326.新しい縁談9
「……『身固めの法』でお願いします」
「承知した」
順番が逆だけど、兼継殿に抱きついたまま、私はもそもそと呟いた。
兼継殿が笑いを堪えながら、ゆったりと身体を抱き締めてくれる。
暫くそうしていると、頭の上から静かな声が聞こえてきた。
「老女から話は聞いた。藤姫の件では、お前に辛い思いをさせてしまったな」
「……いいえ。気にしていませんから」
嫌味を言う人や悪口が好きな人なんて、世の中にはいくらだって居るからね。
でも命まで狙う人はそんなに居ないか。
ちょっと詰まったのを痩せ我慢と取ったのか、抱き締めてくる腕に力が籠る。
「小田原の後、越後に『呪詛』が打たれるようになった。心当たりはふたつ。東条家では国替えに当たり、徳山と繋がっていた家臣を放免した。その件で怨みを買ったか、もしくは……私に持ち込まれた縁談相手か。後者だった場合、標的は私ではなく『真木遠縁の雪』という侍女だ。だがそのような娘は居らぬ。呪詛されたとて影響は無かった」
小さく息を吐き、兼継殿が言葉を続ける。
「六条家から縁談が持ち込まれた時、それを知った老女から忠告を受けた。「都からも縁談が来ているのであれば気を付けなさい。雪村が信濃在住だと知る姫君が、上方には大勢居ます」と」
「はい。政所様のお茶会で、そのような話になった事があります。しかし私はお茶会で、藤姫をお見掛けした事はありませんでした」
「かつての六条家ならともかく、今の六条家は、怨霊や霊獣に関する事には興味が無い。金にならぬからな。それ故、政所様との関係も希薄なのだろう」
かつての六条家……? そういえばお茶会で噂を聞いた事がある。
六条家は前・当主が亡くなった時、跡取りがまだ幼かった。
それで叔父上が後見人になったけれど、その方が本家を乗っ取ってしまったと。
「六条家は青苧座の本所だ。幼い当主では立ち行かぬ、と言われれば、周囲の者も納得せざるを得ないだろう」
「本所?」
「「本所」は、販売許可を出す役割を担っている。青苧商人は六条家の許可が無ければ、青苧を売れないのだ」
「越後で採れた青苧を売るのに、公家の許可が要るのですか?」
「ああ。それどころか座役という許可税まで取られるぞ」
「ええ……?」
微妙な顔になった私に苦笑して、兼継殿が少し懐かしそうな顔になった。
「六条家が青苧座の本所だった事もあり、前・六条家当主殿と剣神公は知己でな。それ故に六条家は、霊獣を使役する大名に理解があった。遡れば平安前期、六条家から陰陽頭が数多く輩出されていたという素地もあるのだろうが」
「陰陽頭? 六条家は霊力が強い公家なのですか?」
「そうでもないな。箔をつける為の役職就任でしかなかったのであろうが、六条家は陰陽師たちをよく束ね、信頼を得ていたと聞く。しかし平安中期になると陰陽寮は、安倍・賀茂両家出自の者で占められるようになった。――六条家は次第に力を失っていった」
きちんとお仕事をしていたのに。霊力が弱いばかりに、お気の毒な話だな。
しゅんとした気配を察したのか、大きな手が優しく私の頭を撫でてくれる。
「やがて怨霊は、武力を持って立ち向かわなければ倒せぬものになった。『歪』が出来始めたのも、この頃のようだ。当時、源頼光が土蜘蛛退治をした記録が残されている。武力を持たぬ陰陽師に『歪』から湧き出た怨霊を祓う術はない。陰陽寮は『怨霊』を管轄できる組織では無くなった」
「時が流れ、各地で戦が行われる戦国の世になると、陰陽師たちは都を離れて大名に仕えるようになった。戦で『式』は使える。そこに目を付けた六条家の差配と聞く。役を解かれてからも、それほどに陰陽師には親身だったのだ。……前当主の頃までは」
「今は……?」
「ひとことで言えば、金の亡者だな。剣神公とも反りが合わなかった」
相当合わなかったんだろう。兼継殿の表情に、微かな苦みが混じる。
「先ほどの話に戻るが。『呪詛』が打たれたとしても、越後には毘沙門天と神龍の加護がある。だが炎虎の加護が希薄な今、信濃の守りは万全とは言い難い。老女から忠告を受けた後、私は信倖に「雪村をこちらで預かりたい」と申し出た。そして万が一にも藤姫が、雪と取り違えられる事があってはならぬと思い、藤姫も奥御殿で保護して貰っていたのだ。まさかその六条の姫が『呪詛』に手を染めているとは思わなかった。……看破れなかった、私の落ち度だ」
そういえば兄上に「越後で保護してもらったら?」って言われた事がある。
その時は別に必要ないと思ったけれど、そんな経緯があったのか。
「そうだったのですね。……ありがとうございます。いつもいつも私は、兼継殿に守られてばかりです」
「雪……」
お礼を伝えたら、兼継殿がぎゅっと抱き締めてくる。
ところでこの『身固めの法』とやらは、安倍晴明がやらなくても有効なんだろうか。
予想外に始まった歴史の講義。遠くから聞こえるおどろおどろしい読経の声。
そして外には荒ぶる幼女……
何のイベントだ、これは……
ストーリーに関係ない平安時代のキャラは、史実のモデルそのままの名称を使用しています。




