで沼田に来たのか。
おそらくあの掛下も、兼継殿が買い取ったんだろう。
売れば高額になるのに、村人が城に届け出たなんておかしいと思ったよ。
知らないところで私はまた、兼継殿に助けられていたんだなぁ。
お礼を言おうと口を開きかけたら、少し躊躇いがちに伸ばされた兼継殿の手が、私の手首にそっと触れた。
あの時についた傷はもう、跡形もなく消えている。
「お前が残した掛下。その袖に入っていたと髪紐の残骸を渡されたのは、随分と後になってからだった。それに血が付いていると気付いた時、私は生きた心地がしなかった。もう少しでお前を失うところだったのかも知れぬ。そう思うと心底、心が冷えた」
「……ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「いや。あの頃の私はそれを見るまで、お前が「髪紐などいらぬ」と打ち捨てたと思っていたのだ。経緯を確かめる事もせず、くだらぬ嫉妬で、お前に辛く当たってしまった。ましてや私が贈ったものが お前を傷つけた。謝らなければならぬのは私の方だ」
「そのような! 兼継殿の忠告をきちんと聞かなかった 私が悪いのです」
「雪……」
掴まれた手首を引かれ、兼継殿に抱き寄せられる。
あ、謝り合戦中だと思ったのに、いきなり何がどうなった!?
身動いだらますます強く抱き締められ、おまけに ちゅ、と前髪にキスされて、私はあわあわと混乱する。
ええ!? こんやくちゅうってこんなに簡単に恋愛イベントが派生するの!?
待って待って、心の準備が!
「か、兼継殿、恥ずかしいです……」
「今は二人きりだ」
だから恥ずかしいんですってば! いや、他人の前でアレコレされる方がもっと恥ずかしいけど!
そんな事を考えて慌てていると、兼継殿の手が顎に触れて、上を向かされた。
めちゃめちゃ真剣な兼継殿の顔が、だんだん近づいてくる。
えっ!? こっ、このシチュエーションはもしかして、ちょ、待っ……!!
ぷすり
急に陽が陰り、障子の向こうが暗くなった。
見つめ合っていた私と兼継殿は、無言で顔を障子に向ける。
障子には、もこもことした影が蠢いていた。
ぷすり、ぷすりと開いた穴から、多数の目が覗き込んでいる。
この風景、前にも見た……
「兼継殿、百目鬼です!」
「またか! いい加減にしろ!!」
兼継殿の絶叫が 辺りに響き渡った。
今回の百目鬼は、前のより背が高かった気がする。
そして朗らかな笑い声まで立てていた。




