336.炎虎復活【挿絵あり】
何だかんだと引き止められ、気づけば季節は晩秋に差し掛かっている。
さすがに長々と居座り過ぎてしまった。
雪が降りだす前に帰らないと。越後の豪雪は半端ないんだから。
今度こそはと部屋で荷物を纏めていると、表の方から騒めきが聞こえてきた。
奥御殿に聞こえるくらいだから、相当な騒ぎだ。
何事だろうと障子を開けて外を覗くと、聞き覚えのある美声が微かに聞こえた気がする。
え? この声、まさか。
私は慌てて部屋を飛び出した。
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御殿へ繋がる戸を開けると、城門付近は大騒ぎになっていた。
人がひしめき合っていて、何が起きているのか分からない。
人垣に阻まれて背伸びしていると、私に気付いた泉水殿が「げ!」と蛙が潰れたような声を出した。
人を掻き分け、そばに来た泉水殿はそわそわしている。
「あの、泉水殿。何かあったのですか?」
「いや、ちょっとな。今は引っ込んでいた方がいいんじゃない?」
「?」
泉水殿がぐいぐいと奥御殿の方へ押し戻そうとしたけれど、私に気付いた人垣が、モーゼが割った海のように分かれていく。
開けた視界の先には白い猫を抱いた清雅と、険しい顔つきで腕を組んだ兼継殿が立っていた。
可愛い猫が私の方に、じたばたと前足を伸ばしてくる。
ふかふかの短い前足、金色の大きな瞳……何だか見覚えがある?
「ほむら!?」
私は夢中で清雅に駆け寄り、腕から小さな小虎を奪い取った。
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白い毛玉みたいなほむらは、まだ霊炎が出せないらしく、侍女衆が撫でるとごろごろと気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
金色のつぶらな目、薄い虎模様が入ったふかふかの体。
もたもたと歩いている様子も、ころんと転がった姿も死ぬほど可愛くて、次々と侍女衆が萌え死んでいく。
「かっ……可愛……ッ!」
「大きくなって、炎を出すようになっては触れられませんから。どうか今のうちに、たくさん撫でてあげて下さい」
雪村が従えた頃には、ほむらはもう大きかった。
あんなに凛々しい炎虎が、小さい頃はこんなに可愛いなんて思わなかったよ。
かわいい、かわいすぎる。
もうほむらはこのままでいい……復活させてくれてありがとう清……
……あっ
「そういえば」
やっと思い出して、私は老女に向き直った。
「清雅殿はどうなさっているのでしょう? ほむらしか目に入らず奪い取ってきてしまいましたが、きちんとお礼を伝えていませんでした」
清雅は、ほむらが復活したら『白猿』を使って届けてくれると言っていた。
きっと沼田にも上田にも居なかったから、わざわざここまで届けてくれたんだ。
早くほむらに会わせようと気遣ってくれたのに、お礼も言わずに搔っ攫うなんて、随分と失礼なことをしちゃったな。
上森に用事がある訳じゃないから、もしかしたら帰ってしまったかも知れない。
そう思っていたけれど、老女はにやりと嗤って首を横に振った。
「加賀殿なら兼継様が接待していますよ。折り入って、お話しておきたい事があるようで」
「へえ。そうなのですか」
「……」
「……それだけなの?」
「あ、はい。ちょうど良かったです。あとでお邪魔して、お礼を伝えてきます」
いきなり場がしんとして、老女がごほんと咳払いをした。
「雪村」
「はい?」
「どうしても行くと言うのであれば、私たちを倒してから行きなさい」
「えっ?」
「あなたも少しは自覚を持ちなさい。曲りなりにも、越後の執政と婚約したのです。他の殿方に会いに行くなど以ての外」
