319.新しい縁談2 ~side K~
「お初にお目にかかります。六条叔父が娘、藤に御座います」
何の先触れもなく、六条の姫が直枝邸を訪れたのは、それから間もなくだった。
垂れ藤のように艶やかな姫は、濡れたつぶらな瞳を不安そうに瞬かせる。
「此度は父と青苧の視察に参りましたの。兼継さまにお会いするのを楽しみにしていたのですが、与板にいらっしゃらなかったので……。いきなりの訪問、ぶしつけな女子と思われたのではありませんか?」
「そのような。日々の忙しさにかまけ、文の返事が遅れておりました。姫の方こそご不快に思われたのでは?」
「まあ、良かったわ! でしたら私たち、おあいこですわね?」
鈴を転がすような笑い声。
襖に耳をつけてそれを聞いていた直枝家の侍女衆は、互いに顔を見合わせた。
「六条のご一行は、与板に滞在するというお話じゃなかった? 何故、こちらに」
「それも姫君だけよ? どういう事かしら」
直江津の港を管理する直枝本家は、港から程近い与板に居を構えている。
春日山城の麓にあり、有事の際には搦手門を護るこちらの邸にわざわざ押しかけてくるとは、兼継も思っていなかったに違いない。
「大変だわ。波乱の予感よ」
「ご老女にお知らせしなくては。急いで!」
侍女衆は一斉に立ち上がった。
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「六条の姫君の件、こちらにもご迷惑をお掛けしております」
藤姫は当面の間、奥御殿に滞在する事になっている。多少の文句は甘んじて受けなければならない。
深々と頭を下げた兼継を、表情を少し曇らせた老女がきりりと見据えた。
「事情は聞いております。独り身の貴方が、うら若い姫君とひとつ屋根の下という訳にもいきませんし、縁談が持ち上がっている公家の姫君を、貴方も無碍には出来ないでしょう。「姫に掛かり切りになられては政務が滞る。こちらで世話をせよ」と、殿からのお達しです」
主君にまで気を遣わせたか。ますます頭が上がらない。
項垂れた兼継の頭上に、呆れ気味の声が掛かった。
「遅かれ早かれ許可は下りるでしょうし、またこの様な面倒事が起きないとも限りません。いい加減に腹を決めて、雪村を妻に迎えなさいな。あの子は未だ、城主の真似事をしているのでしょう?」
「真似事とは容赦がありませんな。慣れぬなりに、あれは立派に務めを果たしていますよ」
「立派が聞いて呆れます。首藤に捕まり、もう少し遅ければ取り返しがつかなくなるところだったのでしょう? もう男子の装いなど辞めさせなさいな。貴方は心配ではないの?」
そんな事は解っている。
もしも本当に侍女として出会っていたなら、とっくに奪って手元に置いている。
内心の言葉を呑み込み、兼継は苦笑した。
「それは真木家当主次第でしょう。今の私に、それを指示する権限はありません」
苦笑に隠された意味を察したのか、老女も口を閉ざして吐息をついた。
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「兼継殿!」
奥御殿を出ようとした所で掛かった声に、兼継はぎょっとして目を見開いた。
臙脂の絣、侍女衆と揃いの小袖を着た雪が、庭帚を手に駆け寄ってきたからだ。
「雪!? その姿はどうした」
「老女に言われたのです。兼継殿の縁談相手の姫君が来ているって。私の事も知っているから、ここに『真木遠縁の侍女』が仕えていないとおかしな事になるって」
「……」
言われてみれば確かにそうだ。あの姫も縁組の打診をしている娘が居ると知った上で、此処まで乗り込んできているのだ。探さぬ訳が無い。
……だがしかし。
目の前の雪は にこにこと笑っていて、どうにも兼継が内心で望んでいる状況とは程遠い。
耳元に顔を寄せ、兼継は小さく囁いた。
「お前は、藤姫にお会いしたのか?」
「「この姿で居るだけでいい」と老女に言われたのでご挨拶はしてはいませんが、お姿は拝見しました。美しい方ですね!」
そうか、会ったのか。
あの姫が、私の見合い相手と認識しているのか。
複雑な心境で見返す兼継とは対照的に、雪はいきいきと瞳を輝かせている。
「正体がバレないように忍んでいると、何ていいますか……間者にでもなった気分で興奮します!」
違う、そうじゃない。
お前は間者ではなく許嫁なのだから、もっとこう……
言っても詮方無き事か。
いや、其れ処か下手をしたらこの娘は、身を引くていを装って婚約破棄を目論むやも知れぬ。
そんな展開になるくらいなら、黙っていた方がましと言うものだ。
……少しは妬いて欲しい、などと思うのは高望みなのだろう。
雪に悟られぬように感情を呑み込んで、兼継は苦笑した。
「養父への対応を怠った私の不手際だ。お前にも面倒をかけるな」
頭にぽんと手を置き微笑む兼継を、細く開けた障子の奥から、藤姫がそっと覗いていた。
調べてみたら、リアル与板城と直江津は80㎞くらい離れてました。
ぜんぜん「程近く」ないですが、異世界設定ってことでお願いします。




