32.兼継恋愛イベントと姫の困惑 ~side S~
もう少しで届きそうなんだけどな
小柄な身体で精一杯の背伸びをしていたら、背後から伸びた手が、目当ての花を手折った。
藤に似た紫色の花が、俺の手のひらに置かれる。
「ありがとう、雪村」
振り返ってにっこり笑うと、奴も優しい顔で笑っている。
その顔に、やきもちみたいな負の感情は微塵も感じ取れなくて、俺は内心がっかりした。
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兼継から翁草が届いてから数日。
奥御殿にいると侍女衆がしきりと返花の話題を振ってくるので、俺は雪村を散策に誘うついでに、返す花を刈り取ることにした。
ゲームでは兼継からの返花は、『感謝』を意味する風鈴草だった。てっきりそれが返ると思っていたのに、意外なものが贈られてきた。
ゲームと違う展開にされると「未来を知っている」アドバンテージがなくなる。やめて欲しいんだがな。
侍女衆は、翁草の花言葉を『告げられぬ恋』の意味の方で取ったようだが、俺にはそうは思えない。
ゲーム中のあいつはそんなキャラじゃない。
堅物で、執政の職務に命賭けてて、序盤のうちは美成といい勝負のツンだぞ。
それ以前に俺自身、兼継に好かれている気が全くしていない……って事は、あの翁草の意味は『何も求めない』の方だ。
仮にも恋愛イベントでこの返事かよ? おかしくない? おかしいよね?
やっぱり『告げられぬ恋』の方なのか?
こんなに誤解を生みやすいイベントなら、兼継もうかうか『返しの花』なんて贈れないわな。
こんな風に悩ませるために、この花を寄越したんだとしたら……
やっぱり俺、兼継に嫌われている?
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結局、返しの花は紫丁香花にした。
意味は誤解のしようもない『初恋』や『恋の芽生え』。
がっちがちの恋愛系だ。
俺が決めた訳じゃない。大盛り上がりの奥御殿侍女衆、推薦の品だ。
『告げられぬ恋』もしくは『何も求めない』翁草に、『恋の芽生え』を意味する花を返されたら、あいつはどう出る?
恋愛系で返ってきたら、花言葉は『告げられぬ恋』の方。
そうじゃなければ『何も求めない』の方だ。
まずは様子見でいこう。
あとはだな。こうして兼継と花のやりとりを始めても、やっぱり雪村は何とも思わないんだろうか、と思って、あえてこうしてみたんだが……
紫丁香花の花言葉の意味を聞いてきた時、意味深に「内緒」と返してみたけど、やっぱり無反応だった。
あいつは嘘が上手くないから、思っている事が顔に出やすい。
苦笑いっていうか、笑っているのに憂いが混じったら要注意だ。
だから「侍女衆の様子に辟易しているな」とか「紫丁香花の花言葉、本当は知っているな」とか、そういうのは何となく分かる。
そしてあまり知りたくはなかったが、兼継から『告げられぬ恋』なんて意味の花を貰っても、雪村はまったく嫉妬も恋心の自覚もない、ってのも分かった。
ホントちょっと待って。これって桜姫が主人公の乙女ゲームの世界だよな?
この世界の攻略対象ども、難易度激高じゃね?
メインヒーローは朴念仁が過ぎるし、兼継には好かれてる気がしないし、美成とはまんじゅうの奪い合いしかしてないし、信倖とは全く接点がない。
所詮、俺は男。乙女ゲームには向いていない、そういう事なのだろうか。
だが俺は、俺が仕事で培った全力の営業力と渾身の女子力で あざと可愛い桜姫を演じてきた。
あの朴念仁に、俺の全身全霊が通用しないだと……!?
そんな事はあってはならない。俺はこのゲームの主人公・桜姫。
何としてもここの攻略対象どもをメロメロにしてみせる。
「ではそろそろ帰りましょうか。着く頃にはちょうどおやつの時間になるでしょう」
おやつ>デートだと思われている時点で、いろいろと駄目すぎる。
差し出された雪村の手をとりながら、俺はもう一度 紫丁香花の木を仰ぎ見た。
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「大変ですわ姫さま!」
いつも通り、だらだらしながら茶をしていた昼下がり。
文を握りしめた侍女が、息せき切って部屋へと駆け込んできた。
「何事です。騒々しい」
中年侍女がぴしゃりと叱ったが、侍女その1はそんな事にはお構いなしで、一通の文を中年侍女へと差し出す。
文を受け取り、読んでいた中年侍女の顔が険しくなった。
何があったんだろう、居住まいを正して読み終わるのを待っていると、中年侍女はこほんとひとつ咳払いをして、俺に向き直る。
「兼継様のお邸の侍女からです。ゆうべ、雪村が乱心したそうですわ」
「はあ」
何があった。うん、侍女衆ネットワークは妄想も加味されて大袈裟だからな。
前にも「雪村が酷い有様で帰って来た」と侍女衆ネットワーク経由で情報が流れた事がある。
怪我でもしたかと慌てて本人に聞いてみると、畑仕事の手伝いで着物を汚しただけだった。
しかしその話が翌日には「雪村が襲われた」と内容が変容されているところが、侍女衆ネットワークの怖いところだ。
俺は溜め息を呑み込み、まんじゅうと茶、どちらを取ろうか一瞬迷った後で、茶を取ってから侍女に顔を向けた。
「本当に? 昨日の昼間はいつも通りの雪村だったわよ?」
また大袈裟に伝わってきたパターンかな、と思いながら、俺は茶を一口すする。
そんな俺にはお構いなしで、中年侍女は淡々と言い放った。
「雪村が夕べ、兼継様に「自分は女性に恋愛感情は持てない」と言ったそうですわ」
ぶう
盛大に茶を噴き出した挙句に鼻にまで入る大惨事だ。
侍女衆が慌てて咳き込む俺の背をさすったり、布を差し出したりしてくる。
げほげほ咳き込む俺を余所に、侍女衆がひとごとみたいな面をして、ひそひそと囁き出した。
「姫様が紫丁香花を返した事が、雪村を苦しめたのでしょうか……」
「姫さまが雪村を袖になさったから、絶望してしまったのかも」
おい! 責任を俺になすりつけようとするな! そもそも紫丁香花を贈れと言ったのはお前たちだぞ。
そして口元をおさえて隠しているが、ちょっと嬉しそうなのもヤメロ。
まーた大袈裟な。笑って聞き流してしまいたいが、これに関してはちょっと……
こんなに攻略に手こずっているんだ。その朴念仁に「女に興味ない」と言われると、いきなり信憑性がでてくるじゃないか。
「兼継に頬を染めて取り繕っていた」と言っている声も聞こえたが、それに関しては妄想で片づける事にする。
雪村が頬を染めるなんてありえない。
超絶美少女・桜姫が、あらゆる手練手管を弄しても無理なんだぞ?
野郎の兼継に出来てたまるか。
雪村もほんとにもう、燃料の投下はやめて……
本当にここは乙女ゲームの世界なのか? 乙女の妄想の世界じゃなく?
花言葉は
日本の花言葉一覧 - 花言葉-由来というサイト様を参照させて頂いています。




