317.ふたりだけのお茶会 ~side K~
「火急の用」と老女から呼び出された奥御殿の一室。
目の前では覚束無い手つきで、雪が茶を点てている。
茶道の心得があるのかと問うと、信倖の見様見真似だと恥ずかしそうに笑った。
桜色に染まった頬、潤んだ眼差し。
髪には大輪の芍薬が挿され、華やかな小袖の背を艶やかに流れている。
普段は少年のような装いをしている雪だが、こうして見ると嫋やかな、美しい少女にしか見えない。
――このように可愛らしい姿を見せるのは、私だけにして欲しいな。
これで外を出歩かれては、無駄に男の耳目を惹いてしまう。
そもそも女子の装いをしていなければ、首藤に目を付けられる事もなかったのだ。また同じような事があってはと思うと 心が冷える。
独占欲を賛辞に紛れ込ませて伝えた言葉も、雪には届かなかったらしい。
「昔の雪村って、女の子みたいで可愛いですよねぇ」と軽く流された。
違う、そうじゃない。五年前に雪村を「女子のようだ」などと思った事はないし、ましてや恋情を抱いた事など、ただの一度も無い。
容姿が雪村であっても、中が違えば別人だ。私が愛しているのはお前だと、何故、解らない。……と説教に移行しかけた矢先、ふと違和感を覚えた。
そわそわと落ち着かない気配。これは……
苦笑を抑えて立ち上がり、兼継は神妙な顔つきで座っている雪を抱き上げた。
足が痺れて動けなくなっているのが分かったからだ。
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「良いお天気ですね」
足の痺れがとれたらしい雪が、隣に座る兼継を見上げて笑った。
雪に見惚れていた兼継は はっと我に返り相槌を打つ。
思い返せば、女性の装いをしているところは見た事があるが、これほど着飾った雪を見るのは初めてだ。
再び庭に視線を戻した雪を、兼継はしげしげと見つめた。
あまり見るのは良くないと思いつつも 目が離せない。
この出で立ちは、現状にやきもきした侍女衆が 気を回してくれたのだろう。
自分の為に美しく装ってくれた事も、茶を点てて癒やそうとしてくれた心遣いにも感謝している。
だが想いを確認し合ったというのに、抱き上げても、このように見つめても、全く意に返さないのはどうした事か。
――許嫁としての自覚が足りぬのではないか?
こちらばかりが胸をときめかせているようで面白くない。それに……
どれほど雪村に恩を感じているのか。
雪村本人が「戻るつもりは無い」と言っても尚、雪は「この世界に残る」と言ってくれない。
先程も「それは私の正室としてこちらに残る決心をした、そう取って良いのか?」との問いに、「恥はかかせられない」と曖昧に誤魔化されたばかりだ。
どうしたら私を選んでくれるのだろう。
本人の意思を尊重したいが、そう悠長に構えてもいられない。
雪は自力で、『雪村』に戻る方法に行き着いているのだから。
庭先では美しく花が咲き誇り、それを見つめていた雪が、淡雪のように儚げな微笑を浮かべた。
「綺麗ですね」
「……そうだな」
天上に咲くという曼殊沙華よりも お前の方がずっと綺麗だ
甘い言葉を口にして微笑めば、大概の娘は籠絡出来る自信がある。だが甘い囁きに免疫でもあるのか、雪はさらりと聞き流してしまうのだから困ったものだ。
――尋ねた事は無いが。
元居た世界には好いた男が居て、言われ慣れているのだろうか。
ここに残ると言わないのは、そのせいでは。
じわりと滲む憂惧に、心が騒めく。
その時、ごう と吹いた風が、雪の髪を嬲った。
挿していた芍薬の花びらが一片、引き千切られて風に舞う。
花片は、掴もうと伸ばした兼継の指先を掠め、高く 遠く 運ばれていく。
このまま手をこまねいていては、この娘は居なくなる。
どんなに手を伸ばしても届かない世界へ。
胸を絞るような焦燥感に突き動かされ、兼継は思わず、隣に座る雪を抱き締めようと腕を伸ばした。
雪、元の世界になど戻るな。
ここに残ると、私のそばに居ると言ってくれ。
「ゆ……っ!」
「そうだ! 兼継殿」
ぱっと振り向いた雪が、不自然な姿勢で固まった兼継に気付かないまま、遠慮がちに口を開く。
「春になったら、少しだけお時間を頂けませんか? お花を見ながら一緒にお散歩ができたら嬉しいです。あの、時間が取れたらで構いませんので」
「……」
抱き締めかけていた腕のやり場に困りながらも、兼継は雪に気付かれぬ様、必死で体勢を立て直した。
(その様な事で良いのか? もう少し、欲張ってくれても良いのだが)
そう思いつつも、稀少な雪からのお誘いだ。
不安げに返事を待つ雪に微笑みかける。
「解った。そのつもりでいよう」
「良かった! 楽しみにしています」
兼継が応えると 花が綻ぶように雪が笑った。
それに笑い返しながら身を離し、せめてもと、肩にかかった髪をさらりと掬う。
一緒に散歩がしたいなど、可愛いおねだりをされたものだ。
心に温かなものを感じつつ、ふと考える。
逢い引きの誘いを受けただけ。
それでもこの約束は、春までは此処に居る言質を得たという事だ。
そうだ。ならばこうして、約束を重ねていけば良い。
夏も、秋も冬も。この先の約束を重ねていこう。
「ここに残りたい」と心変わりしてくれるまで、何度でも。
信倖の許可を得たとはいえ、こちらもまだ準備が整ったとは言い難い。
時間はあるのだ。少しずつ、距離を詰めていこう。
掬った髪に口づけると、雪が真っ赤な顔をして慌てている。
――やっと照れたな。
一矢報いた気分で、兼継も笑った。
「モテ男が自慢げに何か言ってる」みたいな描写がありますが、小姓時代の兼継が、情報収集の為に東条の侍女を口説いていた、という話を書いた覚えがあります。
上森の為なら汚れ仕事も平気でやるので、主人公に社畜呼ばわりされている、という設定です。




