321.新しい縁談4
「兼継さま、お待ちしておりましたわ!」
庭に面した藤姫の部屋から、煌びやかな嬌声が聞こえてくる。
藤姫が何かにつけて呼んでいるらしく、奥御殿で兼継殿を見かける事が増えた。
あまりの頻度に「執政殿はお忙しい方です。少しはご遠慮なさったら?」と老女がやんわりと注意したけれど。
「姫様は縁談相手よ? 邸から追い出した挙句に捨て置くとは何様のつもり!?」
と大騒ぎされたので、藤姫様ご一行の対応は、兼継殿に任せっきりだ。
落ち葉の掃除をしていたら障子が開き、兼継殿と藤姫が庭の散策に出て来たので、私は慌てて木立の陰に隠れた。
そっと覗くと、兼継殿の腕にしなだれかかった藤姫が、静々と歩いている。
やっぱり美男美女だと絵になるな……。
兼継殿は気にしていないようだけど、今日の藤姫は小さめ薄手の小袖を着ているせいで、豊満なお胸がやたらと強調されていた。
おまけにそれをぎゅうぎゅう兼継殿の腕に押しつけているので、何だか見ているこっちの方がそわそわする。
「秋は美しいけれど、寒いわ……」
落葉する楓の下でふるりと震えた藤姫が、潤んだ瞳で兼継殿を見上げた。
「美しい庭園ですわね。庭を見れば、その家の経済状況が判りますの。苦しくなると、庭を整える余裕など無くなりますから」
「六条家は由緒正しき家柄。そのような事とは無縁でしょう」
「戦国の世が続き、都は荒れております。龍の加護がある越後は豊かで美しいわ。このような土地で暮らせたら、どれだけ幸せかしら……」
色っぽく囁き首に腕をまわしてきた藤姫を、兼継殿が柔らかに振り解いて、着ていた羽織を着せ掛ける。
いきなり始まった藤姫の恋愛イベントにもやもやしていた私は、冷静な兼継殿にほっとした……次の瞬間!
「素敵よ! 兼継さま!!」
「っ!?」
そいやっと羽織を脱ぎ捨てた藤姫が、黄色い悲鳴を上げて兼継殿に抱きついた。
予想外の展開に、珍しく兼継殿が驚きを露わにしている。
「お優しいのね! 直枝家は剣神公にお仕えしている頃から『義』に厚いお家柄。寄る辺ない藤は、頼もしく感じておりますわ……ッ!」
藤姫、ぐいぐい来るなぁ! とは言え、何だかイケナイものを見てしまった気がして、私はそっと目を逸らした。
……改めて見ると、背が高くてイケメンな兼継殿と妖艶な美人の藤姫は、本当にお似合いだ。
対して私は、女装しないと女にも見てもらえないし、兼継殿には子供扱いされているし……どう見ても負け……
「真っ昼間から品が無い姫君ね。あなたも何を負け犬みたいな顔をしているのです」
「寄る辺ないが聞いて呆れるわ。父君は本家を乗っ取るほどお元気ではないの」
「!?」
いつの間にやら集まっていた侍女衆に、がしりと肩を掴まれて、私は悲鳴を呑み込んで飛び上がった。
気配が全然しなかった、いったいいつの間に!?
「桜姫の小袖を奪うなんて何事かと思いましたが、これが狙いだったのかしら。小さすぎて、胸元が弾けそうではありませんか。「秋は寒いわ」じゃないわよ、元の冬物を着ていなさいよ。とにかく早急に替わりの小袖を準備しなければいけませんわね、ご老女」
「ええ。寒い寒いと、兼継様の布団に潜り込まれても迷惑です」
ついさっき、きりりと「真っ昼間から品が無い」と言い放った老女が、品が無い事を言いながら鷹の目で藤姫を見据えている。
ツッコみたい。
ツッコみたいけど、今はそれが出来る雰囲気では無い。
+++
今年の秋は残暑厳しい日と寒い日の気温差が激しい。
そして公家のお姫様に不自由をさせたとあっては、上森家の沽券に関わる。
残暑が厳しいある日。氷室から出した氷をかき氷にして持って行くと、お付きの侍女たちがわっと盛り上がった。
この時代は冷凍庫なんて無いから、かき氷は高級品だ。当然、かき氷のシロップなんて無いので、莢蒾を蜂蜜で煮詰めたものを氷に掛けて手渡す。
藤姫が、薄紅色に染まった氷を手にして私を見た。
「雪の下で、赤い花が咲いているようだわ。ねえ、貴女は『ゆきのした』いうお花はご存じ?」
「はい。夏に咲く、模様が入った白い花ですよね?」
「ああ、そちらではなく。大陸のもっと向こう、寒くて遠いところに咲く花があるの。雪の下でも花を咲かせるから『ゆきのした』。貴女はそれに似ているわ」
ああ、ヒマラヤユキノシタのことか。
和名では大岩軍配とも呼ばれていて、越後の『冬之領域』にも咲いている。寒さに強くて、雪が積もっていても咲く桃色の可愛い花だ。
『雪』って名前に引っ掛けたのかな?
かき氷を見てそんな発想になるなんて、さすがは都のお姫様。
「ありがとうございます」
お礼を言うと、藤姫と取り巻きの侍女衆が、意味深にくすくすと笑い出す。
……?
何だろう、褒められたと思ったけれど、そんな雰囲気じゃないっぽい?
戸惑っている気配を察したらしく、藤姫が艶やかに微笑んで扇を打ち鳴らした。
「雪深い越後に居られる兼継さまは、この程度のささやかな春の気配にも胸を躍らせたのでしょうね。しかし雪は消えるもの。そして春の盛りを知らぬのも哀れなもの。絢爛に咲き誇る藤棚の美しさは格別ですわ。それを殿方に知らしめるのも女の役目。ね? そうは思いませんこと?」
「そう、ですね……?」
なんのこっちゃ。
しかし「まあ! 藤姫様ったら お人が悪い!」とバカ受けしている侍女衆を見ていると、聞き返したらマズい空気はビシバシと伝わってくる。
曖昧に誤魔化して、私は部屋を逃げ出した。




