325.新しい縁談8
「呪詛ですよ」
お茶を点ててくれた和尚様が、ゆったりと口を開く。
のんびり口調過ぎて、「命を狙われていますよ」と言われている気がしない。
理解が追い付かず、お茶碗を手にぽかんとしていると、察したらしき和尚様が、穏やかな口調で説明してくれた。
「呪詛をしても、肝心の相手が見つからなければ目的が果たせない。あの人形は、「標的はここだ」と示す符丁でしょう」
なるほど。私は『雪村』だから、『ゆき』を呪詛しても届かないって事か。
理解したと感じたのか、和尚様が言葉を続ける。
「呪詛返しには、二通りの方法があります。君は、『宇治拾遺物語』を読んだ事がありますか?」
「?」
いきなり出てきた古典に戸惑っていると、和尚様がふわりと笑った。
「宇治拾遺物語に、安倍晴明の話があります。呪いを受けた少将を、身固めの法で守った話です。では『耳なし芳一』は?」
それは知っている。
こくんと頷くと和尚様は、目の前で指を二本立てて、にっこりと微笑んだ。
「ならば話が早い。呪詛の怨霊から身を護るには、ふたつの方法があります。身体を抱き締めて気配を消す『身固めの法』と、全身に経を書き、その姿を隠す『芳一の方法』。君はどちらにしますか?」
「どちらも駄目に決まっているでしょう」
私が何か言う前に、兼継殿がぴしりと遮った。
「ああ、耳にもきちんと経は書きますよ?」
「そのような話ではありません。この娘を一晩中抱き締めて過ごすのも、晒した肌に経文を書くのも駄目だと言っているのです。虎徹殿といえども、こればかりは譲れません」
「心が狭い男は嫌われますよ、兼継」
「狭い、広いといった話ではないでしょう!」
「そうですね。これでもか、と言わんばかりに城下に喧伝したのですから、妻になる女性を他の男に託したりは出来ませんね。わかりました。ではどちらの方法でも良いから、君がやりなさい」
「は?」
「私は本堂で護摩を焚き、御仏に祈りを捧げていましょう。健闘を祈りますよ」
絶句した兼継殿にはお構いなしで、呪詛人形を手にした和尚様は、くすくす笑いながら部屋を出て行った。
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「……」
「…………」
沈黙が重い。
というか、兼継殿が固まったまま、こっちを見ない。
そりゃそうか。お見合い中だというのに、こんな事に巻き込まれたんだから。
しかし『呪詛』と言われたら怖いけど、『怨霊』なら話は別。
私はきりりと顔を上げた。
「兼継殿。ここまでお付き合い下さってありがとうございました。私は平気ですから、どうぞお帰り下さい」
「その様な訳にいくか。……どちらかを選ばねばならぬとしたら、お前はどちらを望む?」
「ああ、それなのですが。『呪詛』とやらが怨霊なら、私は討伐出来る自信があります。私を呪ったのが運の尽き、返り討ちにしてあげますよ!」
「……」
暫く黙って私を見ていた兼継殿が、小さく息を吐いた。
「……そうか。そこまで言うなら仕方があるまい、お前に任せよう」
「はい! では申し訳ありませんが刀をお貸しください」
そう、私は土蜘蛛だって倒せるんだから、怨霊なんて慣れっこだ。
さあ、怨霊はいずこ?
すぱんと張り切って障子を開けたその先に『怨霊』は居た。
『符丁の人形』が無くなったせいか、うろうろと周辺を探していて……
そっと障子を閉めた私は、無表情で背後を振り返った。
「……『怨霊』が女の子なのですが」
外に居たのは、両手に重そうな大斧を引きずった、小さな女の子だった。
か弱そうな外見とは裏腹に、両手の斧を八つ当たり気味にそこら中に叩きつけていて、標的が見つからない苛つきがだだ洩れている。
ようするに、殺る気まんまん。
無表情の私を見返し、小さく咳払いした兼継殿が口元を押さえた。
「話すのを忘れていたな。呪詛は『深い恨みを抱いた霊』が使われるのが一般的だ。平安の頃は蟲毒や犬神といった、極限まで負の感情を高めた上で殺したものを使っていたが、今は恨みを抱いたまま戦で死んだ霊が跋扈している。それらを『呪詛』に使う陰陽師が多いのだ。辛く、苦しい思いをして死んだ幼子を、このような事に使うとはな。ましてや死してまで討伐されるとは。痛ましいことだ」
痛ましいことだ、じゃないですよ。声が震えているじゃないですか。
「それを先に言って下さいよ」
「いや、お前があまりにも自信に満ちていたのでな」
「……」
とうとう耐えきれなくなって笑い出した兼継殿が、肩を震わせて私を見る。
「で? 私はそろそろ帰っても良いのだったか?」
ばきん!!
その時、いきなり背後で斧を叩きつける音が響いて、私は悲鳴を上げて兼継殿に飛びついた。