「ええっ!? 清雅殿は、ほむらを連れてきてくれたのです。お礼だけですよ?」
「そこからして駄目なのです。御殿での騒ぎを見たでしょう。あの兼継様が、嫉妬に身を焦がしているのですよ!? 何故それに気付かない!!」
「兼継殿が嫉妬? まさかぁ、気のせいですよ」
「ふたりの殿方に奪い合われるなど、女子としてこの上ない栄誉。さあ、私たちを楽しませる為にも、もっともっと煽りなさい! 天を焦がすほどに!!」
「落ち着いて下さい。私は男子ですよ? それは皆様が一番ご存じじゃないですか。兼継殿の乱気をお諫めするならともかく、迎合してどうするのですか」
「黙らっしゃい。このような事になったのも含め、すべては毘沙門天の御心です」
すまして嘯く老女に、周囲の侍女衆も、そうだそうだと一斉に囃し立てる。
そうだった。越後で『毘沙門天』は絶対だ。
そして一瞬だけ戻った雪村が、全力で『毘沙門天の差配』をアピールしまくったせいで、婚約破棄をせっついている私は、越後で四面楚歌状態なのです。
たまに来るだけの私と違って、いつもこんな空気に晒されているんだもん。
桜井くんも意見を変えざるを得ないよなぁ。
仏の顔でほむらを抱いている桜姫を横目で見つつ、私は小さく苦笑した。
+++
接待を受けた清雅は、そのまま兼継殿のお邸にお泊まりしたらしい。
翌朝、私はお礼を伝える為に兼継殿のお邸に行った。
出立の直前だったらしく、お邸の前には家臣や直枝家の侍女衆、たくさんの人が見送りに出ている。
「清雅殿。わざわざ越後まで届けて下さってありがとうございました。上田を留守にしていて申し訳ありません」
「礼を言われるような事ではない。無事に炎虎を手渡せて良かった」
「もう良いだろう。雪、こちらへ」
挨拶が終わるや否や、私を引き寄せた兼継殿をちらりと見て、少し笑った清雅が口を開く。
「話は聞いた。直枝殿と婚約したそうだな。ところで貴女は『雪村殿』で、男子だと言っていた筈だが。……今の事態は不本意ではないのか?」
「加賀殿!」
咎めるような声を発した兼継殿が、口を噤んで目を伏せる。
その顔が、今まで見た事が無いくらい不安そうに見えて、私ははっとして兼継殿を見つめた。
私は今まで兼継殿の体面の事ばかり考えて、婚約破棄の話しかしてこなかった。
望みが叶った事がないって、やっと手に入ったって喜んでくれていた兼継殿は、何でもない顔をして笑いながら、どれだけ不安に思っていただろう。
……愛していますって言ったのに。
私は全然、兼継殿の『気持ち』を慮っていなかった。
「清雅殿」
私は改めて 清雅に向き直った。
ほむらを抱いたまま、笑って清雅を見返す。
「兼継殿は私の現状を、誰よりも理解して下さっている方です。それを知った上でこうして下さったのですから、感謝しかありません」
「感謝と愛情は違うぞ」
「解っているつもりです」
こくんと頷いて、ほむらを抱く手に力を込める。
……これを言ったら 退路が塞がれる。
逃げ道を、自分で断つことになるけれど。
「私は、兼継殿をお慕いしています」
「……そうか」
兼継殿が 驚いた顔をして顔を上げ、真剣な面持ちで私を見つめていた清雅が、にっと破顔する。
「良かったな。おめでとう!」
「清雅殿も、いろいろと助けて頂き、ありがとうございました!」
その途端、周囲がわっと沸いた。
たくさんギャラリーが居る。もう後に引けない。
でもはっきりと言葉にしたら、やっと気持ちが固まった。
もう、婚約破棄の話はしない。
そして前に虎徹和尚様と約束したように、これからは兼継殿に『幸せだった』と思って貰える時間をたくさん作ろう。
いつか帰る その時まで。
「さようなら、雪村殿」
「清雅殿も、道中、お気をつけて!」
抱いていたほむらの前脚を掴んでばいばいすると、清雅も全開の笑顔で大きく手を振った。




