328.新しい縁談11
翌朝。
あくびを噛み殺している私を見て、和尚様がくすくす笑った。
「兼継。徹夜でするのはよくありませんね」
「布団がなかったもので」
揶揄っているけれど、がっつり減りまくった抹茶と転がった茶器を見れば、昨夜はナニが行われていたか一目瞭然だと思う。
外は雨が振っていて、もう幼女の気配は感じられない。
一度、兼継殿のお邸に立ち寄ってから、私たちは御殿に向かった。
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奥御殿に繋がる廊下で立ち止まり、和尚様がちょいと私の袖を摘まんだ。
「君はしばらく、私と居ましょうか」
「虎徹殿、よろしくお願いします」
頷いて、先に進んだ兼継殿の背中が、縁側の角を曲がって見えなくなる。
その時、悲痛な女の人の声が縁側に響き渡った。
「直枝様、お待ちしておりましたわ! 姫様が……藤姫様が呪詛を受けました!」
えっ、藤姫も!?
慌てて振り返ると、うっすら苦笑した和尚様が、口元に人差し指を立てる。
そして小さく指を鳴らすと、降りしきる雨の帳がスクリーンのように、兼継殿と泣き叫ぶ侍女を映し出した。
「呪詛とは、いったい?」
「侍女から渡された小袖に、呪詛が仕込まれていたのです!」
「兼継さまぁ!」
突然の騒ぎに驚いたのか、奥御殿の侍女衆もあちらこちらから集まってくる。
部屋から飛び出した藤姫が、大粒の涙を零しながら兼継殿に抱きついた。
(あれ?)
剃刀で怪我をしたと聞いたのに、藤姫の濡れた頬にはひっかき傷ひとつ ついていない。
「こんな事になるなんて……! 兼継さま、どうか藤をお許し下さいませ!」
「一体何があったというのですか。初めから分かるように説明して下さい」
「はい、今まで黙っておりましたが、実は私がこちらに滞在している間、兼継さまの許婚の侍女が……雪さまが、さまざまな嫌がらせをしてきたのでございます。わ、私が兼継さまとお庭の散策をしていましたら、酷い悪口を……!」
さめざめと泣きながら、藤姫が苦し気に声を絞り出す。
まずい。「真っ昼間から品が無い」って言っていたの、バレてますよ老女!
雨のスクリーン越しに見える 老女の無表情が怖い。
「まさか、そのような」
「いいえ! 兼継さまは、あの稚い容姿に騙されているのですわ!!」
首を振る兼継殿に、藤姫が身悶えして食い下がった。
そして肩に羽織っていた緋色の小袖を振りかざして、目の前でばっと広げる。
驚いた事にその裏地には、墨痕鮮やかに「呪」の文字が書かれていた。
「先日、いつも嫌がらせばかりしてくる雪さまが、青苧の小袖を持って来ました。しかし何か裏があると気付いた私は、その小袖を裏返してみたのです。するとそこには私への呪詛が……! しかし私は元・陰陽頭、六条家の娘。見事、その呪いを打ち祓ったのでございます。しかし呪詛を返された雪さまは、今頃おそらく……仕方がなかったとはいえ、兼継さまの許婚を成敗してしまいましたわ……!」
ちょっとォォ!! 借り物の小袖に何てことをしてくれるのさ!!
そして勝手に成敗するな、勝手に!!
そういえば宇治拾遺物語では、晴明に呪詛を返された術者が死んでいる。
兼継殿が呪詛を放っておいたのは、失敗したら、こっちが手を下さなくても報復できるからか。
道理で「怨霊なら討伐すればいいだけじゃん」って発想にならない訳だよ。
何てこった。
「討伐するよ!」と張り切っていた私のこと、兼継殿は「無駄な事をしているな」と思っただろうなぁ。恥ずかしい……
がくりと項垂れる私とは対照的に、悲しげな表情から一転し、艶っぽく潤んだ瞳の藤姫が顔を上げる。
「兼継さま。私はかつて陰陽頭を数多く輩出した六条家の娘。地位と美しさを兼ね備え、兼継さまに相応しい女です。あんな貧相な娘などお忘れになって? 今後は私がお支えしますわ」
首に手を回そうとした身体が、かくんと泳いだ。
兼継殿がすっと身を引いたからだ。
呆気に取られた藤姫を、兼継殿が正面から見据えている。
「今朝方、与板から早馬が来ました。六条殿の従者が殺されたと」
「……!」
藤姫の 顔色が変わった。




