330.新しい縁談13
場がしんと静まり返っている。
黙り込んでいた藤姫が、きっと顔を上げて兼継殿を睨みつけた。
「……養女になるのよ。貴方を射落としたら離縁するわ」
兼継殿が口を開く前に、固まっていた越後侍女衆がいっせいに吠え掛かった。
「離縁して養女ォ!? そのような事が罷り通ると思っているの!? そもそも、かつての夫を父として他の男に嫁ぐなど、聞いた事がありません!!」
「あら、何か問題がありまして? 「初婚」とは一度も言っていないわよ?」
「開き直ったわね!? きいい! この女狐が!!」
「私が女狐ならお前たちは負け犬よ!! たかだか陪臣に、公家との縁談が断れるかしら!? 美しい私が田舎侍に嫁いであげるのですもの、青苧の座役が結納金よ! たっぷりと搾り取ってあげるわ!!」
おーっほほほと高笑いする藤姫に、いきり立った侍女衆が噛みついている。
再婚は別にいいけど、それを隠して元カレと結託っていうのは、何だか結婚詐欺っぽいな……
勝ち誇った顔で高笑いする藤姫に、兼継殿が小さく溜め息をつく。
「虎徹殿に、六条家の戸籍を調べて貰いました。貴女はまだ六条殿の養女になっていない」
「さっき言ったわよね?「貴方を射落としたら離縁する」と。殿は「直枝の寝所に押し入り関係を結べ。お前の色香をもってすれば、どんな男でも陥落する。そうなれば縁談を断る事など出来まい」と仰ったけれど、貴方が縁談を片っ端から断っているのは、上方でも有名なの。万が一にも田舎侍に袖にされたら、繊細な私は耐えられない。そう申し上げたら殿は「養女になるのは、縁組が成立してからで良い」と仰ったのよ!」
「繊細ぃ!?」
聞き捨てならない自己評価に、侍女衆が一斉にツッコむ。
繊細な女子は「寝所に押し入る」なんて人前で言いません、と私もツッコみたいけれど、その辺はスルーする事にしたらしい兼継殿が、淡々と言葉を続ける。
「昨夜、与板で六条殿が取り押さえられたようです。養父の書斎に忍び込み、盗みを働いたと」
「おおかた青苧の帳簿でしょ? 六条家は青苧の本所、帳簿を見て何が悪いの? 盗まれたなどと大袈裟な」
「六条殿が盗もうとしたのは、帳簿ではありません」
奥御殿警備の家臣たちに、兼継殿がさりげなく目くばせする。逃げ出そうとしたお付きの侍女がひとり、取り押さえられた。
「藤姫が怪我をした」と騒いだ侍女だ。
「先程も申しましたが、青苧の座役を戻したいだけなら上森に嫁げば良い。五大老の上森家ですら田舎大名と軽んじる六条家が、なぜ陪臣でしかない直枝との縁組を望むのか不思議に思っておりましたが、その理由が解りました」
「貴方の縁談が、上方で話題になっていたからよ。そして青苧を管理しているのが直枝家だから。政略結婚は双方の利害の一致が必須。六条家は収入が増える、直枝家は公家の婿という立場を通じて上方の人脈を手に入れる。悪い話ではないのではなくて?」
「直枝は直江津の管理を任されているだけ。青苧の税は『越後青苧座』から公事として納められる。六条殿もそれはご承知の筈だ。養父が手の者を使って調べさせたところ、六条殿は青苧の座役のみならず、『天王寺青苧座』から賄賂を受け取っていたようですね。しかし青苧が『越後青苧座』の専売となり、六条家の収入は激減した。上森と縁組したところで、賄賂に替わるものが手に入る訳ではない。ならば物流を管理する直枝の弱みを握り、思うがままに操った方が金になるとでも考えたのではありませんか? ……貴女は美人局にされたのですよ」
藤姫が不審そうな表情をして、兼継殿を見ている。
言っている事がよく解っていなさそうな顔つきだ。
「弱み? 美人局? 何を言っているの?」
「我々は家の存続の為に一夫多妻が認められていますが、不義には寛容ではない。不倫は男女双方共に処罰の対象になる。貴女も公家の妻ならば『婦敵討』はご存じでしょう」
「婦敵討……」
「本夫が姦夫を討ち取っても、無罪となる法です。貴女が六条殿の側室のまま私と関係を持った場合、貴女と私は六条殿に討たれる立場になる」
「婦敵討とは『姦夫』を討ち取るための法律でしょう!? か弱い女性に、粗暴な武将からの求愛を拒み切れる訳がない、とでも言えば、世間は私に味方するわ!」
「世間はそうでも、六条殿も同じとは限らないでしょう。取り押さえられた六条殿は「すべては側室が仕組んだこと」と息巻いているそうですよ」
「え……?」
唖然とした藤姫が、そわそわと視線を彷徨わせる。
「いいえ……殿が私を罪に問う訳がないわ……! 私を愛していると。手放すのは惜しいが、六条を救えるのはお前だけだと仰っていたのよ……!」
「私ならば、愛する女性を手放せない。私を思って離れると言うなら、尚更に」
「……っ!」
藤姫がぐっと詰まる。
おお……断罪イベントが白熱してきたなぁ。
ぼんやりと成り行きを見守っていたら、私の肩に手を置いた和尚様が、ぽつりと呟いた。
「……それが、君の答えなのですね」
「え?」
「いいえ、こちらの話です。君は愛されていますね」
和尚様がゆったりと微笑み、雨の帳に視線を移した。
つられて移した視線の先では、兼継殿が藤姫を淡々と追い詰めている。
「おそらく「妻を寝取った姦夫として手討ちにされたくなければ、賄賂を寄越せ」と私を脅すつもりだったのでしょう。いくらこちらが「この縁談は六条家から持ち込まれたものだ」と証拠の文を示したところで、「公家である六条家が、陪臣ごときに縁談を持ち込む訳がない。それは偽書だ」と断じてしまえば、世間がどちらを信じるかなど火を見るよりも明らか。冤罪であっても、それを証明出来なければ罪は罪。そしてそれを証明できる者は貴女しか居ない。婦敵討と称して早々に貴女の口を封じてしまえば、六条殿の謀を知る者は居なくなる。真相は永遠に闇の中だ」
藤姫が真っ青な顔でぶるぶると震えている。
断罪イベントはクライマックスを迎えていた。




